幼い頃から、私は「山の太鼓が聞こえたら、すぐに山を下りなさい」と祖母から言い聞かされていた。山は、村の背後にそびえ立つ、鬱蒼とした深い森に覆われた山。その山には、古くから天狗が住んでいるという伝説があり、太鼓の音が聞こえるのは、雨が降る前触れだとされていた。天狗が、山に暮らす人々への、雨の警告だと。
祖母は、その言い伝えを、まるで生きた歴史のように語ってくれた。村の古老たちが代々語り継いできた、畏怖と敬意が混ざり合った、神聖な物語だった。幼い私は、その話を聞くたびに、山の深い森の中に、大きな太鼓を叩く天狗の姿を想像し、胸がドキドキした。
ある夏の午後、私は友人と二人で、山に登っていた。日差しは強く、汗ばむほどの暑さだった。私たちは、山道を登りながら、雑談をしたり、珍しい花を探したりして、楽しい時間を過ごしていた。
しかし、山の中腹に差し掛かった頃、空気が急に変わった。さっきまでの陽気な雰囲気は消え、静寂が山を覆い始めた。風が吹きつけ、木々がざわめき始めた。そして、遠くから、ぼんやりと、しかし確実に、太鼓の音が聞こえてきた。
最初は、気のせいではないかと思った。しかし、音は次第に大きくなり、私たちの耳に、重く、不気味な響きとして迫ってきた。それは、まるで、巨大な太鼓が、私たちのすぐ近くで叩かれているかのような、生々しい音だった。
「あれ…太鼓の音…」
友人の顔が、青ざめていた。私も、心臓が激しく鼓動し始めた。祖母の言葉が、脳裏に鮮やかに蘇る。太鼓の音…雨の予兆…そして、天狗…
私たちは、恐怖に慄きながら、一目散に山を下り始めた。足元は、ぬかるんでいて滑りやすく、何度も転びそうになった。しかし、太鼓の音は、私たちの背後から、執拗に追いかけてくるように聞こえた。
その音は、単なる太鼓の音ではなかった。それは、私たちの恐怖心を煽る、不気味なリズムだった。まるで、天狗が、私たちを嘲笑うかのように、太鼓を叩き続けているかのようだった。
私たちは、必死に山を下り続けた。しかし、太鼓の音は、一向に小さくなる気配を見せなかった。むしろ、どんどん大きくなり、私たちの耳を震わせるほどになった。
やがて、山から下りきった頃には、空は暗くなり始めていた。そして、私たちが村にたどり着いた直後、激しい雨が降り始めた。まるで、天狗が、太鼓の音で雨を呼び寄せ、私たちを山から追い払ったかのようだった。
その夜、私は、祖母に今日の出来事を話した。祖母は、私の話を静かに聞いて、そして、こう言った。
「天狗は、山を守る神様よ。山に分け入った人間を、雨で試しているのかも知れない。無事に山を下りられたのは、天狗の慈悲だったのよ」
祖母の言葉は、私の恐怖心をいくらか和らげてくれた。しかし、山の太鼓の音は、私の心に、深い影を落としたままだった。
それからというもの、私は、天山に近づくことさえ恐れるようになった。あの日の太鼓の音は、単なる雨の予兆ではなかった。それは、天狗からの警告であり、そして、山への畏怖を改めて私に教えてくれた、忘れられない体験だった。
ある日、私は古い村の記録を調べていた。すると、山の太鼓に関する、驚くべき記述を見つけた。それは、天狗の太鼓の音は、単なる雨の予兆ではなく、山に異変が起きた時、あるいは、危険が迫った時に鳴り響く、警告の音だというのだ。
記録には、過去に、山の太鼓が鳴り響いた後、山崩れや、大規模な洪水が発生したという記述もあった。つまり、天狗の太鼓は、単なる迷信ではなく、山に住む人々を守るための、重要な合図だったのだ。
私は、改めて祖母の言葉を思い起こした。祖母は、天狗の太鼓の音を、単なる雨の予兆としてではなく、山からの警告として捉えていた。そして、その警告を無視した者は、必ず災厄に見舞われると、私に教えてくれていたのだ。
山の太鼓の音は、今もなお、私の心に響き続けている。それは、自然の脅威に対する畏敬の念、そして、祖先から受け継がれてきた知恵の大切さを教えてくれる、忘れられない記憶として。