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第十四話「朝日 昇太 と 八尺様」(後編)

 ◆


 ピロリン――という、小さくもはっきりとした機械的な着信音。


 床に落ちていたスマートフォンの画面が突如明るく灯り、まるで“勝手に”スピーカー通話が始まるかのように声が響いた。


『――――おーい、鳳仙さん?』


 その声は場違いなほど軽く、妙にカジュアルな響きを持っていた。


 麗子のまぶたが微かに震え、目がそちらを向く。


 鳴っているのは確かに彼女のスマートフォンだ。


 しかし、誰が通話を取ったわけでもないのに――勝手にスピーカーモードへ切り替わっている。


『あれから少し考えてさ……助けてってお願いされたから急いできたんだけど、なに?喧嘩でもしてるわけ?そういう "ヤバい" ならやっぱり警察に行けって話だよなあ 』


 「ぴ、る……るん、さん……?」


 麗子は掠れ声でつぶやいた。


 スマホの発信表示には「ぴるるん@心霊相談承ります」のアイコンが小さく表示されている。


 まさしく、先ほどまでDMを送っていたあの怪しいアカウント――ぴるるん――からの“着信”だ。


 しかし、通話をした覚えはない。


 そもそも受話ボタンを押した記憶もないのに、なぜ勝手に繋がっているのか。


 それに。


 ──急いで、来た?


『なあ、そこの背の高いお姉さん!鳳仙さんとどんな関係?どうあれ、暴力はだめでしょ、離してやりなよ』


 ぴるるんの声には緊張感がない。


 だが、その瞬間――八尺様が微かに動揺したように見えた。


 白い顔をわずかに傾け、麗子のスマホのある床のほうへ目をやり、麗子の首を締め上げていた手を離した。


「ぽ……ぽぽ……」


 床に転げた麗子は咳き込みながら呼吸をする。


「かはっ……げほ……」


『まさか喧嘩の仲裁をさせられるとは思わなかったけど、折角来たんだから何もしないわけにはいかないし、口を出させてもらうよ』


 ――折角来た?


 麗子は疑問を抱く。


 ぴるるんらしき者などどこにもいないではないか。


 ──でも八尺様はもしかして……視えてる?


 八尺様は動かず、スマホがあるあたりを凝視している。


 ──まさかそこに、誰かが……!?


 全身がバラバラに砕けそうな程に痛む中、それでも必死に、麗子にもはっきりと分かった。


 確かに何かがいる。


 それも、とんでもない何かが。


 余りにも巨大で、余りにも猥雑で、余りにも異質で、余りにも、余りにも。


 ──余りにも、何だろう?


 人ではない。


 それは間違いない。


 では霊か?


 それも違う、と麗子の勘は断ずる。


 ならば神仏の類だろうか?


 この大きさ、異質さはまつろわぬ神々のそれかもしれない──と、思うものの、やはりそれも違うと麗子は思った。 


『ごめん、状況がよく分からないからさ、まあ適当にまとめるけど……鳳仙さんのDMによればさ、お姉さんは子供を攫うらしいけど良かったら止めてくれないかな!あと鳳仙さんと何があったか知らないけど、勘弁してやってよ。事情はわかんないけど!まあ確かに感じがいい人じゃないよ?待ち合わせだってドタキャンするし……というかあの日、俺は話しかけたってのにろくに返事もせず、目も合わせてくれないんだからさ。違う人かなっておもってあとで服装とか確認してみれば、やっぱりあの女の人は鳳仙さんじゃん。いまだってそうだよ、目も合わせようとしてくれない。足だか腹だかを見てる。』


 滅茶苦茶である。


 自分の都合だけを押し付けるぴるるん──これは交渉にすらなっていなかった。


 しかし。


「ぽ、ぽ……」


 八尺様は何かを訴えかけるように口を開き──そして閉じる。


 麗子には理解できないが、ぴるるんにはどうやら伝わっているらしい。


『ふーん。なるほどね、ああ、そういう経緯があったわけか。っていってもさ、昔の話じゃん!っていうか、お姉さんの子供じゃないでしょ、その……ガキ……いや、なんだっけ、男の子は。いまは現代なの!昔みたいに捨てられたりしないよ。どうしても育てられない家庭があれば児相なりが引き取るだろうしさぁ。大体、ちゃんと育てられてる子までってのは見境なしすぎるじゃんwwだからもうやめなって。お姉さんも随分ぼんやりしてたみたいだけど、今はちゃんと話したりできるんでしょ?』


 まるで友達を諭すかのような口調。


 すると八尺様は軽く頷き──


「ぽ、ぽぉ……」と呟いた。


『じゃあ解決ってことでいいかな?いいならそろそろ帰りなよ。家どこなの?……ああそう、山ガールって奴か』


「ぽぉ……ぽ……」


『うんうん。ああそうだ、これまで攫った子は?……ああ、そう、に?良く分かんないけど、とにかく帰してあげるって事でいいんだよね?……はいはい。それじゃあね、お疲れ!』


