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第十四話「朝日 昇太 と 八尺様」(前編)

 ◆


 朝日 昇太が母親の故郷の村にやってきたのは、夏休みが始まってすぐの八月上旬だった。


 車で何時間もかけて到着したその村は、山陰地方の奥まったところにある小さな集落だった。


 過疎化が進み、土蔵や茅葺屋根の家がまばらに残り、夕暮れが迫る頃には辺り一面が茜色に染まって静寂に包まれる。


 昇太は東京の学校に通う中学二年生で、自然いっぱいの場所を期待してはいたが、実際に目の当たりにすると想像以上に田舎だった。


「うわ……コンビニとかないんだろうな」


 車の窓を開け、昇太は村の空気を確かめるように鼻をひくつかせる。


 それでも、都会とは違うローカルな香りにほっとする部分もあった。


 ──ずっと住むとかだとまた話は違うんだろうけど


 根がシティボーイにできている昇太だが、たまには田舎で休暇も悪くはない。


 古い実家の門をくぐると、祖父母親が玄関先で待っていて、満面の笑みを浮かべながら手を振っている。


 こうして家族全員で帰ってくるのは随分久しぶりだった。


「昇太、おかえり。おじいちゃんもおばあちゃんもずっと待ってたぞ」


 祖父である儀一の声は少しかすれているが、しっかりした調子だ。


「ただいま。久しぶりだね、おじいちゃん」


 昇太はペコリと頭を下げ、祖母にも挨拶する。


 玄関から奥へと続く廊下は磨き上げられていて、夕飯のいい匂いが台所から漂ってきた。


 夕食には野菜たっぷりの煮物や新鮮な魚が並び、都会暮らしではなかなか食べられない美味しさに昇太は舌鼓を打つ。


「どう? 田舎のご飯も悪くないでしょう?」


 祖母の美知恵がそう聞くと、昇太は「うん、めっちゃうまい!」と素直にうなずいた。


 母親の鮎美も懐かしそうに微笑んでいる。


 食事を済ませて縁側に出ると、山あいの夜風が心地良い。


 虫の声が賑やかで、星空はまるでプラネタリウムのように瞬いている。


 昇太は言葉もない。


 都会では決して見る事が出来ない空だった。


 ◆


 翌朝、昇太は早起きして庭や裏手を散策してみた。


 木造の納屋や竹林、その向こうには一面に広がる田んぼが見える。


 セミの声やカエルの声が混じり合い、まさに田舎の夏の風景だ。


「退屈だと思ったけど、案外いいかも」


 そう呟いて足を進めていると、垣根の向こうから、かすかに奇妙な声が聞こえた。


 ──ぽ、ぽ……ぽぽっ……


 どこか機械的な、甲高い奇妙な声。


「……鳥か何かかな」


 ぼんやりそう思いながら垣根の先を覗き込もうとした時、ヒュッと白い影が動いた気がする。


「あれ……? 今、何かいた?」


 昇太は首をかしげ、垣根を回り込んでみるが、それらしき姿は見えない。


「気のせいかな……」


 もう一度耳をすませても、それっきり妙な声は聞こえなかった。


 気を取り直して、近くの小川まで足を伸ばしてみる。


 すると川辺には水遊びできそうな場所もあり、透き通った流れの中を魚が泳いでいるのが見えた。


「明日じいちゃんに釣り竿つくってもらおっと」


 軽くテンションが上がったまま家に戻ると、祖父がそわそわと庭を見回していた。


「昇太、どこに行ってたんだ!」


 儀一が強い口調で声を荒げる。


「え、ちょっと川の方に。あ、危なかったかな……?」


「そういうわけじゃねえが……心配したんだよ。ま、まあ出かけるときは声をかけてくれな」


 美知恵は苦笑いし、「若い子は元気でいいねえ」と言いつつ、なにやらほっとしたようだった。


 田舎の川遊びや山遊びで犠牲になる子供がいないでもない。


 昇太は軽く叱られたことも、儀一と美知恵が自分を慮ってくれての事だと──そのときはそう納得した。


 ◇


