魔王の配下になった俺だが、やることは特になかった。
勇者たちはこの世界に大勢いるらしいが、一番強い勇者でも魔王はおろか魔王直属の配下である幹部連中にも歯が立たないという。
勇者に魔王を倒してもらって、一刻も早くこんなところおさらばしようという俺の当ては外れてしまった。
「蟻にも勝てない勇者もごろごろいますニャ」
ミケが言う蟻とは二足歩行の人間大の蟻のことでこいつらが前線に立って勇者たちと戦っている。
魔王城のなかにもうじゃうじゃいる。
「ふ~ん。じゃあいよいよ俺たちのやることは何もないんだな」
ここは俺とミケの部屋。
昨日までは蛇人間の部屋だったのだがもういないので俺たちが使わせてもらえることになった。
「そんなことはないですニャ、クルル様。ボクたちの目標は魔王様直属の配下の幹部になることですニャ」
ミケは続ける。
「昨日お会いしたエルザ様をはじめ幹部の方たちは魔王様に直接お会いすることが出来るんですニャ。だからボクたちも魔王軍に貢献して幹部に上り詰めますニャ」
「お前、そんなに魔王に会いたいのか」
「もちろんですニャ。それがボクたち魔族の夢ですニャ」
俺は魔族じゃないけどな。
「ところでクルル様はいくつくらい魔術を使えるんですかニャ? 人間とはいえ魔王様の配下になりたいというくらいですからきっと二、三十は使えるんでしょうニャー」
「魔術? 使えないけど」
「ニャニャ!? 本当ですかニャ」
俺はただの高校生だぞ。魔術なんて使える訳ないだろうが。
「ニャ~、でもおかしいですニャ。クルル様の魔力は今でもビンビン感じますニャ」
そう言ってミケは黒く長い尻尾を見せてくる。
ミケの尻尾は逆立っていた。
「ボクの尻尾は魔力に敏感ですニャ。クルル様はエルザ様と同等かそれ以上の魔力を秘めている気がしますのニャ」
「マジで?」
あのとんでもなく強そうだったエルザって奴と互角以上の魔力が本当に俺なんかにあるのか?
「そうですニャ。一度魔力を計測してもらうといいですニャ」
そしてミケは俺を城の地下にある研究室に連れていくと言い出した。
「このお城にはいろいろな設備が完備されているんですニャ。研究室ならクルル様の魔力も測れますニャ。ついでにボクも測りたいですニャ」
部屋を出ると、猫独特のしなやかな動きで俺の前を進むミケ。もちろん四足歩行だ。
「ミケ、お前この城来るの初めてなんだろ。なのになんでそんなに詳しいんだ?」
「ボクは魔王様の大ファンですニャ。魔王城のこともちゃんと予習してきましたニャ」
振り返りながら答える。
俺の目の前でミケの尻尾がぴょんぴょんと跳ねている。
楽しいってことかな?
「ここですニャ」
階段を下りて突き当たりに研究室はあった。
ミケが器用に前足でドアをノックする。
「入ってもよろしいですかニャ?」
「……どうぞ」
消え入りそうな声がドアの向こうから返ってきた。
「では失礼しますニャ」
ドアを開けるとミケに続いて俺も部屋の中に入る。
「おおー」
俺は思わず声をもらした。
研究室の中には、見たこともないような大小さまざまな機械が置かれていた。
どれもメタリックで近未来的なものばかりだ。
俺は近くにあった冷蔵庫のようなものに触ろうとして、
「あっ触っちゃ駄目です」
長い前髪を垂らし白衣を着た少女に止められた。
「あ、ごめん。えーと……」
「……わたしはヨミです」
「ヨミか。俺は……クルルでいいや」
「ボクはミケといいますニャ。よろしくお願いしますニャ」
「こちらこそ」
差し出されたミケの前足を申し訳程度にそっと掴むヨミ。
さっきの消え入りそうな声の主はこの子だな。
ていうかこの子よく見ると……。
「なあ、ヨミってもしかして人間か?」
「……そうですけど」
やっぱりそうだ。
この城には人間は俺一人だと思っていたけど違ったようだ。
「……あなたもどこかから連れてこられたんですか?」
「いや、俺はなんていうか……説明が難しいんだ。きみはそうなのか?」
「はい。でもどうせ町には家族も友人もいなかったしここでの生活の方が過ごしやすいんですけどね……」
なんか暗い奴だな。
前髪が邪魔であまり表情も読めないし。
「ヨミ様、ボクとクルル様の魔力を測りたいんですがニャ」
「……ヨミ様?」
顔を上げるヨミ。
「ああ、気にしないでくれ。こいつ誰にでも様をつけて呼ぶ癖があるんだ」
「はぁ、そうですか」
ヨミは大きな体重計のような装置のスイッチを入れ起動させる。
「……それではこの魔力測定装置を使って測ります」
「クルル様、先にボクが測ってもらってもよろしいですかニャ? ボクも実は計ったことがないのですニャ」
「ああ、好きにしろよ」
「ありがとうございますニャ」
そう言うとミケは出来るだけ体を小さくして装置の上に乗った。
「……そのままじっとしていてください」
「わかりましたニャ」
しばらくすると、
ピー! ピー!
