「んー。なんていうのかな。人体模型が走るって、想像だとただ単にシュールだなって感じがするんだけど、実際見ると怖ぇな」
「ええー! 達っちんだけ見るなんてズルい! 私も見たい!」
「……あたしも」
水麗が僕の袖を引っ張り、唯織ちゃんは目を輝かせている。
布姫はカタカタと小さく震えながら、ブルブルと首を振る。
「私は遠慮しておくわ」
しばらくすると、再び、足跡が部室の方へと迫って来た。
水麗と唯織ちゃんがドアから顔を出して、まだかまだかと期待しながら待っている。
そして、人体模型が新聞部の部室の前を横切っていく。
「おおお! こりゃ、テンション、上がっちゃうねー!」
「とても良いものを見ました」
まるで風呂上がりかのようなホッコリとした満足気な顔をしている二人。
「……今回も、調べるの?」
いつの間にか、布姫が僕の腕に絡みついてきていて、不安そうな顔で見上げてくる。
「走る人体模型の七不思議か? うーん。あんまり、近づきたくないからなー。それに、もうネタはあるし」
水麗が僕と布姫を見て、ハッとした表情を浮かべて慌てて布姫が抱き付いている反対側にしがみついてくる。
「でもさー。あんな妖怪、いたっけ?」
「なんの話だ?」
「いやいや。ほら、今までの七不思議も妖怪の仕業だったから、今回もかなーって思ってさ」
「なんでもかんでも妖怪のせいにするのもどうかと思うけどな。一番しっくりくるのは、中に人間が入っている、とかかな」
「犬じゃないかしら?」
「大きさ的に無理だろ」
そんな僕らの会話を聞いて、唯織ちゃんの目の輝きはより一層増していく。
「あの……妖怪の仕業って……どういうことですか?」
「あっ! しまった。唯織ちゃんがいたんだった」
「あー、えっとね、いおりん。最初に前置きしておくけど、わたしたちは頭がおかしいわけじゃないからね」
「そうよ。おかしいのは佐藤くんだけよ」
「いちいち、僕を罵倒するのは止めろ!」
「いおりん。新聞の記事では書かなかったけど、実はね……」
水麗がコホンと咳ばらいをしてから、今までのことを唯織ちゃんに説明する。
一瞬ぽかんとした表情をした唯織ちゃんだったが、すぐにうっとり顔になった。
「あたしも……妖怪……見たいです」
目を潤ませ、頬は赤い。唯織ちゃんは子供っぽい雰囲気かと思っていたが、妙に色っぽい表情だった。
思わず、ごくんと生唾を飲み込んでしまったほどだ。
まあ、そんな表情をしたのが、妖怪が見れると思ったからというのが、若干残念な感がするのだが。
突如、両頬に激痛が走る。
「いれれれっ!」
両側から、布姫と水麗に頬を抓られ、引っ張られていた。
「達っちん、エロい目してる……」
「佐藤くん、それは犯罪よ」
「……エロいのはとにかく、犯罪って……。それなら、お前らとだってそうなるってことじゃねーかよ」
「え?」
「私たち……?」
僕は皮肉で言ったつもりだったが、二人は僕の頬から、パッと手を離して顔を真っ赤に染めた。
「や、やだ、達っちん、大胆告白……」
「ま、まあ、あんたがそうしたいなら……私は……その……」
妙にモジモジとしている。僕には何が何だかよくわからない。
なんとなく、沈黙が続いていく。
そこに、再び、人体模型の足跡が過ぎ去っていく音で、全員がハッとする。
「あの……取りあえず、転ばせてみるというのはどうでしょうか?」
おずおずと手を上げる唯織ちゃん。
「唯織ちゃんって思ったより、アグレッシブかつ危険な性格なんだな……」
「おっ! いいね、いいね! やってみよう!」
やはりというか当然というか、唯織ちゃんの案に乗っかってきたのは水麗だった。
「思うに、人体模型は同じルートをただ真っ直ぐ走っているみたいだから、何か障害物を置いてみよう」
「これなどはどうでしょう?」
唯織ちゃんは既に、乱雑する物の山から、ゴルフボールがたくさん入った箱を見つけ出していた。
あれを廊下に捲いて、踏んだら転ぶという作戦らしい。
なかなかエグイ作戦だ。
あんなのを人間相手にやって、頭を廊下に打ち付けたなんてことになったら、悪戯じゃ済まない。
……って、あれ? いやいや。ちょっと待て!
