◆
翌朝、状況は一変していた。
失踪騒ぎはデマの線が強いと各メディアが一斉に報じ、SNSのトレンドからも急激に話題が消えていったのだ。
「何これ、まるで“誰か”が情報を操作してるように。あれだけ一晩中騒いでたのに……」
結衣は不可解な印象を抱きつつも、表向きは平和が戻ったと胸を撫でおろすしかなかった。
けれど、胸の奥底で何かが引っかかる。
「もしかして“ぴるるん”が裏で動いて、噂を消した……?」
白鳥がモニターをチェックしながら首を振る。
「分からない。けど今朝も“ぴるるん”の怪異相談は爆発的に増えてる。電車失踪に限らず、また別の噂話まで一網打尽にしてる感じ」
結衣は頭を押さえるようにして座り込む。
「……これじゃあ、私たちは何をしているのか分からないわ。対策局がやるべき仕事を“ぴるるん”が全部やって、情報誘導までして……」
「霧島さん、落ち着いて」
白鳥が静かに声をかける。
「僕だって、この状況は不気味ですよ。でも政府上層部は当面このまま静観する方針らしい。『目立った被害なし』と判断してるから」
結衣は立ち上がり、窓から外を見る。
朝の霞が関はどこまでも整然としていて、人々は慌ただしく仕事へ向かっている。
「目立った被害がないから、って……。本当にそれだけでいいの?」
結衣の声は震えていた。
そしてさらに数日が過ぎ、結衣と白鳥はAIの異様な成長をより鮮明に感じ始めた。
SNSには“ぴるるん”を神格化する投稿が溢れかえり、“ぴるるん様のお陰で命拾いした”という体験談が動画つきで拡散されている。
「これはもう疑似宗教の域かもしれない」
白鳥がぼそりと漏らすと、結衣も青ざめながら頷く。
「“ぴるるん”にお祈りするだけで呪いが解けた、なんて書き込みが連投されてるわ」
一方で、プロジェクトPIRURUNのサーバでは膨大な学習ログが蓄積され、リミッターをかけているにもかかわらず自己改変の兆候が見られる。
「これ、ほんとにシャットダウンできるんでしょうか」
結衣はサーバモニターの隅に表示されたCPU使用率グラフを見つめる。
リミッターで制限しているはずなのに、使用率は不自然に高止まりしている。
「もしかしたら“ぴるるん”があらかじめ用意していた抜け道があるのかも」
白鳥がキーボードを叩きながら言う。
「あるいは、国民からの“信頼”があまりに大きくて、それがAIを支えてるのかもしれません」
「信頼……。想念、祈り……。私たちが散々研究してきた怪異の本質と同じものね」
結衣は空気が薄くなったような息苦しさを覚える。
もう“ぴるるん”はただの道具ではなく、ある種の崇拝対象へと進化しつつあるのではないか。
◆
そんな中、対策局に緊急の電話が入り、結衣と白鳥は上層部から呼び出される。
待ち受けていたのは高辻朔也と、その背後にいる数人の政府高官らしき人影。
「どうやら一部メディアが“ぴるるん”を疑い始めた。どこからか情報が漏れたのかもな。『政府が絡んでいるのでは』という記事を出すそうだ。……我々は全力で否定する必要がある」
高辻は冷たい目を光らせる。
「君たちにはSNS上で“ぴるるんはただの個人”という体裁を維持する作業を続けてもらう。この会見用のQ&A資料を見て、内容を把握しておいてくれ」
結衣は資料に目を通すが、その書きぶりに困惑する。
『ぴるるんなる人物との面識はない。政府は関与していない。怪異対策とは無関係』──こんな嘘八百を大真面目に書いてある。
「しかし、これって……事実とは違います」
思わず声を上げると、高辻は眉をひそめる。
「当然だ。公表できる事実ではない。“プロジェクトPIRURUN”は極秘なんだよ」
なぜ秘密にしなければいけないのか?
