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第13話 形見の人形

 古びた箪笥たんすの奥から、埃の匂いと共に、それは現れた。セツ子の形見、小さな布人形。黒髪は艶を失い、白い顔には埃が積もり、まるで長い眠りから覚めたかのような、不気味な静寂をまとっていた。


 祖母とセツ子は幼馴染で、姉妹のように仲睦まじかった二人。セツ子の突然死は、祖母にとって計り知れない喪失だった。悲しみに暮れる祖母は、セツ子の家族を訪ね、形見分けを願った。そこで手渡されたのが、この人形だった。

「セツ子が作ったのよ。大事にしてね」

と、セツ子の母は涙ながらに言った。


祖母は人形を大切に家に持ち帰り、箪笥の上に飾った。しかし、家族は皆、人形を気味悪がった。

「不気味だ」

「捨ててしまえ!」

と、囁き合う声が、祖母の耳に突き刺さった。


祖母は、人形を普段誰も出入りしない納戸に置くことにした。薄暗い納戸の隅に置かれた人形は、まるでそこに潜む闇の一部のように見えた。


 それから数日後、祖母は恐ろしいことに気が付いた。人形の黒髪が、明らかに伸びていたのだ。数ミリ、いや、数センチも。まるで、生きた髪のように、黒く、艶やかで、不自然なまでに長く伸びていた。


祖母は心臓が凍り付くような恐怖を感じた。納戸に入るのが怖くなり、その扉は閉ざされたままになった。


しかし、恐怖は、祖母を静かにむしばんでいった。夜になると、納戸の方から、かすかなすすり泣くような声が聞こえるようになった。最初は気のせいだと自分に言い聞かせたが、その声は日に日に大きくなり、鮮明になっていった。


 ある夜、祖母は眠りから覚めた。耳元で聞こえるすすり泣き。それは、明らかに人間の女性の泣き声だった。恐怖に慄きながら、祖母は声のする方へ、ゆっくりと足を進めた。


納戸の扉の前で、祖母は立ち止まった。冷たい汗が流れ落ち、全身が震えているのがわかった。深呼吸をして、祖母はゆっくりと扉を開けた。


納戸の中は、薄暗い灯りに照らされていた。そして、そこには…


人形は、納戸の隅で、まるで生きているかのように、座っていた。黒髪は、さらに伸びて、床にまで届きそうだった。そして、その白い顔からは、鮮やかな赤い涙が流れ落ち、まるで血の涙のように、床を濡らしていた。


祖母は悲鳴を上げた。それは、恐怖の叫びだった。


次の日、祖母は、その人形を抱えて、村の古刹こさつを訪れた。老練な宮司は、人形をじっと見つめ、そして、祖母に尋ねた。

「この人形は、そなたのか?」


「…亡き友人が作った人形です。形見としてもらったものです…」

祖母は震える声で答えた。


宮司は静かに言った。

「この人形は、自分の家に帰りたがっている。本来の持ち主に返すべきだ。」


祖母の血の気が引いた。人形は、セツ子の魂を宿しているのかもしれない。そう思った祖母は、セツ子の家族に事情を話し、人形を返すことにした。


セツ子の家族は、人形を受け取ると、静かに涙を流した。そして、セツ子の墓前に、人形を供えた。


 それからというもの、すすり泣く声は聞こえなくなった。しかし、祖母は、あの血の涙を流す人形の顔を、生涯忘れることはなかった。


納戸の扉は、二度と開かれることはなかった。そして、その中には、永遠に、セツ子の魂が眠っているのかもしれない…と、祖母は静かに祈るように、暮らしていくことになった。


その夜、祖母は夢を見た。セツ子が、笑顔で手を振っている夢を。しかし、その笑顔の奥には、深い悲しみが隠されているように見えた。そして、セツ子は、静かに、こう言った。

「ありがとう…ミズヱ…」


 それから何年も経ち、祖母も亡くなった。セツ子の家は、すでに空き家になっていた。しかし、今でも、村の人々の間では、あの血の涙を流す人形の伝説が、語り継がれているという。 

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