「その作戦、ストップだ!」
既に廊下に出ている水麗と唯織ちゃんを追う。
「ん? なんで?」
「まだ、妖怪の仕業だって決まったわけじゃない。もし、人間が入ってたらどうするんだよ?」
「え? 面白くないってだけじゃないの?」
「違う! 怪我させちまったらヤバいだろ!」
「そのときは、あの犬の穴に埋めたらどうかしら?」
ドアからひょいと顔出す布姫。
「犯罪のレベルが跳ね上がったっ!?」
「……では、まずはあの中に人間が入っていないということを確かめるということでしょうか?」
「……唯織ちゃん。君だけが、この部の良識の砦だ」
僕が両手を握ると、唯織ちゃんは頬を桜色に染めて俯いてしまう。
「ダメです……。達也さん」
恥ずかしそうな表情を浮かべる唯織ちゃん。そして、後ろから感じる二つの殺気。
僕は慌てて、手を離す。
「あっ! ごめん、ごめん。そんなつもりはなかったんだ!」
「いえ……。そうではなく……もう、遅いです」
「へ?」
振り向くと、そこにはゴルフボールを踏んで、宙に浮いている人体模型がいた。
一秒もしないうちに、重力にしたがい落下し、人体模型は盛大に頭を打ち付けたのだった。
派手な音を立てて、転んだ人体模型は仰向けに倒れたまま、天井をジッと見ている。
目が動かないから当然そうなるんだろうけど。動いたら動いたで、そっちの方が嫌だ。
「死んじゃったのかな?」
全く動こうとしない人体模型を見ながら水麗がポツリとつぶやいた。
「直接手を下すまでもなかったわね。後は、犬の穴に持っていくだけだわ」
「頼むから、お前はもうしゃべるな」
四人が固唾を飲んで見守るが一向に、動く気配を感じない。
「……助けた方がいいんでしょうか?」
「そうしたいんだけど、妖怪という線も消えてないから危険かもしれない」
若干、中に人間が入っているということは無いで欲しいという願望が入っている。仮に中は人だったとしても、こんな時間に廊下を走っているのが悪い、ということにしておこう。こんな時間に学校にいる僕たちも人のことは言えないが。
「そんな心配しなくても、パパーっと捕まえちゃえばいいんだよ!」
「え? ちょ、待てって、水麗!」
僕の静止をあっさりと無視して、いつの間にか入手したロープを片手に人体模型に特攻をかけていた。
「召し取ったりー!」
ロープでぐるぐる巻きにして、片足を人体模型に乗せて右手の人差し指をピンと上げて勝ち誇る水麗。
……上げた片足のふとももが露わになっていて、ちょっとエロい。――ではなく。
「無茶すんなって!」
水麗に駆け寄って、腕を引っ張って僕の背後へと移動させる。
「唯織ちゃん部室に戻って。布姫、部室から出るなよ!」
「……はい」
「言われなくても、出るつもりはないわ。例え、佐藤くんが危ない目にあったとしてもね」
「唯織ちゃんは素直でよろしい。布姫、最後のは余計だ。思ってても口に出すんじゃねえ」
人体模型から目を離さず、布姫に突っ込みを入れる。
水麗のアクションにより、何か反応があるかもしれない。油断は禁物だ。
「でへへ。達っちんの背中、暖かい……」
後ろにいる水麗が僕の背中に頬をスリスリとすり寄せている。
「そんな場合じゃないだ……ろ?」
いきなり、人体模型がカタカタと震えだした。
「うおっ! 動いた!」
「そりゃ、動くでしょー。人体模型なんだもん」
「普通、人体模型は動かないもんだ」
何度か、痙攣のように体を震わせた人体模型は、諦めたかのように再び動かなくなった。
すると今度は、人体模型の中から何かが出てくる。
出てくると言っても、腹の部分がパカっと開いて人間が出てくるとかではなく、イメージ的には人間に憑依した幽霊が、スーッと出てくるような感じだ。
出てきた物は白い、巨大な塊だった。
いや、塊というか、幾つかのパーツが組み合わさって形成されている。
パーツというより骨だろう。
そう。こいつは――がしゃ髑髏だ。
人間の骨の形をした妖怪。結構、メジャーな分類だろう。僕でも、パッと出てきたくらいだ。
だが、そのがしゃ髑髏には明らかに骨が足りていない。
肋骨の部分がほとんど無くなっている。
妖怪に関しても、バランスというものは存在するらしく、がしゃ髑髏は前のめり倒れて、バラバラになってしまう。
それでも、何度か元の姿になろうとするが、どうしても崩れてしまうようだった。
五回ほど繰り返し、元に戻れないと悟ったらしいがしゃ髑髏は人体模型の中へと戻っていく。
また人体模型の方でガタガタと動き始める。
こっちはこっちで、ロープで巻かれているので動けない。
「走る人体模型はがしゃ髑髏の仕業だったのかー」
「え?」
水麗のつぶやきに首を傾げる唯織ちゃん。
「えっとね、骨が足りなくなったがしゃ髑髏は自分で立てなくなったんだと思う。だから人体模型に入って走り回ってたんだろうね」
「けど、走り回って、何をしてたんだろうな?」
「……きっと、自分の骨を探してたんじゃないかな」
「骨を探す? ……あっ!」
水麗の言葉で、犬が掘っていた穴で見つけた骨のことを思い出す。
あれなら、形も大きさもピッタリだ。
「真っ先に戻してやらないといけない奴が出てきたな」
「うん。そうだね」
「あの犬も、なかなかやってくれるわね。妖怪の骨を盗むだなんて」
「……妖怪」
僕たちは早速、外に出て犬が掘った穴へと向かう。
ただ一人、唯織ちゃんだけが首を傾げていた。
穴を掘り返し、全ての骨を回収して人体模型のところへと戻ると、がしゃ髑髏がヌッと出てきた。
僕たちから骨を受け取り、体に嵌めていく。
今度は崩れることなく、ススーッと廊下を移動し始める。
「おお! 動けるようになって良かった」
廊下を進んでいたがしゃ髑髏がピタリと止まり、振り返る。
そして――ぺこりと頭を下げたかと思った瞬間、がしゃ髑髏の体が光り始めた。
光が収束すると、がしゃ髑髏の代わりに光の玉が転がっている。
「今回も、光りの玉ゲットっ!」
水麗が拾い上げ、上に掲げた。
同時に上へと飛んでいく。
「これで、またトーテムポールに顔が増えたかな?」
「……今日はもう疲れたから、見に行くのは月曜にしようぜ」
「そうね。大したことしてないのに、すごく疲れたわ」
「唯織ちゃんも、それでいいかな?」
「……え? あ、はい……」
頷いた唯織ちゃんの表情は浮かなかった。やっぱり、すぐに見たかったんだろうか?
あ、考えてみたら唯織ちゃんにはトーテムポールの説明はしてなかった気がする。
けど、疲労が限界なので月曜にしよう。
僕たちは疲れた体を引きずるように、人体模型を元に位置に戻して部室で眠りについたのだった。