 八尺様は最後にちらりと昇太のほうへ視線を向けて、そして白い帽子を揺らしながら玄関の方へと向かってそのまま去っていった。


 しんと静まり返った部屋で、誰もかれもが言葉を発する事ができないでいる。


 一体何が起きたのか整理できていないのだ。


 しかし、さきほどまでの重苦しさは嘘のように和らいでいた。


『はい、解決っと』


 ぴるるんの声がスマホ越しに響いた。


 麗子は首の痛みをこらえながら、どうにか身体を起こす。


 気を抜いたら気絶してしまいそうだ。


「あ、ありがとう……ございます……」


 そう呟くのが精一杯だった。


『うん? ああ、まあいいよ。あとで送金よろしく。ペイペイで1万円ね。解決しなかったら無料で良かったんだけど……解決したからね。俺は急いでるからもう帰るよ、こっちもこっちでちょっと面倒な事になってるんだ』


 そこで通話がブツリと切れ、スマホの画面も暗くなった。


 そして同時に、あの得体のしれない気配もふつりと消える。


「……嘘みたい」


 鮎美が震える指を組み合わせてつぶやく。


「今の……一体、何が……」


 美知恵も同じく呆然と立ち尽くしている。


 昇太はようやく身体が動くようになり、涙を浮かべながら儀一のもとへ駆け寄った。


「じいちゃん! 生きてる……?」


 儀一はどうにかうめき声をあげ、痛む胸を押さえながら身体を起こす。


「う、うう……わしは、しぶといからな……まだ死なんぞ」


「よかった……」


 昇太は泣きじゃくりながら、儀一に抱きついた。


 あの八尺様の姿はもうない。


 それどころか、先ほどまで黒い液体が天井にべったりと張り付いていた跡も、消えてしまっている。


 ただ、部屋の一角にはいくつかの割れた木片や、黒く焦げた紙切れ――かつて魔除けだった札の残骸が落ちているだけ。


 麗子は力が抜け、畳に尻餅をついていた。


 ふと自分の顔に触れてみると、べったりと血の痕がついていた。


 しかし不快感はあれど、痛みなどはない。


「……わからない、やっぱり。ぴるるんがなのか」


 ぴるるんがしたことは除霊ですらなかった。


 しかし実際、八尺様は去っていったのだ。


 結果だけ見れば除霊成功と言える。


 麗子の頭には疑問だけが残った。


 だが、今はそれよりも何よりも、ひとまず生き延びたことを喜ぶべきだろう。


 それから一時間ほどして外が白み始めると、家の周囲にはもう八尺様の気配は微塵も残っていなかった。


「とにかく……朝になったら、昇太を東京に帰してやろう」


 儀一は硬い声でそう言って、村人たちに協力を仰ぐ。


 麗子も大きく頷いた。


「おそらく……八尺様は根本的に消え去ったわけじゃありません。どこかでまた出るかもしれない。でも、少なくとも今回の件は収まった。まずは昇太くんを安全な場所へ移してあげてください。よく頑張ったわね、昇太君」


「はい……」


 昇太は頬を涙でぐしょぐしょに濡らしながらもうなずく。


 八尺様と相対した恐怖は、一生消えない傷になるかもしれない。


 しかし生きて帰れるだけ幸運だと今は思うしかない。


 そうして空が完全に明るくなるのを待ち、昇太を車で村の外へ連れ出す作戦が再開された。


 すると今度は不可解なループ現象は起きず、車はすんなりと山道を抜けて国道へ出ることができた。


 その後、村には例の「ぽぽぽ」という声は一切響かず、地蔵が壊れたままではあるものの、八尺様の姿を見る者もいなかったという。


 夏の間、何事も起きずに秋が来て、次の年も平穏な歳月が流れていった。


 ◆


 麗子は帰りの車で今後の事を考えていた。


 ぴるるんへの送金は済ませたが、それでハイさようなら、という風には行かない。


 あんなことがあったからこそ、麗子は今度はきちんとした形で話してお礼が言いたかった。


 しかし、果たしてそれは良い事なのだろうか?という思いもある。


 ぴるるんは明らかに詮索を望んでいない、だのに助けられた身でありながらその正体を見極めようとする事は、あるいは禁忌に触れる事なのかもしれない。


 ──……やっぱり、やめね


 結局、麗子は諦める事にした。


 ぴるるんが何者なのか探る事で、折角拾った命を落としてしまう事にもなりかねない。


 明らかに相手は人間ではないのだ。


 それだけならばともかく、長年修行を積んだはずの麗子にも正体が皆目見当つかないほど異質な存在とあっては。


 麗子は溜息をつき、そしてぴるるんの事を頭から振り払う。


 しかしまあ──


 「暫く仕事は休業しましょ。流石に今回は疲れたわ……依頼料も貰ったし、温泉でも行こうかしら」


 そんな事を呟きながら、麗子は車を走らせる。


 空には夏らしい蒼穹が広がっていた。


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