俺の名は黒岩蔵人。当年とって二十六歳。
そこそこ名のある大学を卒業後都内のテレビ局に入社した俺は、アシスタントディレクターとして毎日激務に追われる日々を送っていた。
今日も今日とて、
「黒岩、早くしろっ。いつまでちんたらやってんだ、のろまがっ!」
「はい、すみませんっ!」
こわもてディレクターの怒鳴り声がフロアに響き渡る。
「それもういいから後回しにして先画用紙買ってこいっ!」
「はい今行きますっ!」
テレビ業界の仕事に憧れて自ら飛び込んだ世界だったが、およそ令和時代とは思えないブラックな職場環境で馬車馬のように働かされ、目の回るような忙しさにほとほと疲れ果てていた俺は――
キキィィィィ――!!
「おいっ、誰か轢かれたぞっ!」
「救急車だっ! 誰か救急車を早くっ!」
――信号無視して走ってきていたトラックに気付くことなく撥ね飛ばされてその短い生涯を閉じることとなった。
ハズだったのだが……。
気付くと、俺は辺り一面真っ白な空間に立っていた。
目の前の神様曰はく、ここは天界だそうだ。
「異世界に、転移ですか?」
「そうじゃ。お主を生き返らせて異世界に送ってやるわい、そこで第二の人生を楽しむがよい。嬉しいじゃろ?」
「え……よくわからないんですけど」
というかそもそもこのおじいさんは本当に神様なのだろうか?
俺の怪訝な顔を見て、
「なんじゃ、わしが本物の神かどうかを疑っておるのか。ついさっきトラックに撥ねられて死んだお主が平然とそこにおるのが何よりの証拠じゃろう」
神様が口にした。
「は、はあ……まあ」
確かに俺はトラックに撥ねられて死んだ。
そこまでははっきりと憶えている。
「では話を戻すぞい。お主は生前献血や募金、ボランティア活動に熱心に取り組んでおったの、そこでじゃお主を生き返らせて異世界に転移させてやろうと言うておるのじゃ」
「異世界ですか……」
「なんじゃ、不満か?」
神様は眉を上げる。
「い、いえ、不満じゃないです」
本当は生きることに少々疲れていたので無理に生き返らせてもらわなくてもよかったのだが下手なことを言って地獄行きになるのは避けたい。
「ならばお主を異世界に送るぞい。あー、それとお主の転移先の異世界の重力はお主がいた世界の重力の十分の一ほどしかないからのお主はそこでは超人じゃ、何事にも加減せいよ。では行くぞい」
「えっ、それってどういう……?」
俺の問いには答えず神様は、
「……」
俺に向けて手を伸ばすと呪文のような言葉をつぶやいた。
すると次の瞬間俺の体が金色に光り輝き、
「うっ……」
俺はそのあまりのまぶしさにたまらず目をつぶった。
そして次に目を開けた時、俺はどこぞの森の中にいた。
「こ、ここが異世界……?」
周りを見回すが異世界らしさはあまり感じない。
日本のどこか山奥だと言われればそのようにも見える。
でも五体満足で生き返ったのは間違いないようだ。
とその時、ぎゅるるるる~とお腹が鳴った。
そこで俺は死ぬ前から働きづめでもう十時間以上何も食べていなかったことを思い出す。
「……とりあえず何か食べ物探すか」
俺は森の中を木の実を探し歩くことに。
しかし――
「駄目だ。全然みつからないや」
大体仮にみつかったとしても、それが食べられるものなのかどうか、俺には判別のしようがない。
「まいったな……」
これでは生き返らせてもらったところ悪いけどすぐに飢え死にしてしまう。
俺は天を仰いだ。
すると俺の目線の先にバナナのような果実を発見する。
見るからにバナナそのものだ。
「でも高くて届きそうにないなぁ」
バナナに似たそれは高さ五メートルほどの位置にあって、とてもではないがとれそうにない。
ぎゅるるるる~。
だがあまりの空腹に俺は駄目もとで思いきりジャンプしてみた。
「えいっ!」
直後俺は自分の目を疑った。
なぜなら俺は果実の高さをゆうに超え十メートル近くも跳躍していたからだ。
長い滞空時間の末地面に下り立った俺は神様の言っていた言葉を思い出す。
《お主の転移先の異世界の重力はお主がいた世界の重力の十分の一ほどしかないからのお主はそこでは超人じゃ》
「なるほど……そういうことか」
俺は自分の体を見下ろしながら自然と笑みがこぼれていた。
今度は加減をして軽くジャンプしてみた。
そして高さ五メートルほどの木になっていたバナナのような果実を一本掴み取る。
着地するとそれの皮をむいて一口食べてみた。
