「結婚……? グェスさん、もしかしてその方はグェスさんの恋人ですか?」
俺が訊くと、
「と、とんでもないっ。この人が勝手に言っているだけですっ。私に恋人なんていませんからっ」
顔をこれでもかと横に振るグェスさん。
そっか、恋人じゃないのか。
じゃあこの人はなんなんだ……?
俺の視線を察してかドラチェフさんが話し出す。
「わたしの名はドラチェフ。グェスちゃんとはノベールの町で出会ってね、わたしの完全な一目惚れってやつだよ。でもわたしとグェスちゃんは一緒になる運命だと思っているけどね」
「は、はあ、そうですか……」
いわゆるストーカーか。
この世界にもストーカーはいるんだな。
「そんな運命ありませんっ」
グェスさんの声を無視して、
「ところできみは誰なんだい? お客さんかな? だったら悪いけど帰ってもらえないだろうか。わたしはグェスちゃんと二人きりになりたいんでね」
とドラチェフさん。
見たところ年は四十前後だろうか。
「そう言われても俺もここの住人なんで」
「ん、住人? ま、まさかきみはグェスちゃんと一緒に住んでいるんじゃないだろうねっ」
「住んでますけど」
「な、なにぃぃーっ!?」
ドラチェフさんは体をそり返しながら驚いてみせた。
「そ、それはどういうことなんだいグェスちゃんっ。わたしというものがありながらこんな男と同棲だなんてっ!」
「私はドラチェフさんともクロクロさんともなんの関係もありませんから、変なこと言わないでくださいっ」
「クロクロっ!? 彼の名前はクロクロというのかいっ」
ドラチェフさんは俺に向き直る。
「クロクロくんっ、こうなったらグェスちゃんをかけて勝負をしようじゃないかっ! 勝った方がグェスちゃんと一緒に暮らせる、それでいいねっ!」
「……はい?」
「ちょ、ちょっとドラチェフさん、馬鹿なこと言わないでください! あなたは騎士団長なんですよ、なのに一般人のクロクロさん相手にそんなこと――」
「止めないでくれグェスちゃん、これは男と男の真剣勝負なんだ!」
俺を前にしてグェスさんとドラチェフさんが言い合う。
そして、
「クロクロくん、そういうことだから明日の午前十時この村で勝負だっ! もし勝負を放棄したらその時は不戦敗でグェスちゃんはわたしがいただくからねっ」
そう俺に向かって宣言するとドラチェフさんは颯爽と消えていった。
「あの、グェスさん。これは一体……?」
「本当にごめんなさいっ。わたし何故かあの人に気に入られちゃったみたいで、本当はノベールの町を出てきたのもあの人から逃げるためだったんです」
「あー、そうだったんですか」
それは気の毒に……。
「明日の十時か……まあいっか」
「えっ? もしかしてドラチェフさんとの勝負受ける気なんですかっ?」
「はい。だって俺がやらないと不戦敗になってあの人グェスさんをどうするかわからないですよ。それでもいいんですか?」
「そ、それはすごく困りますけど……でもドラチェフさんってロレンスの町の騎士団長なんですよ。いくらクロクロさんが強いといっても相手が悪すぎます」
グェスさんは心配そうに俺をみつめる。
「うーん、多分ですけどなんとかなると思いますよ。俺に任せといてください」
「クロクロさん……」
不安げな顔をしているグェスさんをよそに俺はまた昼寝をするためそれだけ言うと部屋に戻るのだった。
翌日の午前十時。
「よく逃げなかったね、それは褒めてあげるよ」
鎧で身を固めたドラチェフさんが右手に持った剣の剣先を俺に向けて言う。
「逃げたりなんてしませんよ。ここでの生活はかなり気に入ってますからね」
「ふーん、そうなのかい」
ドラチェフさんは俺の後ろの方にいるグェスさんを一瞥してから周りを見回した。
