エルメスの部屋の前を通り過ぎようとした時、中から怒鳴り声が聞こえてきた。
この声は……カルチェだ。
どうしたっていうんだ?
俺は行儀が悪いとは思いながらもそっとドアに近付き聞き耳を立てた。
「なんでカズン王子様が姉さんの恋人にならなきゃいけないんですかっ!」
「だからさっきから言ってるじゃない。恋人の振りだって」
「そんなことを訊いているんじゃないです! どうしてそういうことになったかを訊いているんです!」
「それはいろいろと――」
「しっ、姉さん静かに……」
? 話し声がやんだ。
「そこにいるのは誰っ!」
バン!
とカルチェが勢いよくドアを開け叫んだ。
「えっ、カズン王子様っ!?」
やば、盗み聞きしていたのがバレた。
「や、やあ」
「あら、カズン王子じゃないですか。もしかして恋人の私に会いに来てくれたんですか?」
エルメスがドアから顔を出す。
「恋人の振りは一日だけのはずだろ。っていうかなんでカルチェがそのことを知っているんだ、エルメス」
俺がエルメスの恋人に振りをしたことは誰も知らないはずだ。
「カルチェが昨日家に帰ったんだって。その時にお母様から聞いたみたいよ私の恋人がカズン王子だって」
「恋人の振りは置いといてなんで俺だってバレてるんだ? ちゃんと変装したのに」
「あなた一回マスク外したでしょう。それでお母様はあなたがカズン王子だって気付いたらしいですよ」
……あ、そういえば外したかも。
でもこんな簡単にバレるなんて。
「カズン王子様、なんで変装までして姉さんの恋人の振りなんてしたのですか? まさか姉さんに何か弱みを握られているとか……」
その通りなのだがそれはカルチェには言えない。言えば俺が偽物のカズン王子であることまで話さなくちゃいけなくなるからな。
「そんなことあるわけないだろ、カルチェ。俺はエルメスが困っていたからただの善意で協力しただけだ」
「本当ですか?」
上目遣いで確認してくる。
「ほーら、だから言ったじゃない。カルチェの早とちり~、天然~」
「姉さんは黙ってて」
カルチェはエルメスをキッと睨みつけると俺に向きを変えた。
「カズン王子様、何か悩みごとがあるんじゃないですか? よかったら私に話してください」
カルチェは大きな胸に手をそえた。
「悩みごと? そんなのないない」
「いえ、カズン王子様に何かあったのは間違いないです」
食い下がるカルチェ。
「カズン王子様はここ数週間でたしかにお変わりになられました。そのことになんらかの形で姉さんが関わっている、私はそんな気がしています」
うーん、勘の鋭い奴。
俺はエルメスに目で助けを求めた。
が、エルメスはツーンとそっぽを向いてしまった。
俺一人で解決しろということか。
「カルチェ、もし俺が変わったと思うのならそれは……カルチェやエルメスやミア、俺の周りにいるみんなのおかげだよ。俺はみんなのおかげで生まれ変わることが出来たんだと思う」
「……」
俺の目をじっと見るカルチェ。
ここにハーレクインがいたら嘘を見破られているところだな。
「そうですか。わかりました」
わかってくれたか。
「でしたら私にもカズン王子様のただの善意をお与えください」
「へ?」
どういうことだ?
「私に剣の稽古をつけてください」
「剣の稽古? 俺がか?」
「はい。姉さんの恋人の振りをするよりよほど気楽で簡単なことだと思いますが、だめですか?」
「い、いや。だめじゃないが」
「ではお願いいたしますカズン王子様」
「……ああ」
こうして俺はカルチェの剣の稽古に付き合うことになった。
「では明朝五時からということで。私はお先に失礼いたします」
そう言ってカルチェはエルメスの部屋を出ていった。
「おい、エルメス。どうしてくれるんだよ」
「私には何も関係ないでしょう」
「もとはと言えばお前が俺に変なこと頼むからこういうことになったんだぞ」
「いいじゃないですか別に。カルチェと剣の特訓するくらい」
エルメスは口を尖らせた。
「あのなぁ、俺はただのニートなんだぞ。剣なんてこの前初めて握ったんだからな。稽古つけてやる腕前なんてないことくらいお前も知ってるだろ」
それもよりによって相手が兵士長のカルチェなんて。
「だったら逆に教えてもらえばいいじゃないですか。そしたら今よりもっと強くなれますよ。というか逆に感謝してほしいくらいですよ。カルチェと二人きりになれるんですから」
「どういうことだよ?」
「だってさっきもカルチェの胸見てたでしょう」
そう言って目を細めるエルメス。
「な、な、なにをバカなことを。そんなわけ――」
「はいはい。童貞王子はさっさと出てってくださいねー」
エルメスが俺の背中を押す。
「おい、まだ話は――」
バタン!
