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チハルは受話口に耳を押し付ける。
『ハッチさん! 状況を説明してくれる? リプライ見ただけじゃ、いまいち把握しきれなくてさ』
「は、はい……でも……! 私、どうしたら……あ、あの、私たち、その! こ、こっくりさんをやって……」
チハルは、真っ暗闇の中でスマートフォンを握りしめながら懸命に説明をした。
顔は涙と汗でぐしゃぐしゃ、膝は震え、心臓の音が聞こえるほどに大きく高鳴っている。
にもかかわらず通話の相手からは「うんうん、そうなんだね」と、呑気な返事が返ってくるだけで、やけに軽い。
「こっくりさんをやったら友だちが行方不明になって……いま、生放送で除霊してもらってるんだけど、急に真っ暗になって……先生がどこにいるかもわからないし……ものすごく怖いんです……」
パニック寸前のチハルは声がうわずり、しどろもどろに言葉を継ぎ足す。
しかしぴるるんはどこか優しげな声色で笑うように答えた。
『なるほど、なるほど。大丈夫だよ、ハッチさん。そんなに震えなくても平気、平気』
「へ、平気なわけないです! こんなの、どうしたら……!」
チハルは思わず声を荒げるが、ぴるるんは「いやいや違うんだよ、大丈夫なんだ」とさらに軽い調子で言葉を重ねる。
『これはねえ、夢なんだよ。ハッチさんは寝てるんだよ、すやすやぐっすりと』
唐突すぎる言葉に、チハルは耳を疑った。
「夢……? そんなわけありません! だって、私は今、生放送のスタジオにいて……」
『ほんとに? 本当に夢じゃないって言い切れる? どうかなあ。100%、絶対に言いきれる?』
念を押すように尋ねる彼の声に、チハルは少し言葉を詰まらせる。
自分が置かれた状況は、たしかにあまりに非現実的だ。
友だちが次々に行方不明になり、心霊番組で派手な除霊をするなんて展開、冷静に考えればドラマや映画のようでもある。
「そ、それは……100%とは……言いきれないかも、だけど……」
チハルの声が弱々しくなると、ぴるるんは「ほらね」と満足そうにうなずいた。
『じゃあ、この状況は夢なんだよ。夢なら、その場で何をやったっていいんじゃない? 起きちゃえば全部おしまいだしさ』
「起きる……って、どうやってですか」
『そうだなぁ……じゃあ歌ってみようか! 歌いきったら、ハッチさんはぱっちりお目覚めできるよ』
「歌……?」
『そうそう、まあ景気いいやつがいいな……ここは暗いし。そうだなぁ~サンタルチアでも歌おうか。知ってるよね? SulmareluccicaL'astrod'argento~♪ ってやつ。これを選んだ理由は──特にはないッ!』
チハルは驚きすぎて言葉も出ない。
だがあんまりにもイカれていて、不思議とさっきまでの恐怖心が少し緩んでくるのを感じる。
「あ、あんまり詳しくは知らないけど……聴いたことはあるかも。でも、こんな海外の曲なんて……」
『いいからいいから。じゃあ俺がちょっと歌うから真似してみて。ほら、いくよ。スルマーレルチカ~♪ ラストーロダルジェント~♪』
ぴるるんの口からイタリア語らしきフレーズが流れる。
案外に上手い。
チハルは混乱しつつも、思い切って口を開いた。
「す、するまーれ、るちか……らす、とーろ……だる、じぇんと……?」
恥ずかしさと場違い感が頭の中をぐるぐる回る。
まさかこんな状況でアカペラさせられるなんて思ってもみなかった。
しかし、歌っているうちに気づく。
さっきからずっと聞こえていたドン、ドンという不気味な音が消えかかっている。
先ほどまでの冷たい気配も、少しずつ薄れてきたように思う。
『さあ、もっと声出していこうよ。次は『サンタ~ルチア~♪』ってとこ』
「さ、さんた……る、ち、あ~~~……」
最後は声がひっくり返り、自分でも笑ってしまうほどの音程外し。
けれど、その瞬間、目の前の闇がふっと薄れた気がした。
『そうそう、いい感じ。いくよ、さんたぁぁぁ↑↑↑るちィィア──ー!!』
一緒に大声を出すと、まるで霧が晴れるように周囲がぼんやりと明るくなっていく。
気づけばチハルは意識を失いそうになり、スマホを手放しそうになった。
──そして目を開けると、チハルはスタジオの床に横たわっていたのだ。
◆
「チハルさん! チハルさん、聞こえますか!?」
視界に入ってきたのは、派手な衣装の鳳仙麗子だ。
顔を真っ青にして、チハルを揺さぶってくる。
スタジオのライトは復旧しているのか、あたりはそこそこ明るい。
スタッフや観客が遠巻きにこちらを見ており、ざわざわと騒然とした空気が広がっていた。
「わ、私……どうなったんですか……」
チハルは半ば起き上がりながら辺りを見回す。
床には大きな御幣や紙ふぶきのようなものが散乱している。
どうやら番組の生放送中にチハルは気絶してしまったらしい。
麗子はホッとしたように胸をなで下ろし、それから厳かに口を開いた。
「よかった。あなたに取り憑いていた魔は去りました。除霊は成功よ。まったく……途中、どうなるかとヒヤヒヤしたけれど……何とか退散してくれたようね」