「たしかに田舎臭いところがきみにはお似合いだね」
皮肉のつもりなのかそう口にする。
俺はまったく気にならないが。
ちなみにこの勝負は村の全員であるおよそ百人が見守っていた。
というのもドラチェフさんが約束の時間の三十分前に来て村の中を告知して回ったからだ。
ドラチェフさん曰く証人がいないとあとで約束を反故にされるかもしれないから用心のためだということだったがそれはこちらとしてもありがたい。
「ところでクロクロくん、きみの武器はどこにあるんだい?」
「いや、ないですけど」
「ない? まさかこのわたしと素手でやり合おうっていうんじゃないだろうね? 防具もつけていないようだし」
「駄目ですか?」
そもそも俺は武器など持ってはいないし扱ったこともない。
もちろん防具も持ってはいない。
「き、きみねぇ……わたしは自慢じゃないけどロレンスの町の騎士団長だよ。以前はセルゲア国の国王直属の護衛軍にいたことだってあるんだ。そのわたしと素手でやるだって? ふははは、冗談はよしたまえ」
「気を遣ってもらって悪いですけど多分いい勝負が出来ると思いますよ。俺結構強いんで」
「ふ、ふんっ、そうかい。きみは相当な馬鹿のようだね。でもそこまで言われたらわたしも手加減はしないからね……死んでもしらないよ」
「はい、わかりました」
俺が返すとドラチェフさんは近くにいたカレンを指差し、
「そこの少女、開始の合図をしてくれるかな」
と声をかけた。
「いいよー。じゃあ、よーいスタートっ!」
カレンの声をきっかけにドラチェフさんが動く。
右手を伸ばして剣で俺の顔を狙って突いてきた。
本当に手加減はしていないようだ。
俺はそれを難なく左にかわす。
するとドラチェフさんは続けてその剣を右に大きくなぎ払った。
俺は今度は後ろに体を反らしてその剣撃を避ける。
「しゃっしゃっしゃっ!」
フェンシングの攻撃のようにドラチェフさんは何度も剣で突いてくる。
だが俺はそれらの攻撃をことごとくかわしていった。
多分ドラチェフさんはかなり強い。
これまで戦ってきたどの魔物たちよりも。
ただそれでもこの俺には遠く及ばない。
ドラチェフさんの攻撃はすべて見えるし避けられる。
もし仮に当たったとしても致命傷にはならないだろう。
この世界のものは俺からすればすべてが柔らかく出来ているのでたとえ真剣でさえも俺の体を貫通することはかなわない。
ちょっとばかり卑怯な気もするが恨むなら俺をこの世界に転移させた神様を恨んでくれ。
「はぁっ!」
俺はドラチェフさんの左胸の辺りを鎧の上から思いきり殴りつけた。
「がはぁっ……!」
鎧が砕け散ってドラチェフさんが宙を舞う。
剣を手放し地面にどさっと倒れるドラチェフさん。
村人たちが静かに見守る中、
「……」
ドラチェフさんは身動き一つしない。
……死んでないよな?
と、
「……ぐ、ぐぅっ……」
ドラチェフさんが膝に手をつきながら立ち上がった。
よろよろとふらついている。
「大丈夫ですか? ドラチェフさん」
「あ、ああ……だが立っているのがやっとだよ。く、悔しいがわたしの負けだな」
そう言って悲しそうな顔をする。
「敗者は去るよ……ありがとう、クロクロくん」
足を引きずるようにして去っていくドラチェフさんを見て「なんかちょっとだけ可哀想だね」とつぶやくカレン。
俺はその言葉を聞いてグェスさんに歩み寄る。
「これでよかったんですかね?」
「……はい、これでよかったんです。クロクロさんありがとうございました」
グェスさんは深々と俺にお辞儀をした。
決着がついて村人たちが田畑に戻っていく。
パトリシアさんとカレンもいなくなった中、グェスさんだけは何故かその場に残ってただ遠くをじっと眺めていた。