「あれ? いおりーん。お願い、入って来て。今後、新聞部での地位が危ぶまれるからさ」
水麗がドアの方向へ声をかけると、スッと一人の女の子が現れた。
一回り以上、水麗よりも小さく華奢で、髪の長さは水麗より若干長いくらいだ。
小さい顔に不釣り合いなほど大きなメガネ。
水麗にいおりんと呼ばれた、その女の子は恥ずかしそうに頬を赤く染め、両手を胸の前で組んで俯いていた。
「我が新聞部に入部希望を出してくれた、一年生の阿久津唯織。通称いおりんだよ」
「いおりんなんて……初めて言われました……」
あわあわと焦るように辺りを見渡した後、また顔を俯けてしまう。
「おおおおおお! マジで!」
僕は思わず駆け寄ってしまう。
布姫もガバっと顔を上げて、立ち上がる。
「すげえ! 本物だ! 本物の人間だ! いやあ、本当にいるもんなんだなぁ!」
「佐藤くん、テンション上がり過ぎて、訳が分からないことを言ってるわよ」
「だって、新入部員だぜ? マジかよ! すげえな!」
「待って、佐藤くん。もしかしたら、どこかの諜報部員で秘密工作員かもしれないわ」
「……お前もテンション上がり過ぎて、意味不明だぞ。この部を秘密裏に調査して、何の得がある?」
「もし、本当に新入部員だとして、佐藤くん、これで百万くらい部費が上がるかしら?」
「活動トップクラスの部活でも百万はもらえねぇだろ」
予期せぬ新入部員に思わず舞い上がってしまう僕と布姫。
無理もない。確かに部費や部室の件もあるが、仲間が増えるということは嬉しいものだ。
「ねえ、達っちん。入部許可でいいでしょ? 入部試験とかないよね?」
「もちろんだ! 逆に本当に入るほどの部活なのかを試験してもらってもいいくらいだぜ」
「入ってくれたら、一週間、ジュースを奢ってあげてもいいわ」
僕たちの過剰な歓迎を受けて、ドンドンと顔を赤くしていく。
そして、ついに水麗の後ろに隠れてしまった。
「はいはい。ストップ、ストップ。そんなんじゃ、逃げられちゃうでしょ」
パンパンと手を叩く音で、僕と布姫がハッと我に返る。
「すまなかったな。一年以上、新入部員はおろか見学者すらいなかったから、ついついテンションが上がっちまった」
「お金が手に入ると思って、少し我を見失っていたわ。ごめんなさい」
ぺこりと頭を下げる布姫。相手が年下だろうと自分に非がある場合はちゃんと謝ることができるというのはすごいと思う。こういうところが、みんなに好かれるんだろう。
ただ、テンションが上がった理由が残念だが。……金かよ。
「そうだ。一応、入部届を出してくれないか? それだけは学校の規則だからさ」
その言葉を聞いて、ポケットから折り畳まれた紙を一枚取り出す。
そして、水麗の後ろに隠れたまま、ひょいと手だけ出して紙を差し出してきた。
緊張に弱いタイプらしい。それか、すでに僕たちを猛獣か何かのように見ているのかもしれない。
紙を受け取り、開いてみる。
それは入部届で、中央の名前を記入する欄に、ものすごく小さい字で『阿久津唯織』と書かれていた。
小さいが、すごい綺麗な字だ。
「へえ、唯織って珍しい漢字ね」
「お前ほどじゃねえけどな」
「あら? 布も姫も常用漢字じゃない?」
「いや、そういうことじゃなくて……」
布姫と書いて『ぬのめ』と呼ばせるのが変わっているという意味だったのだが。
入部届があるので、あとはこれを先生……じゃなくて、生徒会長だったか? とにかく、提出すれば唯織ちゃんも、晴れて正式な、我が新聞部の一員として認められることになる。
僕たち三人は改めて、自己紹介をした。
水麗に関しても、廊下を歩いていたら職員室の前でオロオロとしている唯織ちゃんを見つけ、どうしたのかを聞いてみると部活に入るための手続きが分からなかったから落ち込んでいたらしい。
それで、どこの部に入りたいかを聞くとちょうど新聞部だったから、連れてきたという流れらしい。
布姫がコーヒーを煎れて、唯織ちゃんの前に置く。
「はい。どうぞ。インスタントだけど。砂糖とミルク、一応一つずつ置いておいたけど、足りなかったら言ってね」
「あ、ありがとうございます」
ペコペコと頭を下げる唯織ちゃん。さらに布姫は自分と水麗の席の前にティーカップを置いた。
「……僕の分は?」
「煎れれば、まだあるわよ」
座ってコーヒーをすする布姫。
「一緒に煎れてくれなかったんだな」
「ええ。もちろん。なぜ、私が佐藤くんの為に動かないとならないの?」
「僕、部長」
「で?」
「……自分で煎れてきます」
すっと立ち上がって、台の上にあるポットの方へ歩く。
「それにしても、七月に入部希望なんて、随分と半端な時期ね」
「はい……。その……今まで新聞部があったなんて知らなくて……。ごめんなさい」
「まあ、そりゃそうね。当然だと思うわ」
コーヒーをすすりながら、チラリと僕の方を見てくる。
布姫の言う通り、新聞を掲載し始めたのはつい最近だ。それまでは、新聞部が存在しているなんて知る生徒はほとんどいなかっただろう。
僕は布姫の視線から避けるように背を向け、コーヒーの粉を入れたマグカップにお湯を入れる。
給湯ボタンを押すたびに、まるで雄たけびのような音を出す、この電気ポットはもちろん、元々この部屋の奥に埋もれていたものだが、一年たった今でも充分使えている。
『あおおおーん!』
なぜ、お湯が管を通るときにこんな音が出るのか。僕としては充分七不思議の一つにしてもいいくらいだ。
コーヒーを持って席に座る。
今は一つの机に四人で座っているという状況だ。
僕の右隣は布姫、左隣が水麗。そして、正面が唯織ちゃんになる。
「いおりんも記者志望なの?」
布姫の正面に座っている水麗が、コーヒーにたらふく砂糖とミルクを入れたものをチビチビと飲んでいる。それでも、時折、苦そうに顔をしかめる。
そんなに苦いのが苦手なんだろうか?