 お昼になり、鮎美が「少しお散歩しようか」と提案したので、昇太は村を一周する形でついていくことにした。


 村の中心には小さな神社があり、そこには古びた地蔵が祀られているらしい。


 鮎美は昔ここで遊んだり、友達と肝試しをしたなんて話を楽しそうに語るが、昇太が実際に目にした地蔵は、無残に壊されていた。


「首が……ないね」


 石の地蔵は頭部が砕かれ、体も真っ二つに折れて転がっている。


 苔むしたその姿は痛々しく、誰かが故意に壊したとしか思えなかった。


「なんだか……嫌な感じ」


 鮎美の顔からも笑みが消え、「誰かが──悪戯したんだろうね」とつぶやく。


「こういうのってお役所が直してくれたりしないのかしら」


 鮎美は何とも言えない表情で、散歩を切り上げて帰路についた。


 ◇


 夕方、近所の人らしき年配男性が家を訪ねてきた。


 儀一と小声で何か話しているが、その表情は明らかに険しい。


「……あの子……大丈夫か……? あれから……20年……八尺様の……しかも、祠が……」


 かすかにそんな言葉が聞こえ、昇太は首を傾げる。


「八尺様……って何だろう」


 鮎美に尋ねても、「昔からこの辺に出るっていう、ええと……お化けの言い伝えなのかしら。詳しくは聞いたことないけれど」と言うだけ。


 しかし、儀一と美知恵の態度は明らかに落ち着かず、どうやらその“八尺様”とやらに警戒しているように見えた。


 そして夜。


 縁側へ出て涼もうとすると、「夜は外へ出るな」と儀一に厳しく叱られた。


「そ、そんなに危ないの……?」


「とにかく言う通りにしてくれ。今夜は早く寝なさい」


 部屋にこもった昇太は、窓の外を見たくてたまらなかったが、儀一と美知恵が妙に過敏なため、仕方なく布団を敷いて横になる。


 だが、なかなか眠れずにスマホをいじっていると、どこからか再び「あの声」が聞こえた。


 ──ぽ……ぽぽ……ぽぽぽ……


 廊下の向こうか、あるいは外か。


 ──鳥、だよね? 


 都内にもみょうちくりんな鳴き声で鳴く鳥がいないではないのだ。


 ほーほー、ほっほーと鳴く鳥や、ギイギイと鳴く鳥……色々と居る。


 田舎ならもっと変な声で鳴く鳥がいてもおかしくはないだろう──内心の不安感を押し殺し、そんな風に思い込もうとしていたその時。


 窓ガラスをガタリと何かが叩いた。


「え、嘘……」


 恐る恐るカーテンの端をめくろうとしたが、どうにも怖くて指が震える。


 シャッとカーテンを開けると、夜闇しか見えない。


 しかし、すぐ近くに何かの気配があった。


 特に何かの心得があるわけでもない一般キッズである所の昇太だ、気配なんてものが分かるはずもないが、そのときは確かに分かった。


 人間なのか、獣なのかすら分からないが、とにかくと。


 ──『 あれから……20年……八尺様の……しかも、祠が……』


 そんな言葉が脳裏を過ぎる。


 怖い。


 だからこそ、窓を開けて確かめたい。


 恐怖の根源は "未知であること" ゆえに。


 だが昇太にはどうしてもができなかった。


 結局音の正体は分からないまま、その夜はまんじりともせず床につくことになったのだった。


 ◇


 翌朝、顔色の悪い昇太を見て美知恵が「夜中に何かあったのかい」と心配そうに覗き込む。


「ちょっと、窓ガラスを叩く音がしただけ……かも」


 昇太は曖昧に答えるが、儀一と美知恵は顔を見合わせて小さく唸った。


「音、か」


「ねえもしかして……」


 そんな儀一母に、鮎美が怖い表情で問いかけた。


「ねえ、お母さん! 一体なんだっていうの? はっきり言ってほしいんだけど!」


 すると美知恵が口を開く。


「“八尺様”っていう恐ろしい妖怪──いや、神さまがいるんだよ。背の高い女の姿をしていて、ぽぽぽ……って声を出す。昔、この村では何度も人がさらわれたり死んだりして、地蔵を建てて封印したって言われてるのさ。でも、地蔵があんな状態じゃねえ……」


