八歳の少女のお世話になるとはなんとも情けない話ではあるが、この世界のことを何も知らない上にお金も持ち合わせていない俺としては、カレンの厚意に素直に感謝するべきだろう。
それにさっきのゴブリンとやらがまた襲ってこないとも限らない。
カレンの護衛役という意味も兼ねて一緒に行動したほうがいいはずだ。
俺は自分にそう言い聞かせ、カレンとともに森を抜け出た。
「ほらっ、あそこにある村がベータ村だよっ。急ごっ」
「おい、走ると危ないって」
俺は一人駆け出したカレンのあとを追うようにベータ村へと足を踏み入れるのだった。
「カレンっ、あんたどこ行ってたんだい! まさかまた一人で村の外に出てたんじゃないだろうね!」
カレンに連れられて向かった村の小さな医院。
そこの院長でもあるカレンのお母さんがカレンを怒鳴りつける。
「そ、それは……」
「何度も言ってるだろ、村の外は魔物が出るから一人で出ちゃ駄目だって!」
「だってだって、暇だったんだもん」
「まったく無事だったからいいようなものの……それでこっちの人は誰?」
カレンのお母さんは俺に向き直った。
さっきまでカレンを叱っていたので表情がやや険しい。
「あ、俺はですね、黒――」
「クロクロだよっ」
カレンが俺の言葉を遮って言う。
「クロクロ?」
「そう、クロクロ。わたしがゴブリンに追いかけられてた時に助けてくれたんだよっ」
「あんた、やっぱり危ない目に合ってるじゃないのっ」
「へぇ~ん、ごめんなは~い」
カレンはカレンのお母さんにほっぺたをつねられながら口にした。
「クロクロさんだっけ? ありがとうね、この子を助けてくれて。あー、あたしはこの子の母親のパトリシアだよ、よろしくね」
「あ、はいこちらこそ」
俺はパトリシアさんと握手を交わす。
「あたしが仕事で構ってあげられないからってこの子しょっちゅう村を抜け出しちゃうのよ。この村にはこの子と同い年の子どもがいないからつまらないのはわかるんだけどねぇ」
「そうなんですか」
「それでクロクロさんはどこの人なの? 恰好からするとどっか遠くの方から来たのかい?」
「あ、それが実は――」
「ううん。クロクロは記憶喪失なんだよっ」
またもカレンは俺より先に答えた。
「記憶喪失っ? そりゃ大変じゃないか。早速あたしが診てやるよ」
「でも俺お金持ってないんです」
「いいわよ、お金なんて。カレンの恩人だもの。それに今はお昼休憩中だからちょうどいいわ」
「わぁ~い、やったねクロクロっ」
「あ、ああ……すみませんじゃあよろしくお願いします」
こうして俺はパトリシアさんに診察してもらったのだが、もちろん異常はなかった。
当然だ。俺は記憶はばっちりあるのだからな。
「う~ん、これは時間が解決してくれるのを待つしかないかもね。ごめんねクロクロさん、なんの役にも立てなくって」
「いえ、全然大丈夫ですよ」
パトリシアさんの申し訳なさそうな顔を見てこっちこそ申し訳なくなる。
俺は罪悪感を振り払うように何度も首を横に振った。
「クロクロ残念だったね~」
「あ、ああ。でも別に気にしてないさ。記憶がなくてもなんとかなるよ」
俺はカレンの頭の上にぽんと手を置くとそう返す。
「クロクロさん、今日泊まるところはあるのかい?」
「いえ、ないですけど」
「だったらうちに泊まっていきなよ。狭い家だからもしクロクロさんさえよければだけどさ」
「え……」
「そうだよクロクロっ。それがいいよっ。うちに泊まってって」
パトリシアさんとカレンにみつめられ俺は「いや、でもさすがにそれは悪いですよ」と口に出す。
ゴブリンを一匹倒したくらいでそこまでお世話になるわけにはいかない。
「別に悪くなんかないさ。カレンの恩人をただで追い返したとあったら天国の旦那に顔向けできないしね」
「そうだよ。泊まっていきなよ~」
カレンが俺の腕を掴んで横に振る。
「は、はあ……本当にいいんですか?」
「ええ、もちろんよっ」
「じゃ、じゃあお言葉に甘えて」
「やったーっ。クロクロお泊りだーっ」
こうして俺はパトリシアさん、カレン母子の家に今日一日だけ泊めてもらうことになった。
「カレン、あたしは午後も診察があるから先にクロクロさんを家に案内してあげといてねっ」
「は~い!」
俺はカレンに連れられベータ村唯一の医院を出るとカレンの家に向かう。
その途中何人かの村人とすれ違いその度に、
「こんにちはー」
とカレンは挨拶していった。
俺もカレンに合わせて村人に挨拶をするとみんな笑顔で返してくれた。
小さな村というとよそ者にはどこか冷たいという偏見があったが、穏やかで温かい雰囲気のある村だ。
「なぁ、カレン」
「な~にクロクロ?」
前を歩くカレンが振り返る。
「この村に空き家ってあるかな?」
「空き家? う~ん、どうだったかな~……あっ、そういえば村はずれのグェスさんがこの前大きな町に引っ越したからその家なら空いてるよ」
「本当か? その家に住めないかな?」
「え、う~ん、わかんない」
カレンはふるふると首を横に振った。
さらさらとした髪が揺れる。
「お母さんならわかるかも」
「そっか。じゃあ夜にでもパトリシアさんに訊いてみるかな」
「うん。それよりクロクロ、あそこがうちだよっ」
カレンが指差す先には木造の平屋の建物があった。
決して大きくはないが新築のようにきれいな一軒家だった。
カレンは俺の手を取ると「入って入って」と家の中に引っ張り込む。
「へー、中は結構涼しいんだな」
「そうだよ。なんとか造りっていって夏は涼しいし冬はあったかいの。この村の建物はみんなそのなんとか造りなんだよ」
「ふーん、そうなのか」
この村は住むには快適そうだ。
村の様子を見た限り、自給自足である程度生活できているようだし、俺もこの村に住めたらいいなぁ。