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第六話「三崎 涼子 と きさらぎ駅」


 三崎 涼子(みさき りょうこ)は深夜の路地裏で、震える手をスマートフォンに添えていた。


 通話越しに聞こえてくるのは「ぴるるん@心霊相談承ります」と名乗る人物の声。


 彼女にとっての、まさに文字通りの命綱である。


 「オーッケー、そっから50メートルくらい先に曲がり角あるでしょ? そこを右に折れて、民家が並んでるほうへ走って。絶対振り向いちゃだめだよ。気配を感じても見るとやられるからねー」


 言われるままに涼子は路上を駆けていく。


 闇の奥には誰かが立っているような気がする。


 どくどくと心臓が音を立てる。


 だが、ひたすら前だけを見て走れば、その気配はいつの間にか遠ざかっているように思えた。


 「あ、はい……! こ、ここを右ですね……!」


 スマホを耳に当てながら、小さく息を整える。


 声はさらに続ける。


 「うん、右曲がったら、路地が細くなるけど大丈夫。そしたら次の角を左に入って。自販機みえない? え?ない?探してみてよ、ああ、あった?じゃあ一旦自販機の脇でしゃがんでみて」


涼子は言われた通り、暗い路地を抜け、わずかな灯りを放つ自販機の脇へ滑り込むように身を寄せる。


 ざらざらしたアスファルトに膝をついた涼子は乱れる息を必死で整えた。


 「そしたら背伸びして、できれば息を吐きながら両手を上に伸ばす。いい? ……よし、そのまま5秒キープ!」


 どこか茶化したような声音だが、不思議と逆らう気にならない。


 言うなり涼子は両手をぐっと空に向けて伸ばす。


 1、2、3、4、5……


 すると、自販機の灯りが妙に頼もしく感じられると同時にさきほどまで感じていた気配がすっと遠のいていく。


 ――まるで何かが不本意そうに立ち去るかのようだ。


 「あ……もう、いない……?」


 息を飲みながら周囲を見渡す。


 今度は通話の向こうで、ぴるるんが満足げに言う。


 「オッケー。今ので一応“結界”張った状態だから、そいつはもう追ってこないはず。じゃあ後は道なりに歩いて行きなよ。出られるはずだからさぁ」


 そう宣言されたとき、涼子は安堵の余り泣き出しそうになってしまった。


 「本当に……ここから出られますか……?」


 はあ、はあと荒い息を吐きながら、彼女はスマホ越しに問いかける。


 ――『もちろん。これでダメだったらお金はいらないし、帰ったらペイペイで送金してよ、1万円ね!』


 相変わらずの軽い口調だが涼子は妙な安心感を覚えた。


 ──この人、凄い……。多分、なんて慣れ切ってるんだ。本物の霊能者なんだ、きっと


 そう思いながら、ぴるるんの言った通りに道なりにどんどん進んでいくと──


  「……助かった、のかも……」


 涼子の目の前には駅があった。


 駅前には人通りもあり、勿論その人々はの人間だ。


 駅名を見ると、涼子も知っている駅名だった。


◆◆◆


三崎 涼子は25歳の会社員で、普段はごく普通に事務仕事をしている。


残業が多いせいで、終電近くに乗るのは毎度のことだったが、つい先週、とんでもない経験をしてしまった。


その始まりは、“きさらぎ駅”という都市伝説じみた駅に迷い込んだことだった。


正直、あれが“本物の怪異”だったのか、彼女自身も今はよくわからない。


しかしどう考えても、普通の乗り間違えじゃ説明がつかない夜があったのだ。


いつもの私鉄で、いつもの時間帯。


半分居眠りしながら乗っていたところ、まったく駅に停まらないまま見知らぬ山道ばかりが続き、涼子は恐怖を覚えた。


しかし非常停止ボタンを押すの憚られ、次の駅についたら戻ろうと思っていたところで──電車はようやく駅へ着いた。


だが、駅名は「きさらぎ駅」と書かれている。


涼子はそんな駅など知らなかった。


ホームも改札も無人で、辺りは山と草原だけが広がっている。


スマホの電波も繋がらない。


仕方なく線路沿いを歩き始めたところ、太鼓や鈴の音がかすかに聞こえはじめ、片足の老人らしき影が視界の隅にちらつく。


最初は自分の気のせいだと思い込もうとしていたが、ついに我慢できなくなり、助けを求めて圏外のはずのスマホを取り出す。


するとどうだ、圏外表示のままなのにSNSだけは繋がるではないか。


しかし投稿やリプライはできず、何度か試すうちに“ぴるるん@心霊相談承ります”というアカウントにだけリプを送ることに成功した。