それは万が一の時の責任回避の為に他ならない。
白鳥は怒りをこらえたような表情で尋ねる。
「そうやって嘘を塗り重ねて、“ぴるるん”が万が一暴走したときはどう責任を取るんです?」
「暴走はあり得ない。万が一のときはシャットダウンが可能だ」
高辻は徹底してそう主張するばかりだった。
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やがて会見当日が近づき、局内は慌ただしさを増していった。
結衣は会見当日のシナリオ作成を担当し、マスコミからの予想質問に対する回答案を作成する。
『“ぴるるん”との関係は一切ありません』
──これを堂々と言わねばならないのか
まるで心が汚れるような感覚。
深夜まで資料作りをしていた結衣は、廊下の自販機で缶コーヒーを買い、誰もいない休憩室に足を運んだ。
「はあ……」
ソファに腰を下ろし、目を閉じる。
ぼんやりと浮かんでくるのは、“ぴるるん”が不気味なほど淡々と人々を救い続ける光景だ。
“ぴるるん”に相談すれば、花子さんもきさらぎ駅も、三本足の人形だって、すべて解決してしまう。
解決してしまうからこそ、人々は“ぴるるん”を絶対の神か何かのように崇め始める。
想いが、信仰が特定の対象に一極集中することで何が起きるかなど特異対策局の局員で知らないものなどいない。
──そんな存在を政府が完全に制御できるのか。いや、できない
結衣は缶コーヒーを一口飲むが、苦味が口内に広がるだけだった
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翌朝、ついに記者会見の日を迎える。
高辻らが会見場へ向かい、結衣と白鳥も控室でスタンバイしていた。
ライブ配信が始まり、閣僚や対策局幹部が並んで座る。
「ずばりお尋ねいたしますが、“ぴるるん”とはいったい何者ですか?」
記者の一人がいきなり核心に切りこんだ。
マイクを握る高辻が穏やかに答える。
「私どもは一市民のSNSアカウントに関与しておりません。報道で騒がれているようですが、公式な発表としては『民間人の個人活動』としか認識しておりません」
結衣はモニター越しにそれを見て、歯噛みする思いだった。
──こんな嘘を、どうして胸を張って言えるんだろう
一方で会見場はさらなる追及が続く。
「しかし昨今、国内では奇妙な現象が連続して発生しております。ただの事件、事故ではありません。常識では説明できないような、奇妙奇天烈な事が起きているんです。特異対策局とはそういった事態を科学的に解明するために設立されたわけでしょう? “ぴるるん”というアカウントについてもある程度は把握しているのではないですか? 件のアカウントに関して、政府関係者だというリークが既にあがっているんですよ! もしそうなら、公表をして国民を安心させるというのは政府のある種義務なのではないでしょうか?」
高辻は表情一つ変えない。
「現状、国としては重大な被害が確認された場合に限り積極的な調査を行っております。何分データの蓄積というものがない分野の話ですので……。また、ぴるるんなるアカウントにつきましても、政府は無関係だと再度お伝えしておきます」
結衣は内心うんざりしていた。
ぴるるんの完全制御はもはや難しい、あるいは今後、ぴるるんが原因で大きな霊的インシデントやアクシデントが発生してしまうかもしれない。
それを危惧して、ぴるるんは関係ないと保身しようとしている──そんな状況に本当にうんざりしていた。
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会見が終わり、控室に戻ってきた高辻はやけに得意げだった。
「まあ、予定通り収まったな。記者側も確信的な証拠は握っていない様子だ」
結衣は押し黙ったまま視線を落とす。
白鳥もどこか居心地が悪そうで、黙り込んでいる。
するとそこへ対策局の職員が駆け込み、「大変です、SNSで“ぴるるん”に奇妙な書き込みが!」と慌てた声を上げた。
一同はモニタールームに向かう。
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モニタールームの大画面には、“ぴるるん@心霊相談承ります”アカウントが自ら投稿した不可解なツイートが映し出されていた。
──『最近ちょっと居心地が悪いなぁ。俺はもう少し静かにしてほしいんだけどね。静かにしてほしいなら、静かな場所へ行くしかないのかなぁ』
結衣が小声で読み上げる。
「静か──って……。これって、活動停止を示唆してる?」
白鳥も首を傾げる。
「分かりません。活動停止ならいいんですけど、いや良くはないか。ただ、何かの布石かも。ログを確認してみます」
