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Epilogue

 見渡す限りの広い荒地を、息せき切って走る。

 いつも裸足で、外を、地面を走って足が痛くない筈はないのに、なんの感覚もない。

 早く、早く、早く!

 逃げなければ! もっと走って逃げなければ、捕まる!

 捕まる? ……何、に?

 わからない。考えられない。そんな余裕はない。

 ただ全力で走らなければ。黒い手が、すぐそこまで迫っている。

 あと少しで、髪に、背中に、届く──!



    ◇  ◇  ◇

「! ぅあぁぁぁー、っ……!」

 叫んで飛び起きたベッドの上。パジャマの背中が汗でじっとり湿っている。そのまま呆然と座った姿勢で、真理愛は乱れた息を整えた。


「真理愛! 大丈夫か!?」

 ノックも適当に、ドアを開けた父が部屋に飛び込んで来る。隣の部屋まで聞こえたのだろう。真理愛の悲鳴が。


「……パパ」

「また夢か? 昔からのと同じ、怖い──」

 ベッドに腰掛けて、ゆっくりと背中をさすってくれる父。


「あ、うん。何かに、追い掛けられる、の」

「しばらく見てなかったのにな。もう大丈夫と思って、一人でここで寝るようになってからも何もなかったし。──それとも、ただパパが気づかなかっただけで今までにもあった、のか?」

 苦し気な父の顔、声音。


「ううん、ホントになかった。この部屋で、初めて」

 真剣な真理愛の声に、父はとりあえずは安堵したようにも見える。


「そうか。……卒業に入学で環境も変わったし、学校で何か嫌なこととか、変わったことでも?」

 真理愛は黙って首を左右に振った。

 幼い時から、繰り返し見る夢。……悪夢。、何度も何度も。

 いつも真理愛は走っている。息を切らして、何かに怯えて、ただひたすらに走って、逃げる。

 なのに、逃げられない。後ろから伸びてきた手が、真理愛の髪を、腕を、身体を、掴む。闇に飲み込まれる。

 ……真理愛は、この世の存在では、なくなる。


 声が枯れるほどに叫んで、目覚めたことも数え切れなかった。毎回、隣で眠っていた父が、肩を抱いてぎゅっと手を握ってくれるのだ。

 時には祖父や祖母も、ドアを開けて心配そうな目を向けてくれていた。真理愛の、大切な家族。


 けれどいつの頃からか、夢の中で捕まることはなくなっていた。

 一心不乱に走る真理愛の前にどこからともなく現れて、両手を大きく開いて受け止め、抱き締めてくれるのは。

 不気味な追っ手を蹴散らしてくれるのは。


 ──いつもいつも、この優しい父だった。


 さっきの夢には、救世主パパは現れなかった。

 けれど、もう今にも捕まる、というその時。

 久しぶりに悲鳴を上げた真理愛の元に、現実の父が駆けつけてくれた。それだけで恐怖も不安も消え失せた。あの安心感は、何物にも代えがたい。

 真理愛の心も身体も、すべて守ってくれる父。


 きっと、大丈夫。

 夢は所詮、ただの夢だから。目が覚めたらあっという間に、跡形もなくなってしまう。何も怖くなんかない。

 そう、すとんと腑に落ちた。


 この家で新しい『家族』ができた。増えた。そして変わったことは、もう一つ。……真理愛の前から消えた、存在。


 ──おそらくは無意識のうちに、母は真理愛にとって「畏怖」の対象だったのだ。けれど、それも終わった気がする。

 鏡に向かってを想ったことが久しく訪れていなかった夢を呼び、今隣にいる父の温もりで浄化された、のかもしれなかった。

 だから、悪夢はもう、見ない。


「パパ。あたし、パパの子でよかった」

 唐突な娘の台詞に、父は目を見開いた。一瞬の間を置いて、力強く言葉を発する。


「パパも。真理愛のパパになれてよかった」

 立ち上がり、目を見つめて、両手を肩に置いて。低く、穏やかな声で。

 真理愛の大好きな、笑顔で。


 ある日突然、出逢った男と少女。

 血縁だけがどころだった二人は、積み重ねた時間ときを経て深い絆で結ばれた父と娘になった。


  ~END~




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