明らかに胡散臭いスピ系アカウントだと思ったが、背に腹は代えられなかった。


リプだけでは気づいてもらえないかもしれないと考え、半ば死ぬ思いでDMを送ると、すぐさま返信が返ってくる。


『事情は分かったよ、まあすぐ解決するから通話できるかな?』――そんなメッセージだ。


通話は無理だと思っていたが、送られてきたMINEのQRを読み込むと、なぜか普通に通話が繋がってしまった。


そこで彼女は矢継ぎ早にいろいろな指示を受けることになる。


「あそこを曲がって」「50m進んだら10m戻って」「右に行け、左に行け」――そんな具体的なナビに従う最中、涼子の背後で呻き声が聞こえ始めた。


振り返ってはならないと本能が警告し、涼子は震えながらぴるるんに報告する。


しかし相手は妙に自信満々で、どう動けばいいかを的確に教えてくれた。


奇妙な指示だと感じつつも、彼女はその声に不思議な安心感を覚え、次々とアドバイスに従い続けた。


そうして逃げ回った末に、涼子は“元の世界”に戻ってこられたのだ。


 ◇


 アホくさ。


 今度は迷子かよ。


 相変わらずSNSで変な相談がひっきりなしに来る。


 この前は「きさらぎ駅に迷い込んだかも」とか、ほんとよくある都市伝説系の話でね。


 俺からすれば、「あーそういうの大体思い込みだよね」って鼻で笑いたくなるんだけど、当の本人は死にそうな声で訴えてくるわけ。


 そこで俺は何をするかっていうと、とにかく“具体的なアクション”を次々と提案するんだよ。


 例えば「路地を右に曲がれ、次の角は左だ」とかみたいなのもそう。


 ポイントは堂々と力強くいってやる事だ。


 そしたら相手はこっちに依存してくるから。


 俺の言う事なら大丈夫だなんて思うようになる。


 心霊現象のほとんどは思い込みと暗示。


 強烈な不安が自律神経を乱して、物音や影を全部“幽霊の仕業”に結びつけるんだよ。


 でもすがる先を与えてやれば恐怖が消える。


 恐怖が消えたらあとは簡単さ。


 頭バグって滅茶苦茶になってた認識が元に戻るわけだから、変な現象も消えるだろうね。


 結果、「除霊できた! ありがとう!」と感謝してもらえて、俺は1万円もらえるって寸法。


 今回の例だと、乗り過ごしてパニくった脳ミソがバグっちゃったって感じだろう。


 不安そうな奴にはとにかく自信ありげな様子を見せる──大体それでどうにかなるもんだ。


 言ったとおりやったんだから私は絶対帰れる、そう思わせれば良い。


 馬鹿な話だとおもうか?


 まあ人間って思ったより、ええと、そのユニークな人が多いからね。


 ほら、新型コロナの時なんて、ワクチン打ったらマイクロチップがどうこうとか大真面目に言ってる連中とかいただろ?


 ああいう感じだよ。


 それはともかく、もう少し値段上げても良い気がするけど、俺はほとんど労力ないしそれで高い金を取るのはちょっと悪い気がするんだよなあ。


 ◆◆◆


 怪異には必ず根源がある。


 実際に "そういった事件や事故" が根源となったりすることが多いが、事件や事故がなくとも怪異発生の根源となるケースもある。


 例えば都市伝説系だ。


 ネットなどでまことしやかに語られることで、少なくない数の人間が "認識" してしまい、力を得てしまう──そんなケース。


 きさらぎ駅もまさにそうであった。


 本来、きさらぎ駅など存在しないし、異世界などもありはしないのだ。


 だが多くの人間の思い込みがきさらぎ駅を作り上げてしまった。


 例えば人間は強く想い込む事で実際に具合が悪くなったりすることがある。


 海外のケースで言えば、余命数ヶ月と告知された癌患者が告知後にみるみるうちに体力を失っていって亡くなってしまったが、死後、その患者には実は癌などはなかったことが判明する。


 患者は全くの健康体だったというのに、自身が余命数ヶ月だと思い込んで、実際にその通りに死んでしまったというのだ。


 こういった例は "世界" にも言える。


 生物の強い想念は世界に対して影響を持つのだ。


 だから多くの人間がきさらぎ駅があると思い込めば──、本来なかったはずのそれが現れてもおかしくない。


 しかし逆のことも言える。


 何十万何百万という人間の想念──この人が大丈夫だと言ってくれるなら、というそんな想いを背負った者が「大丈夫、あなたはそこから出られる」と言えば。


 世界に対しての影響を上塗りすることだって可能……かもしれない。

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