「ニーナ、血は止まった?」
「は、はい。あ、あのこれ、洗って返しますから……」
僕が渡した布切れは、ニーナが顔を拭いたため、血を吸って真っ赤に染まっていた。
ニーナはそれを大事そうに両手で握り締める。
「いいよ別に、それはニーナにあげたんだから。っていうかただの布切れだから捨てちゃってよ」
「い、いえ。だ、だったらこれはわたしの宝物にします」
ただの布切れに顔をうずめて言うニーナ。
そんな物を宝物にするなんて、これまで一体どういう人生を歩んできたのだろうか。不憫でならない。
僕は改めてニーナを眺めてみた。
身長は僕より頭二つ分低く、髪はぼさぼさで、頬は痩せこけ、手足は細い。
つぎはぎだらけのワンピースに半分破れかけた靴。
全身薄汚れていて少しだけにおう。
「ニーナ、きみって年いくつ?」
「あ、わたしは十四歳です」
「十四歳……僕の一つ下だったんだ」
見た目からしてもっと幼いと思っていたが、僕と一つしか変わらないとは予想外だ。
頬が痩せこけているので、もしかしたら満足に食事もしていなかったのかもしれない。
「ニーナ、これ食べる?」
僕は、皮袋から残っていた最後の一つのリンゴを取り出すとニーナに差し出した。
「え……?」
「味はあんまりだけどとりあえずお腹は膨れるからさ」
「で、でもそれはクズミンさんの……」
「僕はもう食べたんだ。それに明日になったらバイラックの町に着くはずだからそしたらそこで食事が出来るから」
「い、いいんですか? 本当に貰っても……」
「うん。食べて」
「あ、ありがとうございます」
申し訳なさそうにしながらもリンゴを受け取るニーナ。
「いただきます」
声に出すと小さな口でそれにかじりついた。
「どう? そんなに美味しくないでしょ」
「いえ……すごく、すごく美味しいです」
よほどお腹がすいていたのか、ニーナはリンゴを一心不乱に食べ進めていく。
「あ、そうだ。それとバイラックの町に着いたら一度宿屋でゆっくり休んでから服を何着か買おうか。靴もそのままじゃ歩きにくいだろうし」
「え、い、いいですよそんな……それにわたし、お金持っていませんし……」
「心配しないで。お金なら余裕があるから」
「い、いえ。本当にいいです……クズミンさんに迷惑はかけたくありません」
頑なに断るニーナ。
「大丈夫、お金ならモンスターを倒せばいくらでも手に入るからさ。僕こう見えて結構強いんだよ」
「で、でもやっぱり……」
ニーナはなかなか首を縦に振らない。
「うーん……」
意外にも頑固なニーナに僕が頭を悩ませていると――
「あがっ……!?」
突如として体に激痛が走った。
それと同時に全身が硬直して地面に倒れてしまう。
「えっ!? ど、どうしたんですか、クズミンさんっ」
「か、がかっ……あがぁっ……!」
体が痙攣を起こしていて言葉を発することが出来ない。
「クズミンさん、しっかりしてくださいっ!」
「あっ……がが、す……けっ……!」
なんなんだこれはっ……。
身動きがまったく取れないぞ……。
それに全身がきしむように痛い……なんだこれっ。
く、くそっ……。
「スキル、解毒っ!」
がくがくと痙攣を繰り返す僕の耳にニーナがそう叫ぶ声が届いた。
するとその直後、
「がはぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ…………な、治った……?」
全身の硬直が解け、痙攣も嘘のように消えてなくなった。
「ニ、ニーナ、きみが……?」
「よかった、クズミンさんっ!」
ニーナが倒れている僕の手を取ってぎゅうっと握り締めてくる。
「ニーナ、今のって……もしかしてニーナのスキルなの?」
「は、はい。わたしのスキルの解毒です。よかった、わたしのスキルが効いてくれて」
ニーナは目を潤ませながらほっと安堵の息を吐いた。
「あの蛇神様……じゃなくて、あのモンスターには毒があるんです。だから多分クズミンさんはその毒に侵されてしまったんじゃないかと思って……」
ニーナの言う通りなら、僕はそこに転がっている大蛇に似たモンスターを斬り裂いた時に毒をくらってしまっていて、それが原因で全身麻痺のような症状が現れたのか?
「と、とにかく助かったよ。ありがとうニーナ」
「い、いえ。わたしなんか全然っ……」
「そんなことないよ。ニーナは僕の恩人だ、本当にありがとう」
毒の種類によっては、僕は半永久的に痙攣し続けたまま地べたに這いつくばっていたことだろう。
「これでニーナには借りが出来たな……ニーナ、さっきの話に戻るけどお金の心配ならしなくていいよ、僕の感謝の気持ちだと思って受け取ってほしい」
「そ、そんな、恩人というならそれはお互い様ですよっ……それにもとはと言えば私を助けるために毒を受けてしまったわけですから……」
ニーナは胸の前で両手を振って僕の申し出を再度断った。
僕は一拍置いてから真剣な顔を作ると、
「聞いてニーナ。きみは僕より年下なんだ、少しは甘えたっていいんだよ」
ニーナの目をじっとみつめる。
ニーナには身寄りがないと聞いた。
ニーナはおそらくこれまで自分の存在価値など感じることなく、肩身の狭い思いをしながら生きてきたのだろう。
だから人との接し方が不器用なのかもしれない。
……まあ、僕も人のことを言えた義理ではないのだけれど。
「僕は頼りにならないかい?」
「い、いえ、そ、そんなことないですっ」
「だったら少しは頼ってほしい。ニーナが僕を助けてくれたように僕もニーナの力になりたいんだ」
「クズミンさん……」
ニーナは今にも泣き出しそうな表情になる。
「おっと、泣くのは無しだよ。これは何も特別なことじゃない、当たり前のことなんだからね」
「クズミンさん……は、はい」
服の袖で涙を拭うニーナ。
薄汚れた服で拭くものだからニーナの目の周りが黒くなってしまった。
「ほら、汚れてるよ」
僕はニーナの目の周りを自分の服を使って拭いてやる。
「あ、す、すみませんっ」
「ニーナ、別に敬語も使わなくていいよタメ口で。僕は全然気にしないからさ」
「い、いえ、それは駄目ですっ。クズミンさんにタメ口なんて恐れ多くてっ……そ、それにわたしの方が年下ですからっ……」
僕がついさっき言ったセリフを引き合いに出すニーナ。
「そっか、まあニーナがそう言うならいいや。じゃあとりあえず今日は遅いからもう寝ようか。野宿だけど大丈夫?」
「は、はい。全然大丈夫です。わたしいつも馬小屋で寝てましたから」
ニーナは何度もうなずいた。
……馬小屋で寝てたのか。
「あっそうだ。僕、朝弱いからもし起きなかったら耳元で叫んじゃっていいからね」
「あ、はい……わかりました」
「それじゃ、おやすみニーナ」
僕はニーナの横に寝そべるとそっと目を閉じた。
「はい、おやすみなさいクズミンさん」
ニーナも僕に倣って草の上に横になる。
――この夜、僕は何年かぶりに夢を見た。
どんな夢だったかはよく憶えていないが、とても楽しい夢だった気がする。