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第五話「堀田 信二と #トイレノハナコサン」

 ◆


 ここ最近、SNSを中心に「トイレの花子さん」の話が急激に広まっていた。


 この現代に、トイレの花子さんってどうなのと思いつつも、そんな古典的ホラーがなぜかバズっているらしい。


 もともとの噂はごく定番。


「校舎の三階の三番目の女子トイレを三回ノックして、『花子さん、いますか』と呼びかけると返事がある」とか、「扉を開けると血まみれの少女がいて、あなたを連れていく」とか、まあそういうやつ。


 しかし、今回の花子さんは現代SNS世代にアップグレードしているようだ。


 いや、アップグレードなのかダウングレードなのかよくわからない。


 ともかく、バズっているのは事実だった。


 俺は学内SNSだけでなく、普通のSNSでもその話題が流れてきているのを感じていた。


「#トイレノハナコサン」というハッシュタグで若い学生たちがプチ怪談を投稿しまくっているのだ。


 ほとんどが出来の悪いつくり話なのだが──妙な事件が起きているのも事実らしい。


 例えば深夜の校舎で人の気配を感じるとか、トイレの個室に誰もいないのに誰かがしゃべる声がするだとか。


 割とありがちだ。


 でも、それらの小さな事件をすべて「花子さん」に結びつけようとするのだから、なんとも乱暴な話だと思う。


 中には花子さんが高速道路を猛スピードで走ってるみたいな、そんな滅茶苦茶な話まである。


 色々と混ぜすぎなのだ。


 俺は最初、そんな流行を鼻で笑っていた。


 またアホな事やってるな、と。


 だが俺の妹、アキがその花子さんの話を本気で信じてしまった。


 改変版の花子さんではなく、元々の花子さんの話はどうなんだと、そんな感じで──


 いや、普段はそんなこと全然興味のない子なんだが、どういうわけかその噂にはやけに食いついていて、毎日のように「ねえ知ってる? 夜のトイレをノックすると花子さんが返事するんだよ」と嬉しそうに語っていた。


 はっきり言って馬鹿だと思っていたが、ある日アキが学校から帰ってこなかった。


 連絡しても携帯は繋がらず、SNSにも反応がない。


 友人たちにも聞いたが、一緒に帰るときにトイレに行ってくるとってそのまま帰ってこなかったらしい。


 先に下校したんだと思って帰ったら──ということだ。


 妹が行方不明。


 これはただ事じゃない。


 ◆


 こうして俺は行方不明の妹を探すため、警察に捜索願を出すのと並行して、ネットで「花子さん 失踪 学校」などと検索しまくった。


 するとやたら目につくのが、とあるアカウントの名前。


「ぴるるん@心霊相談承ります」。


 胡散臭いことこの上ない。


 でもやたらフォロワーが多いし、評判がいいというか、悪評が見当たらないのだ。


 これだけ露出してる除霊系アカウントなら詐欺の被害がいくらでも出そうなものなのに、そういったトラブル報告は見つからない。


 仕藁をもすがる思いの俺はDMを送ってみた。


 翌朝、返信が来た。


「今夜通話できますか? 時間はそちらに合わせるよ」とのこと。


 指定された通話アプリでやりとりを始めると、相手の声は軽薄でカジュアルだった。


 ──『へえ、妹さんがいなくなったのか。花子さんの噂に関わるトラブルねえ。そりゃあもう、学校に行くしかないっしょ。特に夜のトイレってやつ。三番目の扉、三回ノック──定番のあれだよね」


 どうも人ごとだ。


 でも、その声には妙な説得力がある。


 俺が聞きたいのは除霊の手順とかではなく、妹がどこに行ったのかだぞ──と思いながらも説明を続ける。


 すると、『ならさ、行くしかないよ。マジで。アキちゃんを連れ戻すには、夜の校舎に忍び込んで花子さんに直接話を聞くのが手っ取り早いんだよ』と言うのだ。


 馬鹿馬鹿しいと思ったけど、他に手段がない。


『もし解決したら1万円ね。解決しなかったら払わなくていいよ』と言ってくれたのが助かる。


 1万円は学生の俺にはかなりしんどい額だが……。


 しかし本当にそんな事でアキがみつかるのだろうか。


 ◆


 夜中の学校は防犯上施錠されているが、裏口の鍵が壊れかけているという噂を聞きつけて、そこから侵入することに。


 真夜中の校舎は静寂に包まれていた。


 妹が本当にここにいるのか? 


 花子さんと交渉しろって? 


 正直いって馬鹿みたいだ。


 普通なら信じない……普通なら。


 でもなぜだろう、あの男の言葉は妙に信じられるというか、信憑性がある。


 廊下を歩くたびに足音が響く。


 まるで背後から誰かにつけられているみたいだ。


 ゾクゾクする怖さをかき消すため、わざと大股で歩き三階の女子トイレへ急ぐ。


 ここが噂の「花子さんが出るトイレ」らしい。


 三番目の扉を三回ノックして「花子さん、いますか」と呼びかけると返事があるらしい。


 妹もそれをやったせいで消えたって? 


