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第20話

「今回の依頼は断る。キャンセルだ」

「……なんで?」

 本当に理由がわからないといった顔で訊いてくるミネルバ。

「実験台だなんて聞いてなかったからだ」

 頑強さには自信があるがミネルバの作った得体の知れないものを摂取することには抵抗がある。

「……依頼料の話まだしていない」

「報酬がいくらだろうが受ける気はないよ、悪いな」

「……そう」

 ミネルバはそう言うとすとんと床に座り込んだ。俗にいう体育座りだ。

「じゃあ俺、帰るけど」

「……わかった」

 こっちを向くこともなく床の一点をみつめながら返す。

 相手が十代半ばの小柄な女の子ということもありなんだか俺が悪いような気がしてくる。

 俺は家を出ようとするが、

「……」

 立ち止まって今一度考える。

「……ちなみに報酬はいくらなんだ?」

「……実験が成功したら金貨五枚」

 ミネルバは俺を見上げ言った。

 その顔は捨てられた子猫のようだった。

 うーん……今ギルドに戻ったところでEランクの冒険者が受けられそうな依頼はないんだよな。

 だったら……。

「ミネルバ、やっぱり気が変わった。その実験に付き合ってやるよ」

「……ほんと?」

「ああ、ただし絶対成功させろよ」

「……それは約束できない」

「あのな、こういう時は嘘でもわかったって言うもんだぞ」

「……わかった」

 こうして俺は我ながら甘いと思いつつも錬金術師ミネルバの実験に付き合うことにしたのだった。


「それで作りたいのは惚れ薬なのか?」

 研究室に移動した俺はミネルバに訊ねる。

「……そう」

「好きな人でもいるのか?」

「……いない」

「じゃあなんでそんなもの作るんだよ」

「……錬金術師だから」

 理由になっているのかいないのかわからない答えを返すミネルバ。

 もしかして照れ隠しのつもりだろうか。

「まあいいや、それで俺はどうすればいい?」

「……わたしが作ったものを飲んでくれればいい。成功したらあなたはわたしのことが好きになる」

「一応訊くけどその効果ってちゃんと切れるんだよな?」

「……?」

 ミネルバは不思議そうに首をかしげた。

「いや、永遠にその効果が続いたら俺一生お前のことを好きになったままじゃないか。それは困るぞ」

「……大丈夫。効果は一日だけ」

「本当だろうな」

「……任せて」

 ミネルバは自信ありげに自分の胸をぽんと叩く。

「はぁ~、わかったよ。信じる」

「……じゃあこれ飲んで」

 言うとミネルバは棚にあったピンク色の液体の入った瓶を取って俺に差し出した。

「賞味期限とか平気だろうな……ったく」

 俺は文句を言いつつもそれを一気に口の中に流し込む。

「ぷはっ、まっず……これ味どうにかならないのか?」

「……ならない。それよりどう? わたしのこと好きになった?」

 ミネルバが俺をみつめてくるので俺もじっと見返すが恋愛感情など一切芽生えてはこない。

「いや、全然」

「……じゃあ次、こっち飲んで」

 ミネルバはまたもピンク色の液体の入った瓶を渡してくる。

「はいはい……ぅっ、苦いっ」

 俺はこの後もミネルバの作った惚れ薬もどきを飲み続けた。

 棚にあったストックがなくなるとミネルバは新しい惚れ薬作りに精を出す。

 俺はそんなミネルバの作った惚れ薬を次々と飲み干していった。

 だが一向に効果は表れない。


 ――そして三時間が過ぎ、

「わ、悪い、もう無理。お腹いっぱいだっ」

 俺はお腹がたぷんたぷんになりギブアップを宣言した。

「うっぷ……今日はもうやめにしよう」

「……わかった。じゃあまた明日来て」

「ああ……そうするよ」

 俺は飲んだ惚れ薬を吐き出さないようふらふらになりながらも、慎重に宿屋へと帰っていくのだった。


 次の日もその次の日も俺はミネルバの作った惚れ薬を飲み続けた。

 だが惚れ薬の効果はまったく表れない。

 惚れ薬を完成させることなど出来ないのではと半ば諦めの念を抱いていたところ俺に突如異変が起こった。

 それは実験を始めてから五日目の昼。

 ミネルバを見ると胸の鼓動が高鳴り顔が熱くなる。

 ミネルバのすべてがいとおしく思えてくる。

「な、なあ、ミネルバ。も、もしかしてだがこれって効き目が出てるんじゃないのか?」

「……わたしのこと好き?」

「あ、ああ。不本意だがそんな気持ちでいっぱいだ」