毒性のあるものだったらどうしようという不安もあったが、どのみち何も食べなければどうせ死んでしまう。
咀嚼してみて――
「うん、美味しいっ。バナナだこれっ」
バナナに似た果実はやはりバナナだったようだ。
俺は空腹だったので急いでそれを平らげると、再度ジャンプしてさらにバナナをもう一本手に入れた。
幸運なことに見上げると森の中にはバナナが沢山なっている。
これなら当分は食べるものには困らないだろう。
二つ目のバナナを口に運びながら次に考えるのは住む場所だ。
一日二日なら野宿でも構わないが、これから先ずっとバナナだけを食べながら森の中で暮らすのではチンパンジーと変わらない。
せっかく生き返らせてもらったのだ、もっと人間らしい生活がしたい。
そこで俺はまず森を抜け出ることにした。
とそんな時、
「助けてぇーっ」
少女の悲鳴が森の奥から聞こえた。
「ん、なんだ?」
俺は声のした方を振り向く。
すると血相変えた少女が俺の方に向かって走ってきていた。
そしてその後ろには小さくて緑色した生き物が少女を追っている。
「ゴブリンよ、助けてお願いっ!」
その少女は俺を見ると俺の背後に回り込んで小柄な緑色の生き物を指差し叫んだ。
「え、ゴブリン?」
『ギェギェギェ』
ゴブリンと名指しされた生き物は俺の目の前で止まると俺を見据えて馬鹿にしたように不敵に笑う。
「え、なんなの? この生き物って……」
「いいからなんとかしてっ!」
『ギェギェギェ!』
少女の声を合図にしたかのようにゴブリンとやらが俺に飛びかかってきた。
「痛っ」
とっさに体の前に出した俺の左腕にゴブリンが噛みつく。
「このっ!」
たまらず俺はゴブリンの顔を右手で殴り飛ばした。
ふっ飛んだゴブリンは勢いよく木にぶつかり地面に顔から倒れ込む。
『ギギギ……』という声を残して動かなくなった。
すると俺の背後に隠れていた少女がすっと俺の隣に立つ。
「すご~い、お兄ちゃん。ゴブリンをたった一発で倒しちゃった。正直頼りなさそうに見えたけど強いんだねっ」
「ん、ああ、ありがとう……それより今の奴はなんなんだ?」
「ゴブリンだよ、知らないの?」
「うん、まあ」
別の世界から来たのだからこの世界のことは何もわからない。
だがそんなことをこの子に話しても理解してはもらえないだろう。
「ゴブリンって悪い奴なのか?」
「当然悪い奴だよ。だって魔物だもん」
「魔物?」
「え? お兄ちゃん魔物も知らないの?」
「あー……うん」
魔物だって?
神様はそんなのが出るだなんて一言も言ってなかったぞ。
「ねぇお兄ちゃん名前はなんていうの? わたしはカレンよ、昨日八歳になったばかりなの」
「俺は黒岩蔵人だ、年は二十六歳だよ」
「クロ……クロ……?」
カレンと名乗った少女は首をひねる。
「まあいっか」とつぶやいたかと思うと、
「それでクロクロはどこから来たの?」
俺を見上げそう言った。
「クロクロって俺のことか?」
「そうだよ。ねぇねぇクロクロはどこから来たの? 珍しい恰好してるよね」
興味深そうに俺の服をみつめるカレン。
カレンの着ている服はRPGに出てくる村人のような服装をしている。
「どこからって言われてもな……」
返答に困る。
「うーん……」
なんて言おうか悩んでいると、
「わかった! お兄ちゃん記憶喪失なんでしょ!」
カレンは俺の顔を指差しドヤ顔で言い放った。
「記憶喪失? 俺が?」
「そうだよ間違いないよっ」
カレンは自信満々に首を大きく縦に振った。
もちろん俺は記憶喪失ではないのですぐに否定しようとするもそこで思いとどまる。
この世界のことを何も知らない俺にとっては、異世界から来たなんて信じてもらえそうもないことを言うより、いっそ記憶喪失で通した方がこの先都合がいいかもしれないと。
「……そうだな、俺記憶喪失かもしれない。うん」
「やっぱりだーっ」
「それにしても記憶喪失なんて言葉よく知ってるな」
「えへへ~、ちょっと前にお母さんに教えてもらったんだ~」
褒めてもらいたいのかカレンは俺に頭を向けてきた。
「すごいすごい」
俺がカレンの頭を優しく撫でてやるとカレンは嬉しそうに目を細める。
「そうだクロクロ、わたしの家に来てよっ。わたしのお母さん村でお医者さんやってるからただで診てもらえるように頼んであげるっ」
「ん? この近くに村があるのか?」
「あるよ。ベータ村っていうの。クロクロどうせお金持ってないでしょ」
「ああ……うん」
「じゃあ行こっ」
カレンは俺の手を取ると楽しげに歩き出した。