「え……?」
しっかりと聞いてしまったけれど、念のためもう一度聞き返す。
「うん。だから小鳥ちゃんの希望に僕は協力できないかな」
庭園を吹き抜ける風に攫われる髪を気にすることも忘れ、私は呆然とルド様を眺める。
「えっと……」
思っていたよりもキッパリとした想定外の返答に、二の句が告げない私を見かね、ルド様はその細い人差し指を立てる。
「まず第一に、この話を僕が知らない以上、僕の手の範疇を超えている話しであるから、一存で軽く返事はできない」
「あ、はい、そう……ですよね……」
自分の浅はかさに少しへこむ。
視線が落ちて、すみません。と口をついて出そうになった私のあごに、つと細い指が触れた。
え、と思う暇もなく、気づけばクイと持ち上げられた顔の至近距離に、ルド様の蒼い瞳がある。
「第二に、こんな可愛い小鳥ちゃんとせっかく婚約しているのに、僕に婚約を破棄する理由が見当たらないかな」
「は……」
気づけば右腰から手を回され、引き寄せられているためうまく身体が動かせない。ただでさえ近かった蒼い瞳が、更に迫ってくるのがスローモーションのように見えた。
「――っ」
突然のことに、思わずギュッと目をつむった瞬間――。
「ハンナ様っ」
弾かれたように発された焦りを含むガロウさんの声が聞こえ、左の二の腕を後ろへ強く引かれる。
ガロウさんによって引き離されたことを理解した私の視界の先には、黒いもやのようなものに包まれて身を折るルド様の姿があった。
「――……くっ」
「ル、ルド様……?」
「ハンナ様、失礼いたしました。非常事態でしたので……っ、詳細がわかりかねますので、ご婚約者様に近づくのはお待ちください」
「あ、ガロウさん……。えと、あれは……呪い……でしょうか?」
「私は魔法や呪いの類には疎いので何とも言えませんが……ハンナ様と距離が詰まった瞬間に何かの術が発動したようです」
私を隠すように前へ出るガロウさんの肩越しに、ルド様の様子を伺う。
足元から吹き上がる黒いもや状のものにまとわりつかれながら、ルド様は荒い息を吐く。よく見れば首元や手の甲に黒い文様のようなものまで浮き出て、見える部分だけでも体表をうごめくように揺れている。
実際に見たことは初めてであるも、知識としては知っていた。あの禍々しさは、相手を脅かす類のよくない呪いだと判断ができる。
息を詰めてルド様の様子を伺ううちに呪いの勢いは静まりだし、もやは掻き消え、体表の文様は次第に薄くなり消失した。
後に残されたルド様は大きく息を吐き出して、折っていた身体を伸ばし天を仰ぐ。
左手を腰に添え、右手は顔を覆い深呼吸をしているようで、その表情は伺い知れない。
「ーーやれやれ、久しぶりに食らったが……相変わらず難儀なものだな……」
ふぅとその整った顔を撫でながら、ルド様はその流れで美しい金髪を指先で整える。
「……驚かせてすまないね、小鳥ちゃん。一応弁解はさせて貰うけれど、この呪いは僕自身に発動するもので、周囲に危害が行く類のものではないと断っておくよ」
ニコリといつものように穏やかに話しかけてくるルド様だが、その表情と話す内容があまりに一致しておらず二の句が継げない。
「……それにしても他所のお嬢様を巻き込むのはいささか失礼ではありませんか」
「ガ、ガロウさん、本当に何もないので……」
明らかに警戒の色を緩めないガロウさんに焦りながら、なんとか押し留める。親切で付いてきてくれている人様の護衛を、こんな所で揉め事に発展させる訳にはいかない。
「失礼をしたことは心から詫びるよ。ただ、この呪いの発動条件がどうやら異性との接触のようでね。小鳥ちゃんたちに見てもらう方が早いと思ったんだ」
「……はぁ……と、言いますと……?」
少し前からルド様の意図が全くわからず、思わず眉をひそめて次の言葉を待つ。
「取り引きをしよう、小鳥ちゃん。僕にかかったこの呪いを解くことに協力をしてくれるなら、僕も小鳥ちゃんとの婚約破棄に尽力しよう」
どうかな、と爽やかにウインクを添えて提案してくるルド様に、戸惑うほかない私とガロウさんだった。