 なぜそんな話を信じるのか、自分でもよく分からない。


 だがやるしかない。


 アキがどこかに閉じこもっているかもしれないんだ。


 例えば、花子さんはでないにせよ鍵が壊れて開かないとか……。


「覚悟を決めろ……」


 俺は扉の前に立ち、ノブに手をかけた。


 トイレには灯りがなく、非常口の微かな光が鏡に反射しているだけだった。


 個室がずらりと並んでいる。


 一つ、二つ、三つ目。


 俺はおそるおそる近づき、ノックを三回──コンコンコン。


「花子さん、いますか? 妹を返してください」


 心臓がバクバクいって呼吸が苦しい。


 すると扉の奥で何かが動くような音がする。


 ガタリ、という震えた気配。


 息を呑む。


 まじかよ。


 本当に音がした……まさか、花子さんか? 


 ノック一つでこの場を逃げ出したい衝動に駆られるが、妹のためだ。


「花子さん、返してくれ。あいつは俺の大事な妹なんだ」


 その時、ドン、と扉が内側から叩かれた。


『……返せない』


 低い囁きのような声が聞こえた気がする。


 俺は思わず扉を開けようと力を込めた。


 鍵がかかっているのか、扉は最初びくともしない。


 だったら力づくだとばかりに蹴り続けると、やがてバキリと何か折れる音をたてて開いた。


 その先は、どう見てもトイレの個室ではなかった。


 廊下が続いていた。


 不自然に長い、まるで迷路のような細い廊下が闇の中に伸びている。


 こんなの普通はあり得ない。


 だけど、もう後戻りできない。


 俺は妹を探すため、その暗い回廊へ足を踏み入れた。


 ◆


 闇の回廊を進むと、かすかに光が漏れた先に人影が見えた。


 長い髪の女子生徒のシルエット。


 ──まさかアキ? 


 俺は声をかけようとしたが、なぜか声が出ない。


 寒気と緊張感で喉が締まるようだ。


 人影はゆっくり振り返る。


 そして俺の方へ向かって歩み寄ってくる。


 足元がぐしょぐしょと音を立てている。


 水か血か、よくわからない液体が床に溜まっているのかもしれない。


 やがて人影がこちらに近づき、顔がぼんやりと見えた。


 アキだ。


 妹の顔だった。


 しかし、どこか虚ろな目をしていて、頬がやつれているようにすら見える。


「……お兄ちゃん?」


 か細い声。


 ホッとする気持ちと、同時に異様な寒気が背筋をかけ上がる。


「アキ! よかった、生きて……なあ、帰ろう。みんな心配してる」


 俺が手を伸ばすと、アキは一瞬笑みのようなものを浮かべかけたが、すぐにかき消える。


「花子さんが、私を呼んでいる……出られないよ」


 アキの腕を掴むが、抵抗されるわけでもないのに不思議と動かせない。


 まるで重りがついているかのように一歩も歩けなくなる。


「だめ、このままじゃ……お兄ちゃんまでいなくなっちゃう」


 そう言ってアキは泣きそうになる。


 けれど俺は何としてでも連れ出すつもりだ。


「そんなこと言うな。二人で帰ろう」


 すると奥のほうから足音が聞こえた。


 コツ、コツ、とゆっくり近づいてくる。


 暗がりの向こうに、赤いスカートをはいた小学生くらいの女の子が立っていた。


 髪はおかっぱ、顔が青白い。


『……返さない』


 その声は子供らしいのに、何か底なしの怨念みたいなものを孕んでいる。


 こいつが花子さんなのか? 


 ◆


 花子さんらしき少女は、ツカツカとこちらに迫ってくる。


 アキを連れていく気か。


「やめろ、妹を返してくれ」


 俺が声を荒げると、少女はきょとんとした目を向け、首をかしげた。


「返す? だって、呼んだのは妹さんのほうでしょ。私と一緒にいてくれるって言ったの。誰もが私を捨てるのに、その子だけは逃げずに一緒にいてくれるって」


 そりゃ嘘だ、そんなこと言うはずない。


 でも妹はどうして花子さんに取り憑かれたんだ? 


「アキは俺の妹なんだ、勝手に連れていくな」


「連れていくんじゃない。ここにいるの。私がいる場所に、一緒にいてくれるだけだよ。ここは学校でしょ? 夜は誰もいないけど、私と一緒なら退屈しないから」


 花子さんの声は無邪気に聞こえる。


 だが、その瞳の奥に宿るものは無垢とは程遠い何かだ。


 俺はアキの肩を掴み、「帰るぞ」と強く言った。


 アキは葛藤するように微かに震えている。


「出してくれないよ……花子さんが、だめだって……。それにね、でてどうするの? 知ってる? 私いじめられてるんだよ、花子さんの話をしたら、凄い馬鹿にされて……。誰も私の言葉を信じてくれないし、居場所がなかった。でも花子さんは、一緒にいてくれるって──」


