深い山あいの霜降村。人里離れたその村には、古くから伝わる忌まわしい物語があった。それは、村八分にされた男、庄助の物語だ。
庄助は、生まれつき奇形の顔立ちをしていた。鋭い眼光、歪んだ口元、そして、異常に長い指。村人たちは、彼を「鬼の子」と呼び、忌み嫌った。子供たちは彼の姿を見るなり泣き叫び、大人たちは彼を避けるようにして生活していた。庄助は、常に村の隅で、孤独な日々を送っていた。
唯一、彼に優しくしてくれたのは、村はずれの古井戸に住むという老婆、おキクだけだった。おキクは、村人たちが恐れる「井戸の守り神」の化身だと噂されていた。彼女は、庄助に、村の言い伝えや、奇妙な儀式のことを教えてくれた。
その一つに、「月蝕の夜」に行われるという、村の鎮魂祭があった。祭壇には、生贄として、村で最も忌み嫌われた者の心臓が捧げられるという。おキクは、庄助にこう囁いた。
「庄助さん…あなたも、その生贄になるかもしれない…」
月蝕の夜が近づくと、村の空気が一変した。普段は静かな村に、不気味な風が吹き荒れ、獣の鳴き声が響き渡った。村人たちの顔には、狂気じみた興奮の色が浮かんでいた。彼らは、庄助を捕らえようと、村中を捜し回った。
庄助は、おキクから教わった、古井戸の奥深くにある隠し通路を使って逃げようとした。しかし、通路は、想像を絶するほど長く、暗く、そして、不気味だった。壁には、無数の血痕がこびりつき、不気味な落書きが刻まれていた。時折、耳元で囁くような声が聞こえ、背筋を凍らせるような冷たい風が吹き付けてきた。
通路を進んでいくと、庄助は、いくつもの遺体と出会った。彼らは、かつて村八分にされた者たちだった。彼らの目は、まるで庄助を見つめているかのように、虚ろに開かれていた。
ようやく通路の出口にたどり着いた庄助は、そこで恐ろしい光景を目撃した。それは、巨大な祭壇だった。祭壇の上には、村人たちが集まり、狂喜乱舞していた。そして、祭壇の中央には、おキクがいた。彼女は、庄助を誘導するように、手を差し伸べていた。
「庄助さん…早く…心臓を捧げなさい…」
おキクの言葉は、庄助の耳に、まるで呪文のように響いた。彼女の顔は、もはや老婆の顔ではなく、異様なまでに美しい、妖艶な女の顔に変わっていた。その目は、鋭く光り輝き、庄助を捉えて離さなかった。
庄助は、恐怖に慄きながら、逃げようとした。しかし、彼の足は、まるで鉛のように重く、動かなかった。村人たちは、彼を取り囲み、狂ったように襲いかかってきた。
庄助は、絶叫しながら、祭壇から突き落とされた。そして、深い闇の中に消えていった。
翌朝、村人たちは、庄助の遺体を見つけられなかった。代わりに、祭壇には、巨大な化け物が祭られていた。
それから数十年、霜降村は廃村となり、深い森に覆われた。人々は、その地の呪いを恐れて近寄らなくなった。しかし、時折、月蝕の夜には、村の方角から、凄まじい悲鳴が聞こえてくると噂された。
ある日、心霊現象研究家の、一条涼介が霜降村を訪れた。彼は、古文書に記された庄助の物語と、村の呪いの噂に興味を持ち、単身で調査に乗り出したのだ。涼介は、村の入り口にある朽ちかけた鳥居の前に立ち、深呼吸をした。冷たい風が吹きつけ、背筋が寒くなった。
村の中は、廃墟と化していた。倒壊した家々、朽ち果てた井戸、そして、いたるところに生い茂る雑草。空気は、重く、澱んでいて、何とも言えない不気味さに満ちていた。涼介は、懐中電灯を手に、慎重に村の中を歩き回った。
彼は、かつて庄助が住んでいたという小屋を発見した。小屋の中は、埃まみれで、蜘蛛の巣が張り巡らされていた。しかし、壁には、奇妙な落書きが残されていた。それは、庄助が描いたものと思われる、歪んだ顔と、呪詛のような言葉だった。
涼介は、小屋の奥で、古い日記を発見した。それは、庄助が書き残したもので、彼の孤独な日々、村人からの迫害、そして、おキクとの出会いなどが克明に記されていた。日記には、月蝕の夜に起こった出来事についても詳細に書かれており、涼介は、その恐ろしい内容に言葉を失った。
日記によると、おキクは、村の鎮魂祭を執り行うための生贄として、庄助を選んでいたのだ。そして、庄助を殺害した後、彼の心臓を祭壇に捧げ、自らもその化け物と一体化したという。
涼介は、日記を読み終えた時、背筋に冷たいものが走った。彼は、日記に書かれていた、おキクの呪いの言葉が、自分の耳元で囁かれているような気がした。そして、小屋の外から、不気味な声が聞こえてきた。
「…涼介…君も…一緒にならないか…」
涼介は、恐怖に慄きながら、小屋から逃げ出した。彼は、村から脱出するべく、必死に走り出した。しかし、彼の足は、まるで重りをつけているかのように、思うように動かなかった。
後ろから、何かが追いかけてくるのがわかった。涼介は、振り返らずに走り続けた。そして、村の入り口の鳥居に到着した時、彼は、後ろから迫り来る影に捕らえられた。
涼介は、闇の中に消えていった。彼の悲鳴は、森の中に消え、二度と聞こえてくることはなかった。
霜降村の呪いは、今もなお、人々の心に深く刻み込まれている。そして、月蝕の夜には、再び、その地から、凄まじい悲鳴が聞こえてくるという…。