チハルは安堵と疑問が入り混じった表情になる。
「魔って……? ああ、でも、その……いえ、でも私、その……妙な夢を見て……」
麗子は顔をしかめる。
「夢? 気絶している間に何か見たのね。まあ、そもそもボードについていたのは低級な浮遊霊の類。だけど、あなたが極度に怖がっていたせいで力を持ってしまった。結果的に私の結界が一時的に破られかけたけれど、どうにか払えたみたい」
ほっとしたのか、スタジオのスタッフたちから大きな拍手が起こる。
生放送はどうやら終盤に差し掛かったようで、司会者が駆け寄りマイクを向けてくる。
「鳳仙先生、本当に除霊は成功したのでしょうか?」
麗子はうなずき、涼やかな笑みを浮かべた。
「ええ、もう大丈夫です。夏木さんに憑いていた厄介な存在は完全に浄化しました。皆さん、ご安心を」
それを合図にスタッフが「OKです!」と叫び、拍手喝采に包まれる。
観客席のあちこちからも歓声が上がり、チハルは呆然と立ち尽くすばかり。
◆
生放送の終了後、スタッフが三々五々に撤収作業を始めるころ、チハルは控室で麗子に声をかけられた。
「ねえ、あなた、さっき変な夢を見たって言ってたわよね。詳しく教えてくれない?」
「夢……というか……真っ暗な場所で、その……ぴるるんさんと通話してたような……」
チハルはスマホの着信履歴を確認したが、“ぴるるん”との通話履歴は残っていない。
「それで、歌えとか言われて……」
「歌、ねえ……」
麗子は困惑するように表情を歪めたあと、小さくため息をついた」
「もしかしたら……本物、なのかもね。あなたを助けにきた……あるいはちょっかい出しにきたのかも。でも結果的にあなたはこうして無事でいる。魔の気配もない……今回は私……負けちゃったのかもね」
麗子は渋面を浮かべてそう言うと、肩を落として歩き去る。
「まあ、あなたが助かったのだからそれでいいわ。お大事にね」
その背中はいつもの堂々とした姿とは違い、どこかしおしおと萎れていた。
◆◆◆
なんか変な夢をみた気がするんだよな……暗い所に女の子がいて、俺と通話してんの。
それでなんか歌い出して……あれ? 俺が歌ったんだっけ?
まあいいや。
その子がクソ音痴だったのは覚えてる。
それにしてもさぁ、なんでbioの一つも読めないのかねぇ。
起きたら通知チェックしてたんだけどさ、なんか相談者っぽい子がリプくれてたんだよね。
リプされても気付かんのよ、他にもくっだらねえ事でリプしてくるやつがわんさかいるから。
普段はDMのアイコンしかチェックしないんよ。
随分困ってるっぽかったけど──うーん、今回は悪いんだけど放置で!
相談者はDMでっていうのはほら、ルールだから。
一人だけ特別扱いしてたらキリがないからさ。
まあ、本当に困ってるとかだったらまた連絡くるでしょ!
◆
“こっくりさん”とは、狐狗狸(こくり)と書き、古くから伝わる降霊遊びである。
多くは複数人で硬貨を囲み、紙に書かれた文字の上を指でなぞる形で行う。
けれど、昔から言い伝えられているように、この遊びには「正しく終わらせないと祟られる」という注意がついてまわる。
その真偽の程はともかく、「こっくりさん」は人の恐怖や興味を媒介として怪異を引き起こす格好の媒介となりやすいのだ。
心理学的には無意識の動きで硬貨が動いたり、錯覚で怪奇現象を見たりするケースが多いと言われている。
しかし一方で、歴史上には「こっくりさん」にまつわる不審死や失踪事件が、ほんのわずかにだが報告されている事実もある。
それらは本当にこっくりさんの仕業だったのか、それとも偶然の一致なのか。
……真相は誰にもわからない。
だが一つだけ、古くから伝承される言葉がある。
「狐狗狸さん」は人を化かす、と。
人の隙を突いて、不安や想いをかき立てる。
そして、その隙間から入り込み、気づかぬうちに人の心を奪ってしまう。
そもそも、この世の中には「人の想い」が形作る怪異が少なくないと言われている。
想いが強ければ強いほど、それは歪み、怪奇を引き寄せる可能性を持つ。
こっくりさんの根源とは、まさにそうした「人が自ら生み出す恐怖」のことなのかもしれない。
しかし恐怖というのはネタが分かってしまえば振り払えるものでもある。
祓い屋の仰々しい儀式の数々は、恐怖を払うためのものなのだ。
これはプリミティブであればあるほど良い。
なぜなら分かりやすいからだ。
分かりやすければ分かりやすいほど、心にそれが浸透し、恐怖を払いやすくなる。
これも自身に前向きな気持ちを引き起こしやすくする行為だ。
祈ったのだから、あれだけ願ったのだから、という想いが陰の気を抑制する。
これもまた恐怖を払う行為といえるだろう。
払いが転じて祓いと成す。
夢の中でぴるるんがしたことは、まさにそういう事なのかもしれない。
だが、解決したように見えたとしてもそれはあくまでも今回のチハルのケースでは、という但し書きがつく。
「狐狗狸さん」はいつかまた、誰かが軽い気持ちで指を置くのを待っている──その指の先に、人の心を絡めとる罠を携えて。
(了)