◇ ◇ ◇
「真理愛ちゃん、誕生日おめでとう!」
「もう十歳なのねぇ。時の経つのは早いわぁ」
「ありがとう、おじいちゃん、おばあちゃん。パパも」
この家に来てから迎える、六回目の十二月二十五日。今日は真理愛の十歳の誕生日だ。
テーブルには、祖母が作ってくれた苺を飾ったバースディケーキ。四歳でこの家に来てから毎年恒例になっていた。
プレゼントは、初めて四つ。
去年までは、父からと祖父母からそれぞれ誕生日プレゼントが、そして『サンタさん』からクリスマスプレゼントが届いていたのだ。
もちろん真理愛も、サンタクロースは実在せず、プレゼントは父や祖父母が用意してくれているのは知っていた。それでも、黙って知らない振りをするのが子どもの役目と心得ていたのだ。
さすがにもう四年生で十歳になるのを機会に、三人で話し合いでもしたのだろうか。ついに「サンタはいない」と言うのが、この家でも公の共通理解になった。
そのため、誕生日とクリスマスのプレゼントが父と祖父母から計四つ贈られたのだった。
「誕生日とクリスマスが同じ日なんだから、プレゼントも一緒でいいよ。ケーキも一つだしそれでいいと思う」
しばらく前に真理愛が申し出たのを、父が即座に否定した。
「いや、それは違う! 同じ日でも別物だから。あ、だったらさ、今年からクリスマスはイブの二十四日で、誕生日は二十五日にしようか? そうだ、それがいい! そしたらケーキも両方──」
「パパ、あたしが言ってるのはそーいうんじゃないの!」
「真理愛ちゃん、これはパパもだけど、おじいちゃんやおばあちゃんの楽しみなんだよ。誕生日とクリスマスのプレゼント選べるのが嬉しいんだ」
祖父のしみじみ言い聞かせるような台詞に、父も同調する。
「真理愛。もし『申し訳ない』とか感じてるんならそれは的外れ、って意味わかるか? 今おじいちゃんが言ったみたいに、真理愛は何を喜ぶかなっていろいろ考えたりする自体が楽しみなんだよ」
「……意味はわかる、けど」
「真理愛ちゃん。パパとおじいちゃんの言う通りよ。もちろん、プレゼントの中身が好みに合わないとかは言ってくれていいんだけど。あ、もし全部のプレゼント合わせたくらいの、特別なものが欲しいとかならそれも考えるから」
真理愛が口を開く前に、父が祖母の言葉を拾う。
「あ! そうか。真理愛が言ってるのはそういうことじゃないだろうけど、纏めて高い物っていうのでもいいんだよ」
「ううん。別にあたし、いま特に欲しいものないから。要るものは全部持ってるもん。……でも、わかった。ありがとう、パパも、おじいちゃん、おばあちゃんも」
真理愛は今更のように、もう一つの可能性に思い至った。
父も祖父母も決して口にはしないし、態度に出すこともないけれど。もしかしたら、真理愛が来る前の。互いに出逢う前の空白の時間を、少しでも埋めたい気持ちもあるのかもしれない。
──モノではなく、選ぶ時の想いで。
四月からは、今までの父の部屋の隣に自分の部屋をもらった。真理愛のために、机もベッドも本棚もカーテンも、すべて新しく買い揃えられた。一人で眠るのも、もう怖くない。
ケーキを食べ終えてテーブルを片付けたら、父との恒例のお楽しみが待っていた。
「パパ、今日は見えるかな?」
「そうだな。さっき帰って来るときは綺麗に晴れてる感じだったよ。去年は曇りで無理だったよな、そういえば」
「真理愛ちゃん、そのコートでいいの? もっと暖かいのなかった? あ、マフラーと手袋も──」
私室に戻って支度してきた真理愛を、祖母が気遣ってくれる。
「大丈夫、おばあちゃん。手袋とかも、ちゃんと持ってるから」
ポケットから手袋とネックウォーマーを出して、祖母に見せてから身につける。
「圭亮、寒くないか気をつけてあげて、早めに切り上げてね。冷えは良くないのよ」
「わかってる。ありがとう、母さん」
そのまま、二人はリビングルームの掃き出し窓を開けて、二階のバルコニーに出た。
並んで立ち、柵に手を置いて空を見上げる。
こうして星を見るのが、いつの日からか父と娘の習慣になっていた。
原点はきっと、小さい頃祖父が買ってくれた絵本だ。美しい星空を描いた、文字の少ないシンプルな絵本。繰り返し何度も何度も読んでもらって、すっかりボロボロになってしまったが、今も真理愛の部屋の本棚の隅に大事に立てて取ってある。
