その日は朝から土砂降りだった。
「今日は兵士の方たちは外で訓練できませんね」
ミアがベッドのシーツを替えながら言う。
「そうだな」
いつもなら兵士たちの威勢のいい声が聞こえてくる頃だからな。
きっと武道場とかで訓練していることだろう。
「さっ終わりましたよ。次はアテナ様のベッドです、いいですか?」
「……うん」
アテナはベッドから立ち上がると俺のベッドに移動してぽふんと座る。
「この間の慰安旅行ほんとに楽しかったです。今でもたまに夢に見るんですよ」
「そうなのか」
そんなに喜んでもらえたならやった甲斐があるってもんだ。
「スズちゃんなんて次の旅行先をガイドブックを見て選んだりしているんですよ」
「へー、さすがにそいつはちょっと気が早いんじゃないか」
「ふふっ、そうですよね。でもそれくらい楽しかったんですよ」
これは近いうちにまたどこか連れていくはめになるかもな。
「あっ、スズちゃんといえばさっきお城にスズちゃんに会いに来た方がいたんですよ」
「スズに客か? 珍しいな」
「はい。それに珍しい形のお召し物でした」
「どんな恰好だったんだ?」
その時アテナがドアに視線を向けた。
そして、
「こんな恰好でござるかな、お嬢さん」
ドアが開くと四十代半ばくらいの男が立っていた。
「あ、あなたはさっきの……」
「失礼したでござる。拙者、千代丸と申すでござる」
ござる口調の男、千代丸さんは俺を見ると、
「そなたがカズン王子どのでござるな」
「ええ、まあそうですけど」
なんでこの人は俺の部屋に来たのだろう。
スズに会いに来たんじゃなかったのか?
「おい、ミア」
「はい」
俺は千代丸さんに聞こえないように小声で、
「この人スズに会いに来たんだよな」
「はい。でもスズちゃんは買い出しに出てまだ帰ってきていないんです」
なるほど。だから俺の部屋に……ってなるかっ。
「あの、すいません千代丸さん? なぜ俺の部屋にいらしたんですか?」
というかどうやって俺の部屋に?
俺の部屋の前には一応兵士が常に一人は見張りについていて怪しい人間は通さないようになっているはずなのだが。
俺は千代丸さんを足の先から頭のてっぺんまでながめる。
くさりかたびらが胸のあたりからちらちらのぞいているし全身を忍び装束で固めていてさらには刀を背中に差している。
見るからに怪しい人間だ。
「そなたが今のスズのお屋形様だと聞いたので挨拶をと思ったのでござる」
「はあ、それはご丁寧にどうも」
「それであなたは一体スズの――」
千代丸さんはにこりと優しい笑みを浮かべると次の瞬間、背中の刀を抜き俺めがけて振り下ろした。
はらり、と前髪が数本落ちる。
ミアが口をぱくぱくさせている。
「なぜ避けなかったのでござるか?」
「いや、多分止めるだろうなと思ったからですけど」
もっと言うと当たっても大したことはないだろうと思ったからだが。
「では次は止めぬでござるよ」
千代丸さんが刀を構えた。
空気がピーンと張り詰める。
ミアが息をのむ。
するとそこへ、
「お師匠!」
スズが千代丸さんに後ろから抱きついた。
「おー、スズ。元気にしていたでござるか?」
「はい。お師匠もお変わりなく」
まるで親子のような二人に割って入るのは気が進まないが訊いておきたいことがあるからな。
「なあスズ、千代丸さんてお前の師匠なのか?」
「はい。忍びの里にいた時のお師匠です」
楽しそうに答えるスズ。
「でも前に忍びの里にお邪魔したときはいなかったよな?」
「はい。お師匠は任務であちこち飛び回っているので」
そういうことだったのか。
千代丸さんはスズの頭を撫で、
「鍛錬は積んでいるでござるか?」
「今は拙者はメイドの修行中です」
「メイド? それは強いのでござるか?」
「いえ、メイドは家事従事者のことです」
スズのその言葉で空気が一変した。
「スズ、構えるでござる」
「え、お師匠どういう――」
ダンッ!
千代丸さんが瞬間的に一歩踏み込んだ。
それと同時にスズが尻もちをつく。
「お、お師匠。いきなり何を……」
「何が起こったんですか?」
千代丸さんは踏み込みながらスズに三発の剣撃を浴びせたのだがミアには見えていなかったようだ。
「一発防御しきれなかったでござるな、スズ」
「お師匠……」
スズを見下ろす千代丸さん。
「決心したでござる。拙者はそなたを忍びの里に連れ帰るでござる!」
言い放った。
「ま、待ってくださいお師匠! 拙者はまだここにいたいのです!」
「ならぬ。そなたは弱くなってしまったでござる。それも全てはここでの生活のせいでござる」
「そんな……」
「さあ、帰るでござるよ」
スズの手を取り部屋を出ていこうとする千代丸さん。
「スズちゃんを連れていかないでください!」
そんな状況を見かねてミアがドアの前に回り込んだ。
「スズちゃんだってここにいたいって言っています」
「そなたには関係のないことでござる」
一蹴されてしまう。
ミアと目が合った。
あ……すがるような目で俺を見ている。
まいったな、そんな目で見られたら無視するわけにはいかないな。
「千代丸さん。スズの今の主は俺です。スズを連れていくなら俺の許可が必要なんじゃないですか?」
「なるほど。それも一理あるでござるな」
千代丸さんは歩みを止め振り返った。
「では拙者と勝負するでござる。もしカズン王子どのが勝ったらその時は潔く身を引くでござる。しかし拙者に勝てぬような弱い主ならスズを任せるわけにはいかないでござるよ」
「……わかりました」
こうして俺はスズの師匠の千代丸さんと戦うことになった。