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第7話 古井戸の声

 夕暮れが迫る山里。廃屋と化した古民家の裏手には、苔むした古井戸が口を開けていた。その井戸から、時折聞こえるささやき声。村人たちは、それを「井戸の怨霊」と呼び、近付くことさえ恐れていた。


 私は、幼い頃からこの村で育った。代々語り継がれてきた、井戸の恐ろしい言い伝えを何度も聞かされた。それは、かつてこの村で起きた悲劇の物語だった。


 昔々、この村には美しい娘がいた。彼女は村一番の織り手で、その技は村人たちの憧れの的だった。しかし、彼女は、ある日、井戸に身を投げた。理由は誰も知らなかった。ただ、彼女の遺体が井戸から引き上げられた時、彼女の顔には、深い悲しみと、何とも言えない恐怖が刻まれていたという。


それからというもの、古井戸から、ささやき声が聞こえるようになった。それは、まるで、誰かが助けを求めているような、悲痛な声だった。最初は、風の音か、動物の鳴き声だと村人たちは思っていたが、その声は、夜になるとますます大きくなり、不気味なまでに鮮明になっていった。


ある日、村の若者たちが、勇気を出して井戸に近づいた。彼らは、井戸の中を覗き込んだが、何も見えなかった。しかし、その時、彼らの耳に、かすかなささやき声が届いた。

「助けて…」「出して…」


その声は、まるで、井戸の底から聞こえてくるようだった。若者たちは、恐怖におののき、逃げ出した。それからというもの、誰も井戸に近付かなくなった。


 私は、祖母からこの話を聞かされるたびに、恐怖を感じていた。しかし、同時に、井戸の怨霊の正体を知りたいという、強い好奇心も抱いていた。


 ある夜、満月が空に輝いていた。私は、勇気を出して、古井戸に近づいた。私の心は、恐怖と好奇心で揺れ動いていた。井戸のそばに立つと、冷たい風が肌を撫でた。そして、かすかなささやき声が、私の耳に届いた。


「…お願い…」「聞いて…」


その声は、まるで、私の名前を呼んでいるようだった。私は、恐怖に震えながらも、井戸の中を覗き込んだ。何も見えなかった。しかし、その瞬間、私の足元から、何かが這い上がってきた。それは、人間の腕のようだった。


私は、悲鳴を上げ、逃げ出した。その腕は、私の足首を掴もうとしていた。私は、必死に走り続け、村までたどり着いた。


それからというもの、私は、古井戸のそばには二度と行かなかった。しかし、今でも、夜になると、井戸のささやき声が、私の耳に聞こえてくることがある。それは、まるで、私の心を引き裂こうとするような、悲痛な声だ。


 私は、この村を離れるべきだろうか?それとも、井戸の怨霊を救う方法を探すべきだろうか?私は、まだ答えを見つけることができない。しかし、一つだけ確かなことがある。それは、古井戸のささやき声が、私の心に永遠に刻まれるだろうということだ。


 そして、時が経ち、私は大人になった。しかし、古井戸のささやき声は、私の記憶から消えることはなかった。ある日、私は、古い村の記録を調べていた。すると、驚くべき事実を発見した。


かつて、この井戸に落とされた娘は、実は、村の有力者の娘だった。彼女は、村の有力者によって、無理やり結婚させられそうになっていた。彼女は、その結婚を拒否し、井戸に身を投げたのだ。


村の有力者は、娘の死を隠蔽いんぺいするために、井戸を埋め立てようとした。しかし、娘の怨念は、井戸から消えることがなかった。そして、今もなお、ささやき声となって、村に響き渡っているのだ。


 私は、この事実を知って、深い悲しみを感じた。同時に、井戸の怨霊を救う方法を見つけなければいけないと思った。私は、村人に、この事実を伝え、井戸の祟りを鎮めるための儀式を行うことを提案した。


村人たちは、最初は戸惑っていた。しかし、私の熱意に動かされ、儀式を行うことに同意してくれた。そして、私たちは、古井戸のそばで、娘の霊を弔う儀式を行った。


儀式が終わると、古井戸から聞こえていたささやき声は、静かに消えた。村に、長年降りかかっていた呪縛が解けた瞬間だった。


それからというもの、古井戸は、静かにそこにたたずんでいる。もはや、ささやき声は聞こえてこない。しかし、私は、あの夜の恐怖と、娘の悲しみを、決して忘れることはないだろう。そして、この物語を、次の世代へと語り継いでいこうと思う。

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