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第44話 誘拐

 言い知れない動揺を感じながら、私は自室へと舞い戻り、子りすの代わりに綺麗に畳まれたルド様の学生服を手に取る。


「……まさかこんなに早くお2人から再び色々と頂いてしまうとは思わなかったから……。近いうちにきちんとお返しをしなくては……っ」


 ふわりと漂う石鹸の香りは、かつて上着を貸してもらった際に感じた香りではないのに、ライト兄様から庇って貰った際や、身体に掛けられていた香りを思い出し、私は1人でぶんぶんとそんな考えを打ち消した。


 ゆっくりとでいいとルド様には言われたものの、とてもそんな気にはならず、私は再び早足でパタパタと部屋を後にする。


 見慣れた屋敷の景色を眺めて足早に歩きながら、私はぼんやりと過去に思いを巡らせていた。


 やけに親切だなと感じていたヴァーレン様。過去に私自身との直接の関わりがどれほどあったかはわからないが、ヴァーレン様は私と会ったことがあると言っていた。


 その話しを聞いてから、私は頭の片隅でずっと過去を遡っている気がする。


 浅黒く広がるアザの方に目を奪われてしまいがちだったが、よくよく見れば端正な顔立ちに優し気な瞳をしていたように感じた。あの面影を持つ人が、過去にいただろうか。


 黒髪に黒い瞳は存外に少ないように思うし、どことなく、何か思い出せそうな気がしてずっと記憶を探り続ける。


 柔和な笑みで優しく接してくれた年上の少年は、薄い茶の髪で微笑んでいた。どこからか捕まえてきたカエルを私に向けて放った銀の瞳の意地悪な少年は、ライト兄様に懲らしめられていた。


 女の子みたいに綺麗な顔の金髪の少年とは一緒にお花で王冠を作ったし、焦茶の髪をした活発な少年とは、釣りやチャンバラごっこで遊んだ。


 思い出せば出すほどに、ライト兄様が呼び寄せた多種多様の年上貴族の少年たちが多すぎて、迷う上にピンと来る人もいない。


 応接間から、ライト兄様とヴァーレン様がまだ出て来ていないことをサッと確認して、私は屋敷の外へと出る。


 庭を抜けて門番に挨拶をしつつその横を通り、ルド様に伝えた小道を小走りに追いかけた。


 ハァハァと少しばかりあがった息を吐きながら、私は記憶を遡って行く。


 そう言えば、ひどく雨に降られた日に、高熱が出たことがあった。湖のほとりで座り込んでいた人と話していて、雨に濡れたのだったはず。


 あの人は、どんな人だったか。その後に熱が出たせいか記憶があいまいで、もやのかかる断片的な記憶しか思い出せない。


 今にも雨が降りそうな暗い天気の日。俯く人。声をかけて、こちらを力無く見る、酷く虚な視線ーー……。


 小道の先、まだ遠くに、けれどもキラキラと光る金髪をなびかせるルド様の姿が見えた。


 つい先日に会ったばかりのはずなのに、何だかんだと距離が近くて、優しくて、親切で、たまに王子様とは別人のように年相応な表情で笑うルド様。そんな人に対して、こんなに声を掛けることが気安くなるとは思わなかったなとぼんやり考える。


 伝えた通りの場所で待ってくれているその姿に弛む頬を感じつつ、名前を呼ぼうとしたその直後、不意に死角から顔に押し付けられた何かと、鼻をつく臭い。


 手から溢れ落ちる衣服の衣擦れと、抱きつかれるように何かに拘束された手足の感触を確かめる間もなく、次の瞬間には私の意識は途切れていてーー……。


 ……に至る訳ね……。と、私は咬まされた何かの布をギリギリと噛み締める。


 とは言え擦れた口の端の痛みを感じ、私は直ぐさまその無意味と思われる行為を謹んだ。


 埃っぽい室内には無骨な男と貧相な男と私の3人のみで、ローブ男は帰って来ていない。


「………………」


 いくらかは落ち着いたものの、変わらず速る鼓動を感じながら私はしばし状況を整理した。


 単純に見れば、雇い主は貴族に関係のあるローブ男で、金で雇われたゴロツキが2人。その他の仲間は現状で不明。


 ローブ男の言葉を信じるならば、私は何らかの交渉材料で、交渉の余地があるうちはまだ猶予はありそうではあるが、ローブ男の口からと言う言葉は聞いていない。


 今のところ全員が顔を隠しているのがまだ儚い希望ではあるものの、そんなに楽観視できる状況でもなさそうなこと。


 私を交渉材料として利用ができると言うことは単純に金銭目的の人攫いや、政略的関連の繋がりであろうか。家がゴタついていると言うヴァーレン様の言葉も脳裏をかすめる。


 まさかなとは思いつつも、可能性を偏見で遮断することは現状最悪な状況下に近づく気がして、私はごくりと喉を鳴らした。


 隙を見て戦うか、逃げ出すか……と考えかけて、私はいやいやと考えを改める。


 下手な一手で即どうなるかわからない状況に直面した私の脳裏に、サラサの言葉が思い出される。


 必要なのは、負けないこと。


 ここでの負けを意味する条件は、何だろうかと考える。私自身が害されることと、私を利用した交渉が相手の目論み通りに進むことのはず。この誘拐によって被る恐れのある不利益を回避する必要があった。


 ルーウェン家の屋敷の近くで、門番に挨拶をした直後。しかも、ルド様と待ち合わせをしていた際に攫われたのなら、異変には比較的早く気づいて貰えるのではないだろうか。


 彼を知り己を知れば百戦殆うからず。あくまでも負けない方法の模索ーー……。


 全く動けない現状では、可能な限り敵の情報を入手し、時間を稼ぐことに重きを置いて、隙があればーー……。


「おい、小娘」


 自身に落ちた影に、私は思考を中断してピクリと視線を上げる。


 そこにはニヤニヤと私を見下ろす無骨な男の顔があったーー……。




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