「アキ……」


 涙がアキの目に浮かぶ。


 やめてくれ、そんな悲しい顔しないでくれ。


 どうにかしなきゃ──その時、ポケットのスマホが鳴った。


 ぴるるんからの通話だ。


 こんな状況でこっちも焦りまくってるのに、あいつの軽い声が聴こえてきた。


『もしもし? 今の時分学校に行ってるのかなーって思ってさ。え? 花子さんが出してくれない? 簡単だよ、花子さんって結局は寂しいだけなんだよ、がきんちょだからね! 知ってるかい? 元々トイレの花子さんなんて幽霊はいないのさ。花子って子はいたんだけどね。いじめられっ子の花子ちゃんは皆から構ってもらいたくって自分で話を作ったんだ。廃校舎の壊れたトイレにお化けがでるよーってね。友達に話して、その友達もじゃあ今夜いってみるー! とか言ったわけ。で、花子ちゃんはトイレに忍び込んで、それで何が原因かわからないけど、あー、鍵が壊れたのかな? 出られなくなっちゃって、暴れて転んで頭打って死んじゃったんだ。かわいそーだろ? ならさ、僕と一緒にここを出ようって言ってやるだけでいいのさ。手を引いて、校舎を出ればいい。彼女は一人じゃ出られないんだから、誰かと一緒にでてやるしかないんだ』


 相変わらず軽口叩きやがって──でも俺はわかった。


 つまり──


「花子さん、俺達とここを出て行かないか?」


 そう言うと、花子さんは怪訝そうな表情を浮かべる。


『出れないよ。私は何度も出ようとしたもん。でも出れなかったの』


「いいや、出れる! ほら、俺の手を掴んで!」


 口から出まかせだった。


 でもそれしかなかった。


 花子さんは微動だにせず、ただじっと俺を見ている。


 長い沈黙の後、小さい声で言う。


『……もし、出れなかったら?』


 知らねえよそんなの! 


 でもこの状況で言うべき言葉は決まっていた。


 頼むぜぴるるん様ッ……


「そんなの! 俺が一緒にいてやるから大丈夫だ! そしたらもし出れなくても寂しくないだろ!?」


『そう……分かった。一回だけ、信じてあげる』


 花子さんはそういうと、下り階段を指差した。


『ここは三階……出口は一階。昇降口から出られる……とおもう。私は何度も階段を降りてもだめだった。三階から離れられないの』


「お兄ちゃん……」


「よし、帰るぞ」


 俺はそういって、花子さんの手とアキの手をひっつかんで階段へと向かった。


 そして降りる。


 心臓の鼓動が大きな音を立てているのがわかる。


 本当に帰れるのか? 


 出れるのか? 


 もしだめならどうする? 


 俺は一生花子さんとここにいなきゃならないのか? 


 そう思いながら無心で階段を降りていると──


『うそ……こんなに、簡単に』


 花子さんの声。


 みれば、踊り場には1の文字。


 一階だ! 


「だから言っただろ? 出れるって! とっととこんな場所からでようぜ、今何時か知らないけど早く帰らないと明日学校遅刻しちゃうよ」


 少しでも足をとめたらその場に囚われてしまいそうな気がして、俺は早口でしゃべりながらも足をひたすら動かした。


「お、お兄ちゃん、手が、手が痛いよ……」


『少し、ゆっくり歩いて……』


「アキ! 教育だ教育! こんな心配かけて……! 花子さんもだ! 散々脅かしやがって!」


 そうして俺たちは昇降口から飛び出し──


 ──『ああ、お外だ……ありがとう、お兄さん』


 ◆


 次の瞬間、俺はアキとともに床に転がって気を失っていた。


 なんと、元の学校のトイレで。


 深夜の校舎に倒れ込む俺たちを発見したのは、巡回していた警備員だった。


 妹をしっかり抱きしめたまま俺は意識を失っていたらしく、気づけば朝が近づいていた。


 アキはまだ呆然としていたが、少なくとも生きている。


 俺は安堵のあまり、力が抜けて動けなかった。


 俺とアキは病院へ連れていかれたが、特に異常はなかった。


 ・

 ・

 ・


 アキを救えたのはありがたいが、花子さんはどうなったのか。


 一緒に校舎を出た筈なのに花子さんはどこかへ消えてしまった。


 噂自体も少しずつ鎮静化しているようだ。


 SNSの流行の移り変わりは目まぐるしく、あっというまに花子さんブームは終わってしまった。


 一方で、ぴるるんのアカウントは今日も元気に更新されているようだ。


 ところで、ここ暫く奇妙な事がある。


 それは家のトイレがたまに使用中になっているのだ。


 家族が入っているのかなとおもってノックをすると、こんこんと言う音と共にノックが返ってくる。


 でも妹か母親か父親かは分からない。


 早く出てと頼んでも、返事がない。


 じっとドアの外で待ちかまえていた事があるが、ず────ーっと開かないのだ。


 で、待ちくたびれてリビングにいくと──


 いつのまにか空いていたりする。


 家族以外が使ってるって可能性を考えないのかって? 


 ……それは、敢えて考えないようにしてる。


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