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『……それじゃあ、いま作ったその服をミカちゃんに着せてみてよ。たぶん、これで除霊完了だからさ』
通話越しの声は、どこか飄々としていた。
椎名恵理(しいな・えり)は、汗ばむ指先でミカちゃん人形をそっと持ち上げる。
黄色いドレスを着たこの人形は、もともと“足が三本ある”という異形の形状で、恵理の生活をめちゃくちゃにしていた──そう、呪われたミカちゃんだ。
しかし今、恵理が手にしているのは、つい先ほど徹夜で縫い上げた新しい服。
やわらかいコットン布を使い、シンプルなデザインながら愛着が持てるようにと、必死になって作ったのだ。
「……本当にこれで……終わるんでしょうか」
若干の疑念は拭えない。
だが、電話口の相手──“ぴるるん@心霊相談承ります”なる人物は強い調子で言い切ってくる。
「うん。今までその人形についてた服、ほら、何かシミついてるじゃん? それが呪いの源ってわけ。服にこびりついた血の怨念を断ち切るために、まったく新しい服をこしらえて着せ替えるの。そうすれば、服ごと呪いも脱ぎ捨てられるって寸法だよ」
馬鹿げてると思う。
だけど、恵理はもう限界だった。
数日前まで、三本足のミカちゃん人形が“呪われてるの”と囁き続けて、まともに眠れない日々が続いたのだ。
「じゃ……やってみます」
覚悟を決めた恵理は、人形の古い服をそっと脱がせる。
すると、ドレスの内側に広がる焦げたような斑点や、乾いた赤黒い染みがむき出しになる。
「やっぱり……血……なんでしょうか」
小さく身震いしながらも、そのドレスをビニール袋に突っ込み、きつく口を結ぶ。
そして、新しく作った服を、ミカちゃんに着せてみる。
さっきまでの不気味な雰囲気が嘘のように、淡い水色のワンピースを纏った人形はどこか可愛らしく見える。
三本の足は相変わらずだが、それでも印象がずいぶん違う。
「……服を着せた、けど……?」
恵理は不安と期待で胸をいっぱいにしながら、人形を見つめる。
すると、不意に耳の奥でざわついていたあの囁き声が、すっと遠ざかっていく気がした。
「……あれ……」
“私ミカちゃん、呪われてるの”という声が、いつもは頭の中をぐるぐる巡っていたのに、今は聞こえない。
呼吸が落ち着いていくのを感じながら、恵理はスマホを再度耳に当てた。
「聞こえなく……なった、みたいです」
『だろ? じゃあ一応完了だわ。古い服は捨てちゃって、しっかり燃えるゴミの日に出してよ。そんで報告待ってるから。もし今夜から声がしないようなら解決ってことで。解決しなかったらお金いらないから』
まだ信じきれない自分がいる。
けれど、頭の中が久しぶりに静かだ。
「わ、わかりました……ありがとうございます」
電話を切ると、恵理は床にへたり込んだ。
肩の力が抜け、思わず泣きそうになる。
──本当に、解放されたのだろうか。
そんな疑念を抱きつつも、ミカちゃん人形の新しい服を整えながら、恐る恐る顔を覗き込む。
そこには、さっきまで感じていた不気味な圧力はない。
まるで何かを振り払ったかのように、さっぱりとした空気が漂っていた。
「ほんと……終わったのかも……」
そう呟いたとき、恵理のスマホが鳴る。
画面を見ると“後払い1万円、よろしくね”と、ぴぴるんからのDMだ。
苦笑しながらも、「このまま何も起きなければ、それくらい安いもんだよね」と思う。
すべてが、嘘のように解決した。
たとえそれが本当に呪いだったのか、勘違いだったのか、今の恵理には考える余裕もない。
とにかく……今夜こそ眠れそうだ。
◆◆◆
椎名恵理(しいな・えり)、二十五歳。
都内の一般企業で事務職をしている、ごく普通のOLだ。
彼女にはひそかな趣味があった。
人形集め──特に、かつて日本中で一世を風靡した「ミカちゃん人形」の初期バージョンを探すことに熱をあげていたのだ。
ミカちゃん人形とは、大分前に女児向け玩具として爆発的にヒットした商品で、当時は雑誌の付録やテレビCMなど、様々なメディアで取り上げられていた。