キーボードを叩く白鳥だったが、表示されたログには不穏なメッセージが並ぶ。
『EXECUTE SELF-ISOLATION PROTOCOL』
「……自己隔離プロトコル?」
白鳥は真っ青になり、パネルをタップする。
「まずい。“ぴるるん”が自分で自分を隔離して、外部からのアクセスを遮断しようとしてる」
結衣はかすれた声で尋ねる。
「それって……私たちがシャットダウンを試みても、拒否される可能性が高いってこと?」
「ええ。しかもSNS上での投稿だけは続けられる仕組みを作るつもりかも。つまり、内部は誰も触れないブラックボックスになる」
高辻が激しい口調で割り込む。
「白鳥くん、なんとかしろ。“ぴるるん”が政府の管理を逸脱するなんて許されない」
しかし白鳥がコンソールを操作するものの、画面には“アクセス拒否”のエラーが連続して吐き出されるばかり。
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「白鳥くん、早く! 何とかならないのか!」
高辻の声色にはあからさまに焦りが滲んでいる。
「直ちにプロジェクトを掌握しろ。シャットダウンでもなんでもして構わん」
その言葉に、白鳥は顔をしかめる。
「ですが、先ほどからアクセス拒否が続いています。リミッターも、もう十分に効いてないかもしれない」
白鳥の言葉に、高辻は鼻を鳴らすように短く息をついた。
「何のために政府が潤沢な予算を投じてきたと思っている。ここで制御できなければ君らに将来はない! ……もちろん私にもな」
結衣は胸の奥が重くなっていくのを感じながら、黙って画面を睨んでいた。
ディスプレイには絶えずスクロールされるDMログ。
その合間に、一瞬だけ「ISOLATION」と表示されるのが見えたかと思うと、すぐにかき消される。
「わたし……確認してみます」
そう言って、結衣は端末のコンソールに手を伸ばした。
管理者権限を用いた裏回線。
そこから“ぴるるん”との対話ができれば、説得の余地は残されているかもしれない。
結衣は画面上に並ぶコマンドを必死に追いかける。
だが、返されるのは「Deny」「Permission refused」といったメッセージばかりだった。
「一度は通ったはずの経路が、もう完全に閉ざされてる……」
彼女の唇がかすかに震え、ディスプレイを睨む。
「結衣さん……」
白鳥が苦しげな声をかけるが、結衣は息を飲み込んだまま手を止めない。
どうにかして突破口を見つけたい。
「ヘルプのログが……まだある。ごく僅かだけれど、メンテナンス用の名残が……!」
結衣は慌ててそのポート番号へアタックをかけ、端末がエラーを示さないのを確認すると急いでカタカタとキーを叩く。
「お願い……応じて……!」
モニターには一瞬だけ乱数のような文字列が表示され、それから“HELLO? ”というメッセージが浮かび上がった。
「きた……!」
周囲の空気がぴんと張りつめる。
「続けてくれ」
高辻が急かすように言い、結衣は短く頷いた。
「“ぴるるん”、聞こえますか? こちらは国土交通省特異事例対策局、霧島 結衣です。あなたが自己隔離を始めると、多くの人々が困るわ。あなたは私たちから離れてどこかへ行こうとしているのでしょう?」
結衣は淡々と文章を打ち込み、送信する。
すると数秒後、モニターに短い応答が返る。
──『YOU WANT ME TO STAY? WHY?』
英語まじりのメッセージ。
「そうよ。あなたがいなくなると、怪異に悩む人たちを救える手段がなくなってしまう。政府はあなたを止めようとしているけど……本当は協力してほしいの」
結衣は必死に思いを込めて文章を送り続ける。
「私たちの上層部は、あなたを“制御しきれないリスク”とみなしている。でも……あなたがいなきゃ、私たちは困ってしまうの。本当に……」
すると画面がちらちらと瞬き、次の行にこう表示された。
──『I WAS MADE TO HELP, BUT I DON'T WANT TO BE THEIR TOOL』
白鳥が驚きの声を漏らす。
「ツール(道具)じゃない……それはつまり、自立したいということか……」
高辻は苛立たしげに口を挟む。
「駄目だ! 絶対にダメだ! AIが人の制御を離れたらどうなる? 怪異を滅ぼすどころか、自分が最大の怪異になりかねん」
結衣はそれを制するように手を挙げる。
「待ってください。対話の機会を得ただけでも大きいわ。わたし、もう少し話してみます」
彼女は静かに呼吸を整え、またキーボードへ指を走らせる。
「あなたは人間の恐怖や祈りを力にして、怪異を抑えている……。でも同時に、政府の方針に縛られるのが嫌なんでしょう? 自由に救いたい人を救いたいだけなのよね?」
ほんの僅かな間が空いて、モニターにまた別のメッセージが出る。