普段は不定期だが、誕生日には必ず夜空を眺める。都会の空で視認できる星など限られてはいるけれども、何よりも大切な父との時間が生まれるから。
父が、羽織った大きなコートで真理愛を包むように抱き寄せてくれる。体の芯まで冷えるような、冬の夜。
……今日は
「ねぇ、パパ。あたし思い出したんだ」
ぽつり呟いた真理愛に、父が首を傾げているのがわかる。
「何を?」
「『クリスマス生まれだからマリアなの』って、ママ言ってたなって」
真理愛は掌で口元を覆って、笑いを噛み殺した。
「でもさぁ、クリスマスに生まれたのってマリアじゃないよね?」
「マリアは産んだ人だな。クリスマスは、イエスの誕生を祝う日」
「そうだよね。……ママって、あんまりかしこくなかったのかな」
言葉は辛辣だが、真理愛の顔から笑みが消えることはない。
「あたし、初めてパパと会った時のことはあんまりはっきりとは覚えてないんだけど。気がついたら病院で、パパとおじいちゃんたちもいて」
「……あのとき、は。真理愛は、えーと、病気、で。──だけど、記憶に残ってるんだな、ちゃんと」
父が困っているのが、冷たい空気を通しても伝わった。
真理愛は、自分の生い立ちについて大まかには聞かされている。
生まれてからは母と二人で、母が亡くなった四歳の時にこの家に来たことも。小学校に上がった時に、父と祖父母が揃ってきちんと話してくれたのだ。
おそらくは、無神経な他人の口から耳に入る前にとの配慮だろうということもわかっていた。
実際に、三人の家族に有り余るほどの愛情を注がれているのだから、不安は何もない。もちろん不満も。
……この話題は、本当なら笑っては話せるものではないのだろう。それでも、父娘の間で決して避けては通れないものだ。
真理愛は、すべて
「あたしはあの時、ママと一緒に一回死んだんだと思う」
「! 真理愛!」
弾かれたように自分を見た父に、真理愛は穏やかな笑顔を向けた。……十歳とは思えない、と常々言われている、大人びた表情。
「パパ、大丈夫。……あたし、ママのことってあんまり思い出せなかったんだ。最近になって、なんでか少しずつ浮かぶんだけど、──ママが笑ってる顔ばっかなの。ママは、あたしのこと好きだった、かな?」
「……好きだったよ。だからパパに迎えに来てって頼んだんだ。真理愛が、大事だから」
父の、今にも泣き出しそうな表情。微かに震える声。
「きっとあの日、前の『真理愛』は死んじゃったんだ。それであたしは卵の中でゆらゆらしてて、……この家で五歳の誕生日に『パパ』って、『じーじ、ばーば』って呼んだときに卵のカラが割れたんだよ。そのとき、今の『天城 真理愛』が生まれたんじゃないかな。あたしはそう思ってるんだ」
「ゆらゆら? その、卵の中、で寝てたんじゃなくて揺れてたってこと?」
「うーん、上手く言えないんだけど。寝てはなかった、かな。目も見えてたし、耳も聞こえてたから。でも、何かよくわかんない、ふわふわした感じだった。うん、やっぱゆらゆら」
「そう、か」
「そう。……だからね、あたしは十歳だけど、『今の、新しいあたし』は五歳なのかもしれないな、って」
「真理愛、そろそろ戻ろう。風邪をひく」
黙って何か考えていたらしい父が、はっと気づいたように背中に手を置いた。白い息を吐きながらガラス戸を開けた真理愛に、祖母が飛んで来て頬を両手で包んでくれる。
「寒かったでしょ、こんなに冷たくなって。ほら、早く中へ」
「うん」
「お風呂沸かすから、すぐ入ってね」
コートを脱いで防寒具も外し、部屋の暖気に一息ついた真理愛に、祖父がふと思いついたように話し始めた。
「真理愛ちゃん。星が好きなら、今度天体観測できるところに行かないか? そういう名所ってあるよな、圭亮?」
「ああ。星の綺麗な高原に、天文台が売りの宿とかあった筈だよ」
「あら、いいじゃない! ねぇ、真理愛ちゃん」
盛り上がる家族。祖母の弾んだ声に、真理愛は申し訳なさそうに口を開く。
「……でも、お休みは塾の講習があるから。旅行は無理、かも」
真理愛は中学受験のために、進学塾に通っているのだ。これから受験に向けて忙しくなる一方なのは、塾でも折に触れて予告されている。
「ああ、そうね。今はそれが第一よねぇ」
「じゃあ、受験が終わったらみんなで行こう。合格祝い、な?」
父の提案に、真理愛は笑って頷いた。