「……完成した」

 ミネルバはむふーっと満足げに鼻を鳴らした。

 俺が飲んだものと同じピンク色の液体の入った瓶を高々と掲げる。

「なあ、これ一日で効果は切れるんだよな」

「……そのはず」

「は、はずだと困るんだけどな」

「……わたしは行くところがあるからあなたはここで待ってて」

「お、おう。わかった」

 惚れている弱みからかいつもみたいに上手く話せない。

 好きな女子と二人きりになってしまった男子中学生のようだ。

 俺は家を出ていくミネルバの背中をみつめながら「い、いってらっしゃい」と優しく声をかけるのだった。


「……ただいま」

 一時間ほどしてミネルバが袋を抱きかかえて帰ってきた。

「な、なんだそれは……?」

「……お金」

「お金?」

「……そう」

 ……いやいや、説明があまりにもなさすぎる。

 もっと詳しく話してくれ。

「お金って、まさか惚れ薬を誰かに売ったのか?」

「……そう」

「そうって……お、お前、惚れ薬を作るのは自分が錬金術師だからみたいなこと言ってたじゃないか」

「……?」

「いや、言ってただろ」

 惚れ薬なんてものを世に売り出して平気なのか?

 悪用でもされたらまずいんじゃ……。

「ちなみにいくらで売ったんだ?」

「……金貨二百枚」

「に、二百枚っ!? マジかよ」

「……これ、あなたの分」

 ミネルバは袋の中から手づかみで金貨を五枚取って俺によこしてきた。

「な、なあ、ちょっと待ってくれ。作るのに協力してた手前言いにくいんだが、惚れ薬なんて厄介なものは売ったりしない方がいいんじゃないか?」

「……なんで?」

「ほ、ほら、何か犯罪めいたことに使われるかもしれないだろ。そうなったらお前も共犯みたいなものだぞ」

「……」

 ミネルバは押し黙る。

 何か考えているようだ。

「……でも売らないとあなたに報酬を払えない」

「ほ、報酬か……う~ん」

 報酬はたしかに欲しいが惚れ薬が悪用されるのは見過ごせない。

 俺も片棒を担いでいるようなものだしな。

「わ、わかった。今回の報酬はなしでいい」

「……いいの?」

「あ、ああ。その代わり誰に売ったのか教えてくれ。今からお金を返しに行こう」

「……わかった」

 ミネルバは納得した様子で金貨の入った袋を俺に差し出した。

 どうやらミネルバはお金が欲しかったというわけではなく、単に俺に報酬を支払うために惚れ薬を売ったようだった。

 なので二百枚もの金貨にも未練は一切なさそうだった。

「で、誰に売ったんだ?」

「……ドラチェフって人」

「え?」


 俺はミネルバと騎士宿舎に向かうと、ランドに取り次いでもらってドラチェフさんを呼び出す。

「やあ、クロクロくん。どうしたんだい?」

「ドラチェフさん、この子から惚れ薬買いましたよね」

「なっ、ど、どうしてそのことをっ!?」

「惚れ薬まだ使ってませんよね。ってことでお金は返しますから惚れ薬返してください」

「だ、駄目だよっ。こ、これはグェスちゃんと付き合うために僕が手に入れたものなんだからっ」

 ドラチェフさんは手に持っていた瓶を慌てて後ろに隠す。

「ドラチェフさん、まだグェスさんのこと諦めてなかったんですか? 俺に負けてもう付きまとわないって言ってましたよね」

「うっ、そ、それは……」

 するとミネルバが、

「……それ、失敗作。惚れ薬完成できなかった」

 口を開いた。

「し、失敗作なのかい? これ?」

「……そう」

「でもさっきは完成したって……」

「……それ、飲んでも気分が悪くなるだけ。だから返して」

「そ、そうなのかい……だ、だったらしょうがないね」

 そう言うとドラチェフさんは瓶をミネルバに渡した。

 そして俺の持っていた金貨の入った袋を受け取る。

「……惚れ薬、わたしには作れそうにない。ごめんなさい」

「い、いいよ。僕もクロクロくんに言われて目が覚めたからね。もう忘れてくれたまえ」

 ドラチェフさんは少し残念そうにしながらも騎士宿舎に戻っていった。

「悪かったな、お前に謝らせて」

「……別にいい」

「そ、そっか」

「……じゃあわたしは帰るから」

 俺の言葉にミネルバはそう返すと一人家へと帰っていく。

 その小さな後ろ姿を見て、無性にいとおしく思えたのは、きっと惚れ薬の効果がまだ続いていたからだろう。

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