翌朝。
トントン
ミアがドアを控えめにノックする音だ。ミアのものはわかるようになってきたぞ。
「カズン様おはようございます。失礼します」
ドアを開けるミア。
「あっ、すみません。起きていらっしゃったんですね。てっきりまだいつものように寝ていらっしゃるかと……」
ミアがシーツやタオルを数枚抱えて部屋に入ろうとしてから身を引く。
「大丈夫だから、入ってきていいよ」
「は、はい。では失礼します」
昨晩はあんなことがあったせいで興奮して一睡も出来なかった。
ついさっきまで気晴らしに筋トレをずっとしてたから体中がぎしぎしと悲鳴を上げている。だが俺にとってはそれもまた嬉しい悲鳴だ。
ミアが寝室に行こうとしたので俺は、
「あー、ベッドメイクならいいよ。昨日は使ってないから」
と引き留めるとミアは不思議そうに、
「え? 使ってないんですか?」
と返した。
「ああ、昨日はずっと筋トレしてたんだ」
「筋トレ? ですか?」
なおも不思議そうに訊き返すミア。
なんでそんなぽかんとした顔をしているんだろう。
……あー、そうか。昨日は俺が夜伽を受けたと思ってるのか。
ここの王子はそういう奴だったな。
「なあミア。俺は当分夜伽は受けないことにしたから。もし国王と話す機会があったらそう伝えておいてくれないか」
「え、そうなんですか……何か体に良くないものでも召し上がりましたか?」
「いやいや、そうじゃないよ。平気」
ミアのカズン王子に対するイメージはあまりいいものではないらしいな。
「それから国王様の件ですが、わたしごときがおいそれと口をきけるようなお方ではありませんのでご容赦ください」
そうなのか。うーんまいったな。
国王の部屋がどこにあるかなんて訊ねたらまた変に思われるだろうし。
……またエルメスのところに行くしかないのかなぁ。
いっそ記憶喪失って設定にでもしてればよかったのに。まあそれはそれでおおごとか。
「失礼します」
ミアが朝食を持ち運んでくれてからお辞儀をして部屋を出ていく。
この世界に来て一日半。もといた世界では俺がいなくなってどうなっているのだろうか。
父さんと母さんは心配しているだろうか。
警察沙汰にでもなってなければいいが。
いや、意外と案外俺がいなくなってせいせいしてるかもしれないな。
……そう考えて少し寂しい気分になった。
そんな精神状態だったから俺は無意識に力を入れすぎてしまったのかもしれない。
くにゃ
右手に持ったスプーンが溶けたチョコレートのようにくにゃりと曲がった。
「うおっなんだこれ!?」
ずいぶん柔らかいスプーンだ。
……まさかと思いつつフォークも手にしてみた。ほんの少しだけ力を込める。
すると、
くにゃ
フォークもスプーンのようにへの字に曲がってしまった。
「どうなってんだ一体?」
「それは重力差によるものです」
エルメスが口を開けた。
ここは宮廷魔術師エルメスの部屋。
俺はいてもたってもいられず朝食もそこそこにエルメスの部屋を訪ねた。
「重力差?」
「ええ。この世界の重力はあなたがいた世界の約十分の一ですから。はっきり言ってあなたはこの世界では超人です」
そういえばこっちの世界に来てから体が妙に軽いなとは思っていた。
「これを全力で投げてみてください」
エルメスが消しゴムを放り投げてよこす。
「消しゴムを投げてどうするんだ?」
「回り込んでキャッチしてみせてください」
回り込む?
「そんなこと出来るわけな――」
「今のあなたなら出来ますよ。さあ早く」
エルメスに言われ半信半疑ながらも前に向かって全力で消しゴムを投げた。
そして次の瞬間、
バシィッ!
「で、出来た……」
俺は自分自身のスピードに驚きエルメスを見上げた。
エルメスはふんと鼻を鳴らし、
「しかもただでさえ超人なのに、あなたはもとの世界でもトップクラスの筋力の持ち主でしたからあなたがその気になれば一国を相手に素手で闘えると思いますよ」
「……それはマジか?」
「大マジです」
エルメスは真剣な顔で俺をみつめる。
「ですからあなたがよからぬことを考えないことを願っています」
「はあ……」
俺はしばらく開いた口がふさがらなかった。