とドアが閉められた。
鍵をかける音も聞こえた。
なんだってんだ全く。
カルチェと剣の稽古か……部屋に戻って素振りでもしとくか。
翌朝五時。
俺は部屋にミアあての書き置きを残し畑の隣の庭に出た。
「おはようございます、カズン王子様」
すでに来ていたカルチェが俺を見る。
「そんな軽装でいいんですか?」
そう。俺は胸当てや鎧などは身に着けずに普段着でやってきた。
「カズン王子様がお強いのは存じておりますがさすがに私をバカにしすぎではないですか。私はイリタール国の兵士長ですよ」
鎧を身にまとったカルチェが言う。
「バカになんてしていないさ。これでも内心ビビってるんだからな」
「怪我しても知りませんよ」
剣を俺に向けるカルチェ。
「お手柔らかに頼むよ」
カルチェの顔つきが変わった。
「はあっ!」
カルチェが飛び掛かってきた。踏み込みが早い。
俺は喉に突きをくらって後ろに倒れた。
「はっ! カズン王子様、大丈夫ですかっ?」
剣を投げ出し駆け寄るカルチェ。
「申し訳ありません! カズン王子様ならよけられるだろうと思い……」
「あーびっくりした」
俺は立ち上がる。
「カ、カズン王子様!? なんともないのですか?」
「ああ、ちょっと油断しただけだ。俺の体は鋼鉄のように硬いからさっきみたいに思いっきりきてくれて構わないからな」
「は、ははは。すごいですね、カズン王子様は。で、ではいきますよっ!」
カルチェとの剣の稽古は二時間にも及んだ。
「今日はそろそろ終わりにしようか」
「はぁ、はぁ。何者なんですか、あなたは。はぁ、まるでドラゴンを相手にしているようです。はぁ、はぁ、何度か有効打を当てているのに傷一つつかないなんて。はぁ、さすがにへこみます」
「いやあカルチェの剣技には驚かされたよ」
俺の超スピードをもってしても完全にはよけきれないのだから。
俺は鋼鉄のような肉体で安全圏にいながら剣の稽古をすることが出来た。
俺がカルチェに稽古をつけるはずがなんだか逆になってしまったな。
ただカルチェのおかげで剣の使い方もだいぶわかってきた。
「あと一度だけお願いいたします」
カルチェが頭を下げる。
「ああ、いいぞ」
「いきます」
カルチェは剣を鞘におさめた。
? 何をする気だ?
ザッ
足元の砂を蹴り上げる。
一瞬カルチェの姿が消えた。
と思ったら目の前に現れる。
高速で鞘から剣を引き抜くカルチェ。
これは居合い切りだ。
俺はそれを剣で受け止め、弾き飛ばした。
素手になったカルチェの腹に一撃入れると、くの字になり頭が下がっったところめがけて剣先を仮面に引っ掛け真上に飛ばした。
「ぐっ」
腹を押さえよろめくカルチェ。
「あっ、危ない」
よろめいて畑に倒れこみそうになるカルチェを抱き寄せた。
ふぅ……間一髪だった。
せっかく芽が出てきたところなんだからな。
「はぁ、はぁ、あ、あの、もう大丈夫ですから」
とカルチェが俺の腕の中で言う。
「おお、悪い」
俺から離れると落ちた仮面を拾い上げ、胸に手を置き息を整えるカルチェ。
「最後は卑怯な真似をして申し訳ありませんでした」
「いや、あれも真剣勝負ならあり得ることだからな。まあ、びっくりはしたけど」
生真面目なカルチェがあんなことをしてくるとは正直思わなかった。
兵士長としてそれほど一矢報いたかったのかもしれない。
「明日も稽古するか?」
「……いえ、結構です。これではカズン王子様がさらにお強くなるだけですから」
「そっか。今日はありがとうカルチェ」
「こちらこそありがとうございました、カズン王子様。私は汗を流してから職務に就きたいと思います。では失礼いたします」
そう言ってカルチェが去っていく。
はぁ疲れた。
俺は畑にたっぷり水をやると部屋に戻った。