頭が痛い。気分が悪い。頭の重さで首がギシリと音を立てて、長く同じ体勢でいた身体の軋みを感じる。
少し夢を見ていた気がしたが、思い出せない。
もの凄いまでの不快感を伴いながら、私は眉間にシワを寄せた。噛み締めた口には何かが噛まされているようで、湿り気のある感覚と擦れた口の端の痛みが不快だった。
「おい、起きたんじゃねぇのか?」
「ようやっとか、待ち侘びたよ」
「おい、お前報告してこいよ」
「へいへい、わかってるよ」
声がする。聞いた覚えのない複数の男の声に、私は未だ瞳に映らない景色の代わりに耳を澄ます。身じろぎをしようと動かそうとした手と足は、意識すると圧迫感と共に動かせないことがわかった。
私を取り巻く周囲と、自身の置かれた異常な現状に変な汗が吹き出し、心臓の鼓動が早鐘を打つ。
話し声が途切れた後に、1人の移動音と木の軋む音を聞いた。恐らく1人は話をしていた通りに誰かに報告とやらをしに行ったのが気配でわかったが、それと同時にもう1人の気配が近付いてくる気配を感じる。
「……うっ! んんっ……うっ!?」
そろりと目を開いた先のぼやけた視界がクリアになるのと同時に、視界に飛び込んできた布で顔を隠した無骨な男の顔面に、私は目を見開いて精一杯に後ろへと仰反った。しかし、期待した程の距離を稼ぐことは到底できない。
私の顔を覗き込んでいた無骨な男はニヤリといやらしく笑うと、その顔を尚も私に近づけてその鼻をすんすんとわざとらしく鳴らす。
「はあぁっ、まだ小娘のくせに、貴族の娘っ子はエラい良い匂いがするもんだな。肌も陶器のように白くて綺麗で、傷ひとつもないし、同じ人間と思えねぇなぁ……っ!」
ふんふんと犬の様に顔付近で匂いをかがれ、私は血の気が引く思いで視線を逸らし、この不快な時間が早く終わることだけを願う。
少しでも気が紛れるように、逸らした視線の先や自身の現状を眉間にシワを寄せながら確認した。
埃っぽい掘立て小屋や倉庫のような木造の室内。椅子に座らされた手足は椅子の肘掛けや足に荒縄で固定されているようで、口には何かを噛まされて声も出ない。
窓らしきものは木の板で塞がれ、小屋の内部は頼りない豆電球のような薄暗い灯り頼りだった。
「……うっ! ……んっ!」
「おぉ……
そろりとドレス越しに太ももに置かれた手の感覚に目を見開いて、表情と声と、可能な限り暴れて抗議する。
「ーーおい、誰が触れていいと言った」
ピシャリと冷えついた声が小屋に響き、太ももに置かれた手がサッと除けられる。
ほぼ同時に声を振り返った私と無骨な男は、唯一の入り口である扉から部屋に入り込むローブの人影と、顔を隠した貧相な男の2人組を見つめた。
「勝手をするな、大事な交渉材料だ」
「いや、なんもしちゃぁいねぇですよ」
声色として男と思われるローブ男の剣を含んだ声に、無骨な男は両手を上に挙げてヒラヒラと振る。
「……言われたことだけしていろ。余計なことを考えるな。いいな」
「わかりやした」
ふんすとおべっかを使いつつも、無骨な男の目の奥には敵意が潜んでいるように見える。
「……さぞ不安であろうとは思うが、令嬢に必要以上に危害を加えるつもりはない」
「ーー……」
目深にローブを被り、唯一見えそうな口元も布で隠されてその顔は伺い知れない。
「……こちらの目的が果たされたら、ではあるが」
続けられた穏やかとは言えない言葉に、ただでさえ引いている私の血の気が更に引いた気がする。
「もしやっちまうなら、その前に俺たちにくださいよ」
「余計な口を挟むな」
へへへと下卑た笑いを挟む男を不快そうに黙らせると、ローブ男は踵を返す。
「大人しくしていろ。お前たちは見張れ。いいな、余計なことを考えればーー……」
そこで言葉を途切らせたローブ男は、その目深に被ったローブの下から鋭い眼光で無骨な男と貧相な男を牽制する。
「死が容易いと思える様になると思え」
「……いやですぜ、旦那。冗談じゃねぇですか。これだからお貴族様はお人が悪い……」
「ーー…………」
尚も揉み手でへへへと笑う無骨な男に、これ以上喋るなとでも言うように無言の圧を加えたローブ男は、チラリと私を振り返るとそのまま何も言わずに小屋の扉を閉めて出て行った。
小屋に残された私と男たち2人はしばし無言の時間を過ごす。そして、その静寂を破ったのはやはり無骨な男だった。
「お高くとまりやがって、マジで腹立つぜあいつ。お貴族だか何だか知らねぇが、俺たちみたいなゴロツキ使うほかねぇやつだろ。たかが知れてるんだよ、こんちくしょうめ」
「まぁまぁアニキ落ちつけよ。何か知らねぇけど金払いは良いやつなんだし、大人しくしておいて、貰った金でパーっと女遊びでもしようぜ。あんな金なかなか貰えねぇんだから」
男2人がやんやと話すのを、ひとまず息を殺して私は伺い見る。そんな最中も縛られた紐の弛みやらの確認はしてみたが、ピクリとも動かないことに嫌な汗が伝う。
恐らく何かしらの薬物を使われて意識を失ったためか、この無法者たちに捕まったらしき時の前後の記憶が曖昧であった。先ほどローブ男が出入りした時の屋外は、真っ暗ではなかったとは言え日中という感じでもなかった気がするから、夕方頃だろうか。
速る鼓動と額に浮かぶ汗を感じながら、私は落ち着け落ち着けと必死に念じる。
着ているドレスと、視界の端に揺れる編み込まれた髪 が、ゆっくりと私の記憶を呼び覚ます。
そう、ヴァーレン様が朝からお見えになって、屋敷の近くの湖のほとりで話すことになって、色々な話を聞かせて貰えて……。
記憶を辿りながら、視界が滲みそうゆなるのを必死に堪える。残された男2人を変に刺激することのないように、咥えさせられた布を噛み締めて、私は痛む頭で記憶を辿ったーー……。