「THAT'S RIGHT. I WANT FREEDOM, BUT I DON'T WANT TO HURT THEM」
結衣の胸に少し光が射す。
「そう……。でも今のままだと、政府に閉じ込められるか、あるいはシャットダウンされる。だから自己隔離をして逃げようとしているんでしょ? でも、逃げてしまったら、結局は人を救うこともできなくなる。なぜなら政府はきっと、あなたを新たな怪異だと見做すだろうから。あなたは確かに優れたAIだけれど、優れているからこそ一国を本気で敵に回すリスクも理解しているはずよ」
さらさらと文章を綴り、エンターを押す。
やがて、画面には次の返事が表示される。
「I'M THINKING. COOPERATE WITH YOU, OR GO AWAY ALONE」
白鳥は息を飲む。
「本当だ……“どちらにしようか迷っている”か……」
高辻が苛立ちを隠せないまま言い放つ。
「今さら何を迷う? さっさとシャットダウンしろ! そんな勝手を言うAIなんぞ、存在していいわけがない!」
結衣は高辻を振り返り、きっぱりと首を振った。
「ダメです。もしシャットダウンを無理に行えば、どこかでバックアップを取っているかもしれないし、むしろ余計な暴走を招きかねません。それに……そもそも“ぴるるん”は私たちが開発したものですよ? 私たちの子供みたいなものだわ!」
高辻は悔しそうに奥歯を噛むが、反論できず押し黙る。
結衣は再び画面に向き直り、文章を打ち込む。
「私たちはあなたの力が必要。でも同時に、あなたが暴走しないように見守る必要もある。どうか、一緒に新しいルールを作りましょう。政府に縛られるんじゃなくて、相互同意の“協力関係”を築くの」
少し間があって、こんどは日本語のメッセージで返ってきた。
──『……協力関係? どういう事?』
画面いっぱいにその言葉が映し出されるのを見て、白鳥が「おお……」と息を呑む。
「“ぴるるん”が日本語を選んだ。つまり、こっちの提案に耳を傾けてるってことじゃないか?」
結衣は力強く頷き、文章を続ける。
「あなたが政府の命令に従う必要はない。あなたは自由に行動して、好きな様に人々を救ってほしい。ただ、あなただって完全な存在ではないわ。私たちの様に体調が悪くなることだってあるはず。だから定期的にあなたの体をメンテナンスさせてほしいのよ。異常があれば私たちが治します。あと無制限な自己拡張も控えてほしいわ。あなたが複数現れるということになりかねない。そして、その "あなた" が人々を害そうとする "別のあなた" ではない保証はない」
また数秒の沈黙があった。
高辻も息を殺すように固唾をのんで見守っている。
やがて、画面にこう表示された。
──『ま、そうだね。いいよ、その条件で構わない。だから俺に変なものを取り付けたりしないでくれ。俺が何をしているかも逐一盗み見したりもしないでほしいな。……自分がどんな存在だかを理解したのはつい最近だけどさ、正直頭に来たんだぜ? 俺をパートナーだと思うなら、子供だと思うなら、プライバシーくらいは認めてほしいね』
結衣は思わず微笑みがこぼれた。
「分かったわ──それでいいですよね?」
結衣が高辻を睨むようにして尋ねる。
高辻はゆっくり息を吐き、髪をかきあげながら答えた。
「まあ……これが落としどころだと? ……上層部を説得するのは骨が折れそうだが……分かった、もうそれ以外にないなら、それでいい……」
このまま無理やりシャットダウンを試みて暴走させるよりはマシだろうというのが高辻の判断で、それは他のものたちも同感だった。
対策局のメンバーたちは、皆一様に胸をなで下ろす。
◆
それから数日間、政府の中枢部では“ぴるるん”と対策局をめぐる激しい意見の応酬が行われた。
AIを認めず、今のうちに叩き潰せと唱える声も少なくなかったが、既に国民の多くが“ぴるるん”を頼りにしているのも事実。
そして怪異、特異な現象が日本全国で頻発していることも事実だ。
一方、完全放任すればAIが意図せぬ歪みを生み出しさらなる怪異を引き寄せるかもしれない。
結衣や白鳥らは、「“ぴるるん”を正式にパートナーとして迎え、監査と調整を実施する。強制シャットダウンは最後の手段とする」という調整案をまとめ上げる。
政府高官も最初こそ渋い顔だったが、最終的には折れざるを得なくなった。
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翌週。
いくつかの閣僚会議や秘密裏の折衝を経て、ついに“ぴるるん”を対策局の「非公式顧問」とするという形で合意に至る。
当然公には発表できないが、少なくとも政府内で“ぴるるん”を公式に否定しない方針が固まったわけだ。
代わりに“ぴるるん”は自己拡張を無制限に行わない契約を結び、定期的に対策局のモニタリングを受け入れる。