「は、はい……。と、言っても……その……読むのは好きなんですけど、書いたことはなくて……。でも、あの記事を読んで……あたしもあんな風に書きたいなって思って……」
俯きながらも必死に伝えようとする意志を感じる。
きっと恥ずかしがりやの唯織ちゃんが、ここまで来るのには相当勇気を振り絞ったのだろう。
「佐藤くんと同じね」
「え?」
顔を上げて、キョトンと目を丸くした唯織ちゃんが僕と布姫の顔を交互に見る。
「あー、その……なんというか……僕も、最近、書き始めたばかりなんだ……」
「つまり、この新聞部が活動を始めたのは、本当にここ一ヶ月の間なのよ」
「それまでは、ほぼボードゲーム部だったよねー」
「お前ら二人は今もそうだろうが」
僕が記事を書く前は三人で、放課後数時間ボードゲームをしてから帰るというわけの分からない活動をしていた。
今は逆に僕はそのゲームに参加していない。というより、ハブられてる。
気晴らしに、って言っても断固、入れてくれないのだ。
布姫が言うには「佐藤くんは甘えさせるとやらないし、調子に乗るからよ」という理由らしい。
「そんなことないよー! 夜の取材、手伝ってるじゃん」
「あれも新聞部としての活動として考えてもいいんじゃないかしら?」
布姫と水麗が不機嫌そうにこっちを見てくる。二対一で、分が悪い。いつもこの構図になるんだけど。
「わかったよ。わるかった。取材に付き合ってくれてるのは感謝してるよ」
これは本心だ。いくら記事のネタのためとは言え、一人で学校に忍び込むなんてことはできないし、したくない。三人一緒だからこそできることだ。
「あの、夜の取材って……なんでしょうか?」
一瞬、なにかいかがわしいものを連想させてしまったかと心配したが、本当にわからないといった風な顔をして首を小さく傾げている。
説明するべきかどうか、悩む。
入部届を出してくれたといっても、まだ初日だし、学校に忍び込んでいるなんてことを先生に言われた日には、もう合宿はできなくなる。というより、新聞部の存続も危ぶまれる事態になりそうだ。
チラリと布姫に視線を送ると、あっちもすぐに気づき、小さく頷く。
あれは「私に任せて」という意味だろう。
「夜の取材というのはね。佐藤くんが風俗街に行って、来年、どこに行こうか調べる活動のことを言うのよ」
「そ、そう……なんですか?」
「何が私に任せろだよ! 大惨事じゃねーか!」
バンと机を叩いて立ち上がる。
布姫もヌッと立ち上がって、額がくっつきそうなほど顔を寄せて睨んで来た。
「なによ? 佐藤くんが夜な夜な学校に忍び込んで、女子の縦笛を舐めて回る活動だって言って欲しかったの?」
「余計タチが悪いし、それだと学校に忍び込んでるのがバレるじゃねーか!」
「え……? 学校に忍び込む?」
目をぱちくりと瞬かせながら、僕を見る唯織ちゃん。
……しまった。
「馬鹿ね。せっかく私が誤魔化してあげようとしたのに」
「責任はお前にもあるはずだ!」
「ああ、えっとね、記事を書くために、夜にちょこっとだけ学校に来てるんだよ。ほら、みんながいない時の情報こそが、みんなの欲しい情報でしょ? 良い記事を書くためには必要なことなんだよ!」
僕と布姫が言い合う中、慌てて水麗が割って入ってきてくれる。
水麗は普段は頼りなさそうに見えるが、いざという時には先陣を切って進んだり、フォローしてくれたりしてくれるのだ。実に頼もしい。
「布姫とは真逆だよな」
「……心の声が漏れてるわよ」
「ワザとだ」
「嫌ね。漏らすのは糞尿だけにしてほしいわ」
「僕がいつ、糞尿を漏らした!」
「生まれてきてから、三歳くらいまでかしら?」
「否定できねぇ!」
「とりゃーーー!」
水麗が僕と布姫の頭にチョップをかましてきた。
「仲が良いのは良いんだけどさ。……いや、あんまり良くないんだけど、今はいおりんがいることをお忘れなく」
にっこりと微笑んでいるが、こめかみに血管が浮き出ている。
あれはかなり怒っているときの顔だ。
「す、すまん」
「悪かったわ」
大人しく、僕と布姫は椅子に座る。
マズいな。まだ正式に入部もしてないのに。入部届を返せって言われたらどうしよう。
「だからね、その……このことは先生に言わないでほしいなーって」
顔の下で両手を合わせてお願いするポーズをとる水麗。
「夜の学校に忍び込む……」
そうつぶやいた後、唯織ちゃんの目がキラキラと輝き出す。
「面白そう……ですね。あたしも是非……ご一緒したいです」
「へ?」
「え?」
「お?」
唯織ちゃんの意外な反応に、僕たち三人はすっきょんとうな声を出してしまったのだった。