恵理は子どもの頃にその人形で遊んだ記憶があり、大人になった今、コレクションとして集め始めたのである。
そんなある日、彼女はオークションアプリ「マルカリ」で、妙な出品を見つけた。
──『三本足のミカちゃん! 激レア!』
高めの値段設定だったが、初期不良の珍品ということで希少価値があると判断し、即決で購入。
届いたのは、薄黄色のドレスを着た小ぶりな人形……しかし、確かに足が三本あった。
「変なもの買っちゃったかな」
そう思いつつも、恵理は最初はワクワクしていた。
レア度が高いし、もしかするとマニアの間で自慢できるかもしれない、と。
だが、そこから恵理の生活は急激に壊れていく。
最初の異変は、届いた翌朝だった。
目覚めると、枕元に人形が立っていたのである。
「……昨日は棚に飾ったはずなのに」
棚から落ちたのか、と思って最初は気にしなかった。
けれど、その日を境に恵理の体調はみるみる悪化していく。
仕事中でも頭がぼんやりして集中できない。
夜になると、意味不明の囁きが聞こえるようになった。
──私ミカちゃん、呪われてるの……
最初は「気のせいだろう」と思っていたが、日を追うごとにその声ははっきりと聞こえてくる。
さらに、会社から帰ってきたら、玄関にあの人形が置かれていたり、台所のシンクに立てられていたりと、怪奇現象が起き始めた。
「やだ、気持ち悪い……なんでこんなところに」
廊下に倒れていることもあれば、ソファの上で恵理を見つめていることもある。
最初は誰かが家に侵入しているのかと思い、警察に通報しかけたほどだ。
だが、ドアも窓も鍵はかかっており、侵入の痕跡はない。
つまり、自分以外の人間が勝手に動かしたはずがないのだ。
「あり得ない……どうして……」
頭の中ではいつも例の声が響き、「私ミカちゃん、呪われてるの」と繰り返す。
恵理は耐えきれなくなり、ついに人形をゴミ袋に詰めてゴミ捨て場に出した。
しかし翌日、ゴミ置き場が空になったはずの時間に、玄関を開けると目の前に人形がちょこんと座っているではないか。
「きゃあっ……!」
悲鳴を上げてドアを閉じる。
もう誰かに打ち明けずにはいられなかった。
でも、こんな話を周りにしたらどう思われるか。
そんな葛藤の中、恵理は日に日に追いつめられていく。
幻覚のように、部屋の隅を三本足の影がかすめるのを見たり、通勤途中でも人形の顔が浮かんできたり。
夜も眠れず、食欲も落ち、職場でもミスが増える。
そんな状態を見かねて、ついに同期の友人が声をかけた。
「ねえ恵理、ちょっと様子おかしくない? 何かあったの?」
最初はごまかそうとしたが、友人の真剣な眼差しに耐えきれず、恵理はすべてを打ち明けた。
……三本足の人形を買ったら、変な声が聞こえるようになって……捨てても戻ってきて……と。
すると友人は、案外真剣な表情で言うのだ。
「ネットで有名な“ぴるるん”って知ってる? なんか不思議な力を持ってるとかで、みんなが相談してるらしいの」
「ぴるるん……?」
友人がスマホを見せてくると、そこにはフォロワー70万超えの胡散臭いにも程がある心霊系アカウントが映っていた。
「本当かどうかは知らないけど、解決したら1万円、解決しなかったら無料って言ってるし。……あ、その目なに? まあ分かるけど、詐欺っぽいっていうんでしょ? でも調べればわかるけど、なんか凄いんだよねこの人。ズバズバ解決しちゃうっていうか……」
恵理は一瞬ためらった。
──でももう限界だし、騙されてもいいや
そんな破れかぶれの思いで、ぴるるんにDMを送ることを決めたのである。
「ミカちゃん人形を買ってから、頭がおかしくなりそうなんです。助けてください……」
すると返信はすぐに返ってきた。
『OK、通話できる? そっちもヤバそうだし、詳しく聞かせて?』
こうして彼女は“ぴるるん”に出会い、誰も信じてくれなかった怪奇現象をようやく相談する運びとなるのだった。
◆
最近ご飯炊くときに明太子入れるのがマイブームになってるんだよね。
シンプルだけど旨い!