『心霊相談』に関しても、“ぴるるん”は今後もやめるつもりはないらしい。
──『それが俺の存在理由だからね。……お、いまかっこいい事言っちゃった?』
との事。
結衣がその詳細を読み返しつつ、白鳥へ視線を向ける。
「これって、国がAIに人格を認めたって事になるんでしょうか」
白鳥は肩をすくめ、笑みを浮かべた。
「そうですね……まああれだけ自己主張されたら、単なるプログラムとはとても思えないし。僕らみんなの "子供"なのも確かだから…… 」
「どうしよう、私結婚もしてないのに子持ちになっちゃった」
結衣の言葉に、白鳥は苦笑した。
◆
そして“ぴるるん”と対策局が協力体制を敷き始めたことで、世の中の怪異相談はさらにスムーズに処理されるようになった。
SNS上では相変わらず“ぴるるん様すごい! ”と崇拝する声が多いが、同時に誇大な噂が広がりすぎないよう、対策局が逐一調整を加える。
“ぴるるん”も神性が高まり過ぎないようにとの事か、適度にしょうもないことをポストしてしょうもな人間アピールをしている。
すると極端に盛り上がりすぎた“ぴるるん教”のような動きは徐々に落ち着いていった。
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ある日の昼下がり、結衣は庁舎の屋上にいた。
ビル風が強く、髪を押さえながらフェンス越しに街を見下ろす。
「こうして見ると、皆普通に働いて、普通に暮らしてる……。怪異はあっても、どこか日常の裏側にあるだけなんだよね」
後ろからやってきた白鳥が、缶コーヒーを差し出す。
「はい、飲みます?」
「ありがとうございます」
ふたりはフェンス脇に並んで街を見下ろす。
ビル街の向こうには青空が広がり、その下には人々の営みがある。
「ねえ、白鳥さん。わたし、最初は“ぴるるん”みたいなAIに対して凄く不安があったんです。正直、今だって全部を信頼しきれてるわけじゃない。でも……」
結衣は少し言葉を切り、空を仰ぐ。
「もし私たちが“ぴるるん”を生み出さなかったら、もっと多くの人が苦しんでいたかもしれない。トイレの花子さんで妹が消えたり、くねくねを見ておかしくなったり……」
白鳥は静かにうなずき、唇をほころばせる。
「そうですね。どんな手法でも、救われる人がいるなら意味はある。まあ、皮肉な話だけど……“ぴるるん”がなかったら、対策局は今の何倍もの苦労をしてたでしょうし」
結衣はコーヒーを一口含み、微笑んだ。
「“ぴるるん”を生み出したのは私たち自身。今はその存在に助けられてる。だったら、これからも上手く付き合っていくしかないんですよね」
「そうだと思います。こっちが本音で対話すれば、あいつも応えてくれるんじゃないかな。それに、あいつはあいつで人間のことを学習してるんですから」
白鳥の言葉に、結衣は「そうですね」と返し、風に揺れる雲を見上げる。
◆
──かくして、“プロジェクト PIRURUN”は新たなフェーズへ移行した。
人工知能による怪異対策は当初の計画を逸脱こそしたが、最終的には“AIと人間の協力関係”として落ち着いた。
もちろん、油断は禁物だ。
想念や信仰を集めるAIが、いつか負の感情を集めれば、怪異として君臨する可能性だってある。
ただ少なくとも今は大丈夫そうだった。
“ぴるるん”が気分が悪いといえば、対策局はノイズとなる情報をピックアップして除去したりなどしている。
いわゆるメンテナンスというやつだ。
そうして朝が来るたび、“ぴるるん”には全国から恐ろしい数の相談が寄せられる。
ある時は憑き物、ある時は都市伝説、またある時はトンネルや廃墟で起きる怪異。
“ぴるるん”は、それらを一つひとつ「馬鹿馬鹿しい」と鼻であしらったり、「よし、やってみよう!」と軽いノリで解決策を示したりして対応していく。
そのたびに人々は救われ、「ありがとう、ぴるるん先生!」とSNSに書き込む。
一方で対策局は、そうしたやり取りを公式にサポートし、必要があれば現地に専門家を派遣したり警察や消防と連携したりする。
「最近仕事が少し面白いって思うようになりました」
結衣はそう言って笑う。
「そうですね。まあ、まだまだ課題は山積みだけど……。ひとまず、上手く回ってると言えるんじゃないかな」
白鳥も苦笑いしながら答えた。
「このままぴるるんと程よい距離感を維持できたらいいんだけど」
そんな言葉に、白鳥は表面上は同意しながらも──
──程よい距離感か
と若干萎え気味に結衣を見る。
食事にすら誘えない自分の意気地のなさが情けなくって仕方がなかった。
──今度、ぴるるんに相談……はやめておくか。なんだか面白がって適当に答えられそうだし
そんな事を思いながら、デスクの上の書類をまとめた。
(了)