ヘッドライトが切り裂く雨の夜。古びた車のワイパーが必死に視界を確保しようとするが、視界の端には常に、何かが蠢いている気配を感じていた。時刻は午前2時を回っていた。ラジオからは、ノイズ混じりの雑音だけが流れ、不気味な静寂を際立たせている。
私は、この田舎道を、一人、車で走っていた。 仕事で遅くなった帰り道だ。 普段なら賑やかな国道も、この時間帯は車がほとんど通らず、静まり返っている。 その静寂が、私の不安を煽る。
最初は、気のせいだろうと思っていた。 しかし、再び視界の端で、白くぼやけた影が、まるで霧のように揺らめいた。 それは、はっきりとした形を持たない、曖昧な白い塊だった。 人間の姿にも見えるような、見えないような、不思議な形をしていた。 その影は、私の車の後を、ゆっくりと、しかし確実に追いかけてくる。
アクセルを踏むと、古びた車のエンジンから、金属の悲鳴のような音が響き渡る。 その音に呼応するかのように、雨は激しさを増し、車窓を叩きつける。 ピチピチ、ピチピチ… まるで、無数の小さな手が、私の車を引っ掻いているかのようだ。 そして、その音の隙間から、何かが囁いているような、かすかな音が聞こえてくる気がした。
恐怖で、心臓が激しく鼓動し始めた。 後続車は、全く見えない。 しかし、あの白い影の存在感は、ますます増していく。 それは、視界の隅に常に存在し、私の視線を感じ取るかのように、時折、その形を変え、大きさを変える。 まるで、私の恐怖を餌にして、その姿を変化させているかのようだ。
雨粒が車窓に張り付き、視界をさらに狭める。 それでも、私は、その白い影を見失わないように、必死に目を凝らした。 その影は、まるで、私の恐怖を吸い取るように、闇からゆっくりと、しかし確実に近づいてくる。 その不気味な存在は、私の背筋に冷たい息を吹きかけてくるようだった。
私は、何度も後方を確認した。 しかし、何も見えない。 後続車は、全く存在しない。 にもかかわらず、あの白い影は、確実に私の後を追いかけている。 それは、まるで、私の車と一体化しているかのように、ぴったりと後をついてくる。 その距離は、まるで、私の息遣いすら聞こえるほど近い。
恐怖で、視界が歪んでいく。 道路の白線が、蛇のようにうねり、周りの景色がゆがんで見える。 私は、必死にハンドルを握りしめ、スピードを上げた。 しかし、その白い影は、一向に離れる気配がない。 むしろ、だんだん近づいてきているようにさえ感じられた。
そして、ついに、その影が、私の車のすぐそばまで迫ってきた。 それは、白い着物をまとった、女性のシルエットだった。 しかし、その顔は、全く見えない。 ただ、真っ白な布が、まるで顔面を覆い隠しているかのようだった。 その布の隙間から、わずかに見えるのは、鋭く光る、黒い瞳孔だけ。 それは、まるで、深い闇の底から覗いている、冷たい、そして、空虚な瞳だった。
その瞳孔は、私の魂を奪うかのように、じっと私を見つめていた。 その視線は、冷たく、そして、恐ろしく、私の全身を凍りつかせた。 私は、恐怖のあまり、ハンドルから手を離しそうになった。
その瞬間、激しいブレーキ音と共に、車は制御不能になり、ガードレールに激突した。 けたたましい金属音と、ガラスが割れる音が、夜の静寂を破った。 そして、私の意識は、闇に沈んでいった。
…ドンッ…
目を覚ました時、私は病院のベッドの上にいた。 医師は、事故の状況を説明してくれたが、私の脳裏には、あの白い影、そして、その冷たい、空虚な瞳だけが焼き付いていた。 多発性骨折と、脳震盪を負ったという。 しかし、身体の痛みよりも、あの白い影の恐怖の方が、はるかに大きかった。
あの夜、私は、この田舎に伝わる、最も恐ろしい物語の一つを、体験したのかもしれない… あの白い着物の女… あの冷たい視線… そして、あの不気味な、ピチピチという音… それらは、今も、私の心に深く刻み込まれている。 そして、私は、二度と、夜間の運転はしないだろう。