「七百五十六、七百五十七、七百五十八……」
カーテンを閉め切った部屋にはつけっぱなしのテレビが流れている。夕方のニュース番組だ。
だが、外の世界で何が起ころうと俺には全く関係ない。
俺にとって世界はこの部屋だけなのだから。
「……八百っと。ふぅ」
俺はぶら下がり健康器具で日課の懸垂をこなすと一息ついた。
タオルで汗を拭う。
部屋の明かりをつけてからテレビを消すと俺はそっと部屋のドアを開けた。
そして階段をゆっくり下りると足音を立てないように台所に行き、冷蔵庫を慎重に開ける。
中から牛乳を取り出し粉末状のプロテインの入ったシェイカーに注ぐ。
「牛乳飲むの?」
冷蔵庫を閉じたところで母さんが目の前に立っていた。穏やかな表情をしている。
「ああ、うん」
「お母さんも飲もうかしら」
「あ、じゃあ入れるよ」
俺は適当にマグカップを掴むと牛乳をそれに注いだ。
「はい」
「ありがとう、勇気」
台所を出ようとして再び母さんに声をかけられた。
「あ、そうそう勇気、晩ごはん何がいい?」
「なんでもいいよ」
俺は早々に会話を切り上げると自分の部屋へと戻った。
「……ふぅ」
ドアを閉め鍵をかける。
俺は秋月勇気、二十五才。無職。
大学卒業後、就職に失敗してからは職探しをしていない。
いわゆるニートだ。
ニートなんてテレビみるくらいしかやることないからついつい気晴らしに筋トレばかりしている。
父さんは地方公務員。母さんは専業主婦。夫婦仲はまずまず。
母さんは専業主婦なので日中は家にいることが多い。だから自然と母さんとは顔を合わす機会も多くなる。
お互い気まずくならないように、両親とは俺は極力顔を合わさないように気を付けている。
二人とも俺に対して「仕事をしろ」なんてことは言わないが今のままでいいなんて思っているはずもない。
まさに今の俺たちは微妙な均衡状態を保っているという感じだ。
「ただいまー!」
「おかえりなさい、あなた」
しばらくすると父さんが帰ってきた。
階段の下で父さんと母さんが談笑している。
俺は聞き耳を立てた。
「……」
「……」
……うん、どうやら俺の話題ではないらしいな。
俺はほっと胸をなでおろす。
いつからだろう俺は二人の会話を盗み聞きするようになってしまっていた。
こんな自宅で忍者みたいな生活をもう三年も過ごしている。
おかげで部活動をしていた学生時代よりも筋骨隆々のたくましい体になってしまった。
晩ごはんを自分の部屋で済ました俺は隙を見て台所に行き、さっと食器を洗うとまた部屋に戻った。
「最近はクイズ番組ばっかりだな……」
テレビに嫌気がさしてリモコンの電源ボタンを押すと俺はベッドに寝転んでそのまま腹筋を始めた。
ここから二時間腹筋をし続けた。
「……はぁ。そろそろいいかな」
俺は風呂に入ろうと一階へと下りていく。
風呂は二人が出た後、夜遅くにゆっくり入る。
一日の疲れを癒すためだ。といっても筋トレしかしていないのだが。
洗面所の鏡の前で裸になる。
「我ながらすげー体だな」
全身の筋肉が盛り上がった体。
だがこの肉体を生かす機会などニートにはない。
もったいない気もする。
「ふぅ」
湯船に肩までつかり目を閉じた。
筋肉痛が治まっていくようだ。
「はぁ……気持ちいい」
疲れが吹っ飛ぶなぁ。
気を抜くと眠りそうになる。
すると突然。
「うわっ!?」
風呂の底が抜けたような感覚になった。
ずぶずぶと体がお湯の中に深く沈んでいく。
「ごぼぼぉぉ!?」
なんだこれ!? 溺れる。
なんとかしようと必死でもがくが、体は深く深く落ちていく。
意識も落ちそうだ。
次第に気が遠くなっていく。
まずい……これ……ほんとに……死ぬ…………かも…………。
「ぶふぁああぁぁ!? げほっ! げほっ!」
お、俺、生きてる?
「ごほっ、げほっ」
周りが湯煙でよく見えない。
でも……家の風呂となんか感じが違うような。
「けほっ、こほっ」
湯煙がだんだん晴れていく。
ここって……プール? いや大きな風呂か。
「……国王様、無事召喚成功いたしました」
「おお、よくやったぞエルメス」
前方から声が聞こえる。
……国王様? エルメス? 誰だ?
湯煙が消えて完全に視界が開けた。
俺の目の前には王冠を被り、マントを羽織った王様然とした初老の男性ととんがり帽子をかぶった髪の長い美女が立っていた。
「おお! エルメスよ、すごいぞ! わしでも見分けがつかんくらいに似ておる!」
「当然です国王様。私があらゆる世界の中からカズン王子にそっくりな人間を見つけ出したんですから」
俺を見ながら喜び合う二人。
誰なんだこの人たちは? っていうかここはどこだ?
すると初老の男性は俺と目が合うなりこう言い放った。
「おほん、えーお主には今よりこの国の王子に成り代わってもらう。これは国王命令である」