 儀一が補足するように、「高い身長だから“八尺様”と呼ばれているんだ。八尺……つまり、2m40cmってことだな」と続けた。


「子供や若いもんが狙われやすいんだよ……」


 真剣な眼差しに、昇太は思わず息を呑む。


 鮎美は「ただの迷信でしょ?」と余り信じている様子はない。


 しかし儀一は拳を握りしめ、「何を言うとるか! 迷信であるもんか! 迷信なら、迷信ならどんなによかったことか……」


 そう言って儀一は自身のの事を話し始めた。


 自分には弟がいたこと


 しかしもういないこと


 なぜなら、八尺様に魅入られ、連れ去られてしまったから


「この村の古いモンならみんな八尺様の事を知っとる……悪い神さまなのはそうだが、それでも神さまは神さまなんだ。だから祟らんでくだされよ、とお地蔵さんにな、鎮めてもらっとったんだが──」


 鮎美があっと声を出した。


「あの壊れてたお地蔵様って……」


「んむ、外のモンが壊したんだろうな……それか、を抑えるのに──限界が来ちまったか……」


 その余りの悲壮さというか凄愴な様子に、その場の者たちは八尺様など迷信だとは口に出せなかった。


「声を聞いたってことは……昇太は既に八尺様に魅入られとる──だったら何とかして村の外に出すしかない」


 だが、儀一の声には何と言うか力強さというものがなかった。


 まるで、果たしてそれが出来るのかどうか自分でも疑問に思っているとでも言う風に。


 ◇


 その日の正午前、親戚筋の男性たちが集まり、昇太を護るためにワンボックス車を用意してくれた。


「大勢で囲む形で、昇太くんを車の中心に座らせる。途中で八尺様が出ても、こっちがしっかり守るから」


 そう説明され、昇太は胸の鼓動を抑えながら車に乗り込む。


 鮎美や美知恵が落ち着かない様子で同乗する。


「よし、行くぞ!」


 エンジンが唸り、車は勢いよく村はずれへ向かう。


 しばらくは何も起きず、狭い農道を抜ければ国道に出られるはずだ。


 ところが、途中で突然「ぽ、ぽぽ……」という声が響き、車の窓ガラスに何かが叩きつけられた。


「うわっ……」


 運転席の男が悲鳴をあげる。


 外を見ると、白い帽子の影がサッと消える。


「いた……やっぱり、いた……」


 鮎美が昇太を庇うように抱きしめると、車内の全員が緊張感を高める。


「振り切るぞ!」


 運転手はアクセルを踏み込み、細い道を乱暴に走り抜けた。


 するとガタンと車が跳ね、視界が揺れる。


「道を間違えないでくれ……!」


 儀一が叫び、運転手が地図アプリを確認する。


「まっすぐ進めば、すぐに村を出られるはずだ」


 その言葉に一同はわずかに安堵したが、ようやく広い道に出たと思った瞬間、見覚えのある風景が目に入った。


「え……これ、さっき通ったバス停じゃ?」


 助手席の男がまじまじと看板を見つめる。


「おかしいな、反対方向に走ってたはずだぞ」


 さらに進むと、古い鳥居が視界に入り、誰もが絶句する。


「村の入り口……戻ってきちまったのか」


 儀一がうなだれるように言う。


「嘘だろ、どうして……!?」


 まるで道がループしている。


 そのまま家に戻るほかなく、車の中は重苦しい沈黙に包まれた。


「ダメだ、出られない……」


 ・

 ・

 ・


 家に帰り着いたのは夕方近く。


 皆、疲労困憊で、美知恵はソファにへたり込んでいた。


 昇太も不安と恐怖で頭がいっぱいだったが、儀一はなおも諦める気配を見せない。


「なんとしても何か手を考えねえと……」


 その言葉を聞きつけた鮎美は、意を決したように声を上げる。


「じゃあ、祓い屋さんを呼びましょうよ。テレビとか出てる、有名な人がいるじゃない? 確か──鳳仙 麗子って人。結構前から色んな番組に出てるし、だったら詐欺師とかそう言う事はないんじゃないかしら? だって完全にインチキだったらああいう風に番組で何度も取り上げたりしないだろうし……」


