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第40話 仮面の下 ⭐︎

 一瞬、時が止まったかのような錯覚さえも覚えた。それくらい、その仮面の下は予想外で、想像以上の状態と言え、私は言葉を失った。


「……そのアザ……? は、いったい……っ?」


 何とか平静を装って絞り出した声は、緊張からか掠れたように感じる。


 いつもつけられていたヴァーレン様の仮面の下には、額から鼻にかけて広範囲にアザのような痕が広がっていた。本来は色白であるはずのきめ細かい肌が、より一層の対比となってその浅黒いアザを強調させている。


「……驚かせてすまない」


「いえ、こちらこそ無理を言ってしまって……」


 アザの中で涼やかな黒い瞳が優し気に揺れると、その肌は再び仮面に覆われた。


「そんなことはない。見てもらった方が早いと思っていた。……このアザは呪いだ。呪いを喰らう呪い。私を害しようとする呪いから私を守ってくれる……が、呪いの強さに応じて私の表皮を害する副作用もある」


 そこで言葉を一区切りすると、ヴァーレン様は自らの袖口を捲り上げる。普段は衣服に隠れ易い場所とは言え、そこにも体表に広く赤黒いアザが広がっていた。


「ーー……」


 かける言葉を失う私に、ヴァーレン様はその袖を静かに戻す。


「……この呪いをかけたのは、状況的に見て私の亡くなった母……だと思われる。母は黒魔法の才を持ち得ていたが、自身の力をうまく制御できない……と言うよりもその力を自覚すらしていなかったらしい」


 とつとつと語るヴァーレン様の話に、私は耳を傾ける。


「それ故ある日、私が呪いによって害されそうになった時。私を守ろうと働いた母の無自覚の力は、制御不能で異質な形となって私の身に宿った。母の命と引き換えに」


「ーー……」


 ヴァーレン様の言葉に、私は目を見張った。まさかそんなことが現実にあり得るのだろうかと言う内容だった。


 けれど、現にヴァーレン様の身体にあると思われるアザは見たばかりである。


「最初は腹に、背中に、四肢へと広がって行った。侵食する場所がなくなれば、更に広範囲へと広がっていくだろう」


「……痛みはあるのですか? もし、広がりきったら……?」


「痛みはない。だが、アザが広がりきった後にどうなるのか……蓄積した呪いに一度に喰われるのか、タイムリミットのようにが来るのか。呪いを商いとする一族ですらわからない。前例のない症例は、なってみなければ結果はわからない」


「…………」


 二の句が継げない私は、しばしアザがあるであろうヴァーレン様の身体を見遣る。


 降りかかった呪いを喰う代わりに、その影響に応じて皮膚に広がる呪い。四肢や顔の半分にまで広がるほどに、多くの呪いを受け続けていると言うことなのだろうか。


 スラリと背が高く、男性にしては線が細いその身体中に広がるほどに。


「アザが広がりきったそう遠くない未来での私の生死は不確かで、更にはこんなでもある。半ば無理やり結ばされた婚約を破棄したとて、周囲に同情こそされこそすれ、納得される理由ともなるだろう。深い意図はない。私の恩返しみたいなものだと思ってくれればそれでいいんだ」


「ーー恩返し…………」


 穏やかに笑うのと同時に、全てを諦めたような、疲れた空気を纏うヴァーレン様に、胸が締め付けられるようだった。


「ーーただ、ヴァーレン家は少し複雑で、もしかすると何かーー……こちらの家の都合に巻き込んでしまう可能性もあり……。そう言ったリスクがあるとわかっているのに、ハンナ令嬢自身に事前に相談もせず、勝手な判断をして申し訳なかった」


「えっ!? いえ、そんな謝らないでください……っ! お礼を言いこそすれ、謝られる道理はありませんから……!」


 慌てる私をしばし見つめ、ヴァーレン様はそっと私の髪束に控えめに触れる。


「…………そうだとしても、私にはこの婚約を始めた責任がある」


「ーー…………」


「……私が婚約者でいる限り、ハンナ令嬢は私がこの命に替えても守ると誓おう。私が死ねば、婚約は破棄と両家にも伝えてもある。……ハンナ令嬢が好ましいと思う者が現れれば、事情を説明して、想いを告げて欲しい。それが偽りない私の真意だ」


 にこりと薄く笑うヴァーレン様の髪を風が撫でていく。その姿があまりにも儚げで、ぞくりと、私は言い知れない寒気を感じた。


 なぜ、この人はこんなにも心をざわつかせるのだろうか。まるで、自分が居なくなることを望んでいるかのようにさえも感じる気がする。


「……ヴァーレン様、ありがとうございます。私が今ここでこうして居られるのは、ヴァーレン様の優しさや家族のおかげであることが知れたこと、私はとても嬉しく思います。幸せです」


「…………」


「なので、もし私にできることがあれば、何でも仰って下さい。……とは言え、何でもそつなくこなしてしまわれるヴァーレン様に私ができることは少ないかも知れませんが、雑用でも、えーと靴磨きでも、肩揉みでも……お使いでも、とにかく私にして欲しいことがあれば言ってください!」


「……いや、令嬢にそんな小間使いのようなことは……」


 変な間が空き、ヴァーレン様が少し困ったような声を出す。


「いえ、あの、私に出来そうなことがあまりにも思いつかなくてですね……っ! た、例えばと言いますか! いや、ホントに小間使いでも良いんですが! あっ、甘いものはお好きですか? お菓子の美味しいお店は最近人に教えて頂きましたので、お力になれるかも知れません!」


 途中焦りからあわあわと訳がわからなくなりつつも、この何とも言えないざわつきが少しでもどうにかならないかと、私は真っ白な頭で考える。


「……あ、慌ただしくて……申し訳ありません……。と、とにかく、私は、ヴァーレン様に恩義を感じているとお伝えしたくて……ですね……」


 うまく伝えられている気が全くせず、私は身を乗り出して距離を詰めたままに停止する。


 仮面の奥のヴァーレン様の瞳が、驚きから丸くなっている気がした。


「い、今は、わ、私は、ヴァーレン様の婚約者ですから! ヴァーレン様が私と婚約をしている間に私を守ってくださると言うのなら、私は、ルドガー・ヴァーレン様の1番の味方でありたいと、思っているんです……っ!!」


 会った当初の印象とは真逆のように、今にも消え入りそうなヴァーレン様が、あまりにも恐ろしかった。


 興奮か、恐怖か、恥ずかしさか。目頭が熱くなるのと同時に、気を緩めれば、私はその細い身体を抱きしめてしまいそうだった。

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