と装置から音が鳴る。
見ると装置の液晶画面には【346】という数字が出ていた。
それを見てヨミは、
「……すごいです、ミケさん。平均的な蟻の十倍は魔力があります」
「ありがとうございますニャ。でもまだまだですニャ。では次はクルル様お願いしますニャ」
「ああ」
今度は俺が装置に乗った。
一体どんな数字が出るんだろう。
内心どきどきしながら待つ。
ピー! ピー!
一分ほどで結果が出た。
「……え?」
「ニャニャ!?」
一人と一匹が声を失う。
俺は顔を上げ、液晶画面を見た。
っ!?
なんとそこには、
【100000000】
一億という数字がはじき出されていた。
「す、すごすぎますニャ、クルル様。魔力が高いとは感じていましたがまさかここまでとは思いませんでしたニャ」
「……あり得ないです。魔力の強さはそのままその方の強さを表します……この魔力は魔王様にも匹敵しますよ」
ミケたちが驚きを隠せないでいると、
「おいおい、こりゃあどういうことだ。なんか人間くせぇと思ったら人間が二人もいるじゃねぇか、ええ?」
犬と人間が合体したような人型の魔族がいきなり研究室に押し入ってきた。
そいつはずかずかと向かってくるとヨミの胸ぐらを掴み片手で持ち上げる。
「おい、女。魔王様はてめぇを認めているかもしれねぇがオレ様は認めちゃいねぇからなっ」
「……す、すみません、ブル様。く、苦しいです……放して、ください」
ヨミはかすれた声で許しを請う。
「……は、放してください。お、お願いします」
「けっ、やわな種族だぜ。これだから人間は――」
「おい、苦しそうだろ。放せよ犬人間」
俺はヨミを持ち上げているその腕を掴んだ。
がっしりとしたその腕には犬のようなふさふさの体毛が生えている。
「……ぁあ?」
俺に視線を落とす。
「だ、駄目ですニャ、クルル様。この方は幹部のお一人であるブル様ですニャ。早く手を放してくださいニャ」
「いや、手を放すのはこいつの方だ」
俺は譲らない。
するとブルは、
「てめぇ、見たことない顔だな……魔王様はまた人間なんぞを配下にしたのか」
鼻をひくひく鳴らしあからさまに不機嫌そうな顔になる。
「男、人間の分際でオレ様に気安く触れるんじゃねぇ。殺すぞ」
ヨミの胸元から手を放して俺にメンチを切ってくる。
顔のしわのたるみといいブルドッグそのものだ。
ヨミはというと床に尻もちをついている。
ここでちょっと我に返る俺。
しまった。同じ人間の女の子がいじめられているからつい後先考えず言ってしまった。
俺はブルの腕を掴んでいる手をそっと放した。
俺はブルの顔を盗み見る。
ブルは殺気をにじませた目で俺を睨んでいた。
うわ、すごく怒ってる。
「女の方は魔王様が連れてきたから手を出せねぇが、てめぇは違うぜっ!」
そう叫ぶなり俺は目に見えない力に弾き飛ばされた。
部屋の壁に激突する。
「ぐはっ」
ミケが駆け寄ってくる。
「大丈夫ですかニャ!?」
くっ……背中が痛い。
「ブル様、許してくださいニャ。この通りですニャ」
ミケが俺とブルの間に割って入り土下座をした。
だがブルは、
「人間の味方をするならてめぇも殺す」
指をぽきぽき鳴らしながらミケに近付き、三メートルもあるミケの体をサッカーボールのように蹴飛ばした。
「ニャッ!」
蹴飛ばされたミケだが、壁に激突しそうになる寸前体を回転させ自ら壁を蹴った。
そしてブルに飛び掛かっていく。
「もうやるしかないニャ!」
「ギガントキャットごときがオレ様に敵うとおもってんのかっ!」