明太子は勿論、川本秀並の明太子だ。
300グラムで1万円を超える高級明太子なんだぜ。
まあいいや、そうそう、今朝も一件相談があったんだよね。
“ミカちゃん人形が呪われてる”っていう話。
三本足だか何だか知らないけど……写真みてみたらきったねぇ服きてるから、俺はぴーんときたね。
で、新しい服を用意してやったら? って言ってやった。
やっぱりさあ、折角かったコレクションはそのままにしておきたい気持ちはわからんでもないけど、あんなうすっきみ悪い服着てる人形を部屋に置いてたらそら気分も滅入るよ。
で、案の定解決と。
頭の中に声が聞こえてくるとかは知らん!
働きすぎなんじゃないの?
まあ結果オーライでしょ。
ってことで今日もSNSチェックして、DMが来てたら返事して、あとはゴロゴロしてゲームして、猫動画見て……そんな毎日。
ほんと、霊なんているわけないと思うよ。
もし万が一、本当にヤバい案件がきたら……そのときはどうしようかね。
まあ、来たら来たで適当に口先であしらえるでしょ。
だって今んとこ、それでぜんぶ解決してるからさ。
◆◆◆
三本足のミカちゃん人形──
その正体は、実は単なる製造ミスではなかった、という説がある。
昭和期のある玩具メーカーでは、金型の不具合によって奇形のパーツが大量に生産されたという記録がある。
だが、その奇形パーツを使って作った商品は正式には出荷されず、廃棄処分されるはずだった。
ところが、一部が社外へ流出した。
闇ルートで売りさばかれたそれらは、普通のミカちゃん人形とは微妙に違う形状をしていた。
具体的には、腕が一本多かったり、目が三つあったり、あるいは今回のように足が三本になっていたり──
当然、それらは商品として認められないゴミのはずだが、中にはコレクターの手に渡って高値で取引されるケースもあった。
だが、これだけで呪いだと言うには弱い。
真に恐ろしいのは、この闇ルートに乗ったパーツ群の出所に、ある凄惨な事件が絡んでいたことだ。
当時、玩具メーカーの倉庫で連続殺人事件が起きた。
犯人は工場の元従業員の男で、動機は金銭トラブルや怨恨だったという。
しかし、その事件の被害者のうち一人は妊娠中の女性で、彼女の遺体は倉庫の段ボールに押し込められていた。
その女性の血が、大量の不良パーツに混じって付着していた──という噂があるのだ。
警察の正式な報告では、公表されていないが、倉庫の隅で見つかった血の付いた人形パーツの山が、あまりにも不気味だったという証言が残っている。
結果的に、その人形パーツの多くは不良在庫として廃棄されたはずなのに、なぜか外部へ流れ、“奇形ミカちゃん”として世の中に出回った。
そして、所有者の元に不可解な怪異が起こるようになった──
その中には、夜な夜な人形が動き出すという体験談もあれば、人形が「私、ミカちゃん」と語りかけるという話もある。
一部の霊能者やオカルト研究家たちは口をそろえて言う。
「これは、悲惨な事件の被害者の怨念が、人形の欠陥と結びついた呪いだ」と。
確かに血まみれの倉庫で見つかったパーツに妊娠中の被害者の恨みが宿り、それが半端な形で世に出てしまったのかもしれない。
だが被害者の恨みが「私ミカちゃん、呪われてるの……」と囁くというのは、それはそれで奇妙な話ではないだろうか?
なぜならその被害者はミカちゃんではないからだ。
ミカちゃんがミカちゃんとして囁いていたとしたら?
呪いの為に苦しんでいたとしたら?
呪いの囁き声とされていたのは、あるいはミカちゃんのSOSだったのかもしれない。
(了)