 村の男たちも「名前くらいは聞いたことある」「テレビの除霊番組に出てた」と口々に言う。


 そこで儀一は携帯を握りしめ、どこかに電話をかけ始めた。


 ◇


 翌日の昼過ぎ、鳳仙 麗子は予想外に早く現地へやってきた。


 依頼の電話を受けてすぐ飛んできたと言う事になる。


 ド派手な和風の衣装に、艶やかな髪を結い上げて、見るからに芸能人然とした風貌。


 しかし瞳には鋭い光があり、噂どおりのオーラを放っている。


「八尺様、久々に聞いたわ。相当厄介よ」


 家の中で軽く状況を聞き終えた麗子は、すぐに昇太を見て、そっと頭に手をかざす。


「……やはり“目”をつけられてる」


 そして儀一に向き直り、「ここは私に任せて」と一応は請け負ってくれたが、その表情はどうにも複雑そうだった。


「昇太は助かりますか……?」


 鮎美が不安げに尋ねると、麗子は少し眉を寄せて「確約はできない」と漏らす。


「だけど、普通の祓い師じゃ対処できないのは確かだし、私も逃げるわけにはいかない。やるだけやるわ」


 さっそく麗子は家の周囲に塩や幣束を置き、簡易の結界を張り巡らせる。


 さらに昇太の部屋には四隅に盛り塩を置き、窓には御札を複数貼った。


「一時しのぎにはなるはず。でも、向こうが本気で壊しにきたら……」


 麗子は言葉を濁し、スマホを確認する。


「どうしました?」


 儀一が尋ねると、麗子は苦い顔で言った。


「実は私の仲間の祓い師にも声をかけたんだけど、八尺様相手じゃ誰もつかまらないか。……さて、どうしたものか」


 それでも夜に備えてできる対策は全部打ち、家の者たちをとある空き家の座敷に集める。


 空き家を使ったのは、その家の間取りが良かったからだ。


 家の向き、間取り。本気で魔から身を護りたいならば、その辺にも気を配る必要がある。


 窓と襖をすべて閉め、灯りを最小限に。


「今夜は眠れないわよ」


 麗子が小声で言い、昇太の頭を撫でた。


「怖いだろうけど、がんばって。あなたがしっかりしてないと、こっちも困るからね」


 昇太はその手のぬくもりに少しだけ安心し、こくりと頷いた。


 ◇


 その晩は想像以上に恐ろしい夜となった。


 窓を叩く音、屋根裏を走り回るような足音、そして遠くから響く「ぽ、ぽぽ……」というあの声。


 はじめは微かなものだったが、深夜に近づくにつれ、確実に家へ迫っているように聞こえた。


「みんな、動かないで。結界があるから大丈夫」


 麗子が冷静に言い聞かせるが、その顔には汗が浮かぶ。


 と、次の瞬間、鮎美が小さく悲鳴をあげた。


「お、お札が……」


 見ると、窓に敷き詰めるようにして貼った札が一枚ずつ急速に変色し、朽ちていく。


 ──ペースは遅いわ。一枚80万円の仕事はしてくれてるわね


 そんな事を思いながら、麗子は祓いの祝詞を唱え続けた。


 朝方になり、窓の外が白み始めるとようやく物音や声は収まった。


 家の者たちはどっと安堵のため息をつくが、昇太は顔色が悪く、鮎美に抱きしめられながらようやく短い眠りにつく。


 麗子は疲れ切った様子で畳に腰を下ろし、長い溜息をついた。


「これ……私一人で解決できるのかしら……」


 ◇


 麗子は八尺様と一晩相対して理解したことがある。


 自分ひとりの手に負える相手ではないと。


 木造の家の壁という壁に赤い手形がついており、外にも貼り巡らしたはずの魔除けの札が一枚残らず焼き切れていた。


 まあ、逆にいえばその辺の木端悪霊なら近づいただけで昇天してしまうであろう高級な霊札を惜しみなく使ったからこそ、昨晩を乗り切れたと言えるのかもしれないが。


 ──これで諦めてくれれば良かったけど、駄目みたいね


 麗子は家全体を覆い包むような昏い影を視た。


