廃墟と化した神社の鳥居。朽ち果てた朱色は、まるで血の跡のように、夕闇に滲んでいた。冷たい風が、枯れ枝を擦り合わせる音と共に、不吉な旋律を奏でる。その鳥居の直線上、古びた大衆食堂に隣接する小さな部屋。 薄暗い室内には、湿った土の匂いと、何か古びたものの匂いが混ざり合い、吐き気を催しそうになる。 そこには、若き日の祖母が抱えた、言葉では言い表せない恐怖が、今も深く潜んでいる。
祖母は、活気に満ちた大衆食堂の喧騒とは対照的に、孤独な日々を過ごしていた。親戚の好意とはいえ、間借りの部屋は、まるで監獄のようだった。 窓の外には、廃神社の鳥居が、不気味な影を落としていた。その影は、日中であっても不穏な空気を漂わせ、夜になれば、部屋の隅々にまで忍び寄ってくるようだった。
疲労困憊の祖母は、毎晩のようにその部屋で眠りについた。しかし、眠りは安らぎをもたらすどころか、次第に、耐え難い恐怖へと変わっていった。最初は、かすかな気配、風の音のようなものだった。しかし、それは次第に、明確な存在感を増し、彼女の神経を鋭く刺激するようになった。
それは、まるで、無数の小さな足音、ささやき声、そして冷たい息遣い。 彼女を包み込むように、部屋全体を覆い尽くす、得体の知れない恐怖。 それは、彼女の精神を蝕み、眠りを奪い、彼女を絶望の淵へと突き落とそうとしていた。
そして、忘れられない夜が訪れた。
その日は、特に忙しかった。祖母は、まるで機械のように働き続け、身体中が痛むまで働いた。 それでも、終わらない仕事に追われ、彼女は疲労困憊のまま、部屋に戻った。 布団に倒れ込むように眠りに落ちた瞬間、彼女は意識を失った。
彼女は金縛りに遭ったのだ。
意識ははっきりしているのに、体は全く動かない。 息をすることすら、困難だった。 彼女は、恐怖で身動きが取れず、ただ、闇に目を凝らしていた。 その時、彼女は感じた。 何かが、彼女のすぐそばを通り過ぎていくのを。
それは、一人や二人ではなかった。 無数の何かが、彼女の体をすり抜けるように、部屋の中を駆け巡っていた。 冷たい風が吹きつけ、彼女の肌を凍らせる。 それは、まるで、無数の霊魂が、彼女の周りを渦巻いているかのようだった。
そして、左足のふくらはぎに、鋭い痛みが走った。 何かが、彼女の足を掴んだのだ。 それは、人間の指ではありえない、冷たく、粘り気のある感触だった。 まるで、死者の手のように、冷たく、そして不気味だった。
彼女は、必死に抵抗しようと試みたが、体は全く動かない。 恐怖と絶望が、彼女の心を締め付ける。 しかし、その時、一瞬の隙が生まれた。
金縛りが解けたのだ。
彼女は、本能的に右足を振り上げた。 そして、闇の中に潜む「何か」めがけて、何度も何度も蹴りつけた。 それは、人間の顔ではなかった。 しかし、彼女は、何かがうめき声を上げるのを聞いた気がした。
彼女は、恐怖と怒りに震えながら、闇を蹴り続けた。 気が済むまで、蹴り続けた。 その蹴りの数だけ、彼女の恐怖が、彼女の怒りが、闇の中に響き渡った。
朝になり、彼女は恐る恐る左足のふくらはぎを見た。 そこには、鮮明な、人間の掌のようなアザが、深く、そして不気味に残っていた。 それは、まるで、死者の烙印のようだった。
その日から、祖母は二度と、その部屋に近づくことはなかった。 彼女は、その部屋で、想像を絶する恐怖を体験したのだ。 そして、その恐怖は、彼女の心に、永遠の傷として刻み込まれた。