ブルは俺にくらわせた見えない力でミケを弾き飛ばした。
「ぐニャッ」
研究室の壁にぶつかり壁が崩れる。
「おい、ミケ!」
「……ク、クルル様。ク、クルル様ならブル様にも勝てるはずですニャ……クルル様は魔術が使えないから魔力を直接ぶつけるですニャ」
「魔力をぶつけるってどうすればいいんだ?」
「さっきブル様がやったようにやればいいですニャ……」
言っている間にもブルが迫ってきていた。
「幹部に逆らった罰だ。てめぇらは仲良くあの世へ行けっ!」
怒号とともにまたも見えない力が襲いかかってくる。
瞬時に、
「うおおおおぉぉぉぉー!」
俺は目で射殺すつもりでブルを睨みつけながら目一杯叫んだ。叫ぶしかなかった。
すると体の奥から何かが湧き上がってくる感覚がした。
これが魔力か?
俺はそれをブルめがけ放った。
「何っ!?」
見えない力同士が空中でぶつかり合った。
大気がゆがむ。
「てめぇ、人間のくせにどこにそんな魔力がっ!?」
「うおおおおぉぉぉぉー!」
俺の後ろで倒れているミケが顔を上げて、
「……行き場のない魔力が二人の間で溜まっていってますニャ。こ、この力比べに負けた方はきっと消滅しますニャ……」
弱々しく言った。
それじゃ絶対負けられないじゃないか。
「うおおおおぉぉぉぉー!」
「このくそ人間がぁぁー!」
魔力のぶつかり合いが続いた。
研究室の中の空気はびりびりと震えている。
さっきまでは見えなかったはずの魔力が俺の目に黄色く輝いて見えるようになっていた。
俺の魔力の方が徐々におし始めている。
「このオレ様が人間なんぞに……人間なんぞにぃぃぃ……負けるはず――」
「うおおおおおりゃあああぁぁぁー!」
俺は全身全霊、力の限り叫んだ。
その瞬間――
部屋に充満していた俺とブルの魔力の全てが収斂されブルめがけて飛んでいった。
「ぐああああぁぁぁぁー!」
黄色い魔力の塊がブルに直撃した。
ブルの叫び声が部屋中に響く。
強い衝撃波が研究室内に飛散して目が開けられない。
やり過ごすため目を閉じていると……。
衝撃波が弱まった頃、
「……ク、クルル様。ブ、ブル様が……消滅しましたニャ……」
ミケの声が耳に届く。
俺は目を開けさっきまでブルがいた場所を見た。
……ミケの言う通りブルは跡形もなく消え去っていた。
「……ブル様が……死にましたニャ」
ミケが言葉を発する。
「クルル様、逃げた方がいいですニャ、もしブル様を殺してしまったことが知られたら魔王様に殺されてしまいますニャ」
俺は無我夢中でブルから身を守るためにやったのだが、結果として魔王直属の幹部を死なせてしまった訳だ。
魔王にバレたら俺は……。
「……多分、その必要はないです」
俺たちがいる研究室はさっきの爆風で研究資料や機械が散乱していた。
その資料を拾い集めながらヨミがつぶやいた。
「ブル様は五人いる幹部の中では一番格下です。しかもいつも勝手な行動をとっていたのでいなくなっても誰も気にも留めないと思います」
「それは本当ですかニャ?」
「はい、また勝手にどこかに行ったのだろうと思われるだけだと思います」
「よ、よかったですニャ、クルル様~」
ミケが抱きついてくる。
ふかふかの毛並みがくすぐったい。
「このことはわたしたちだけの秘密にしましょう」
「わかりましたニャ。クルル様もそれでいいですニャ?」
「あ、ああ」
幹部が一人いなくなったのに本当に大丈夫だろうか。
心配する俺をよそに、ヨミとミケは荒れ放題の部屋をきれいに片付けていた。