 まるで生きているかのように蠢いている。


 その影は昇太にも纏わりつき、八尺様がいまだに諦めていないことを意味していた。


 影が孕む厄の濃密さに麗子は舌を巻く。


 ──最悪、直接相対することも考えていたけれど。数分ともたないでしょうね


 そんな事を思いながらスマホを取り出し、SNSを開き、アカウントを切り替える。


 いわゆるサブアカというやつだ。


 そして、麗子はとある相手にDMを送った。


 ・

 ・

 ・


 待つこと数時間、何の返信もない。


 外は夕暮れが迫り、あの夜がまた繰り返されるのかと思うと正直麗子も胃が痛い。


「来た……!」


 麗子の明るい声に一同が期待のまなざしを向けるが、メッセージの内容はこうだった。


 ──『子供が危ない? なら警察呼べば? 俺はそういうの専門じゃないんだけど』


 あまりに気の抜けた返事に、覗き込んでいた儀一は怒りをあらわにする。


「何だそりゃ! 真面目に取り合ってないじゃないか!」


 麗子はぐっとこらえて、再び長文を送信する。


 ──『この村には八尺様と呼ばれる怪異が存在しているの。子供が狙われていて、私の手に余る案件です……どうか助けてくださいませんか』


 しばらくして再び通知が鳴る。


 ──『八尺様? ああ、ネット怪談の……』


 ──『お金は言い値で払います。


 送信すると、少し間があってから返事がくる。


 ──『またか~……』


 ──『そう。、です』


 返事はすぐに来た。


 経って1秒やそこらだろう。


 ──『お願い、ねぇ、そうか。お願いか……。お願いなら、ちゃんと聞かないとだめ……かなぁ』


 妙にという言葉を強調するのも気になるし、なにより返信がやたらと早い。


 まるでその場で話しているかのようなレスポンスの早さだった。


 ──どうしてこんなに早く返せるの? 


 そんな事を思うが、それは少なくともいまはどうでも良い事だ。


 ──『とにかく、すぐに助けてほしいんです。来てもらえないなら通話とかでもいいから助言を……』


 そこまで打ったところで、ぴるるんから返答が被せられる。


 ──『助言ね……まあ、ちょっと考えるわ。また連絡するよ』


 そうして、それからは何を送っても既読もつかなくなってしまった。


「くっ……」


 麗子は唇を噛みしめる。


 それでも、一歩だけ前進したような気がしないでもない。


 何も希望がなかったところに、わずかな光が差し込んだようなそんな感覚だ。


「大丈夫なのかしら……なんだか、その、軽い感じの人だったみたいだけれど」


 鮎美は随分と不安そうな様子だ。


 自分の息子の命が掛かっているのだから当然だろうが。


「私にも分からない。だけど、無視されるよりはマシ。たぶん、あの人なりに考えてくれるはず……」


 麗子はそういって昇太をる。


 影はさきほどよりまた少し濃くなっているようだ。


 外はしんと静まりかえり、時計の秒針がやたら大きく感じられる。


 この時期なら聴こえてきて当然の、虫の鳴き声すらも聞こえない。


 そのとき、不意に窓がカタカタと揺れた。


 そうして──


 ──ぽ、ぽっ


「……来る……」


 麗子が顔を強張らせた刹那、屋外でガタリと物音が鳴った。


 胃がぐぐっと持ち上げられるような感覚。


 ──ぽ……ぽぽぽ……


 不気味な声がじわじわと大きくなっていく。


 麗子は手を組み、祓いの祝詞を口にした。


 しかし "声" は止まない。


 ──ぽ……ぽぽ……ぽ、ぽっ……


 闇夜に絶え間なく響き続けた。  

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