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第5話

 クラウスの思いがけない行動は、イリヤーナを混乱させるばかりだった。

「クラウスさま! 何をなさるおつもりですか」

「少し……お休みになるといい」

 ふわり、と妙に甘い匂いがイリヤーナの鼻先を掠めたが、それよりもクラウスに抗議しなければならない。

「いいえ、わたくしは休んでなどいられないのです」

 言いながら、クラリ、と目眩を覚えて思わず息を呑む。

「……もう少しで効いてきますよ……」

「な、に……?」

「大丈夫。王には、旅の疲れで休んでいると伝えますから」

 いいえ、と首を横に振ろうとするがうまくいかない。

「わた……国王陛……御前へ……」

「本当に、健気というかなんというか……」

 クッタリと身体から力の抜けたイリヤーナを抱き上げ、クラウスは足早にその場を立ち去った。



 イリヤーナが目を覚ますと、そこは豪奢な部屋だった。とても広く、天井も高い。一目見て高価とわかる調度品が並んでいる。だが、誰もいない。

 天蓋付きのベッドから飛び出して、

「誰か……」

 かすれた声と覚束ない足にぎょっとする。

 だが何とか動かしてふかふかの絨毯の上を恐る恐るすすみ、廊下に続くのだろう扉に手をかける。しかし、鍵が掛かっている。

「クラウスさま! 誰か! ここから出してください!」

 ドンドン叩いてみるが、誰も来てはくれない。

「わたくしは国王の花嫁にならなければいけないのです」

 他に出口はないかと見回す。

 硝子の嵌められた大きな窓がいくつもあり、太陽の光が差し込む。それでも室内が明るいとは言いがたいのは外が暗いからだろう。

「一体どれだけ時間が経ったの……?」

 この窓を割って逃げるしかない。花瓶や本、燭台などいろいろなもので窓を叩いてみるが、ヒビ一つ入らない。硝子が分厚いのか、イリヤーナが非力なのか。

「どう……しましょう……」

 部屋の隅には蝋燭が置かれて明かりがゆらゆらと揺れている。暖炉にも火が入っている。ベッドや机、本棚なども揃っているし、手入も行き届いていることから、今でも使われている部屋なのだろう。

 ここから出してと叫ぶイリヤーナの声が部屋の壁に跳ね返り、誰からの返事もない。監禁されてしまったのだと理解した途端、不安と恐怖に襲われた。

「いや、誰か……ここから出してぇ……!」

 ドンドンと扉を叩き、窓を破ろうと手当たり次第に物を投げつける。

 その音を掻き消すように、ふいにジャラリと金属音がした。

「え?」

 いつの間にか、イリヤーナの体に鎖が巻きついている。外そうとして体勢を崩し、そのまま床に転がってしまう。

「おや、思ったより元気そうだ」

 場違いにのんびりした声。

 いつの間にか扉が開いていて、鎖の端を握った男が立っていた。クラウスだ。

 クラウスがイリヤーナをじろじろと眺める。空の色だと思ったクラウスの瞳は暗く澱み、妖しい光を放つ。

「クラウスさま、ここはどこですか?」

「安心して。後宮の一角です。城から出たわけじゃない」

 イリヤーナは、目に涙をためる。

「どうして、こんな……」

「あなたはーー国王の花嫁、とそればかり繰り返す」

「え?」

「国王しか見ていない。あんなーー老ぼれのクソ老人だというのに。あの男は、国のためにならない男だ。あなたの国にも、我が国にも、害しか為さない」

 迂闊に返事をするわけにいかず、しかしイリヤーナはもがきながらもクラウスの言葉に耳を傾ける。返事をしないイリヤーナに焦れたのか、じゃらり、と、鎖が強く引っ張られた。

「きゃっ……」

 図らずもイリヤーナはクラウスの腕に飛び込む形になってしまう。

「……俺はもう、我慢の限界だ」

「我慢……?」

「ほしい物は全部取り返すことにした。あなたを手に入れるために、手段は選ばない。さっき、あなたを貰い受けると、老ぼれとその側近に宣言してきた」

 そんな! と、イリヤーナは真っ青になる。

「だめです、国が……!」

「貰い受けると宣言したからにはーー」

 クラウスが腰に下げた小さなポーチから取り出したのは短刀。銀の切先が、イリヤーナの喉元に押し当てられた。

「ひーー」

 震えるイリヤーナにお構いなしで、切先が走った。ビリビリと音がして、纏っていたウェディングドレスが無惨に切り裂かれて床に落ちる。

「や、やぁーー」

 イリヤーナが身を捩るがクラウスは瞬く間にヴェールをも切り裂いてしまった。

「あんな老ぼれのために用意したドレスなんて、見たくもないものでね」

「なんてこと……!」

 くすりと笑ったクラウスが、片手をイリヤーナの足の付け根に捩じ込んだ。

「ひゃあ、な、なにをっ……」

「……もしかして、処女かな? ここは使ったことはない?」

 あるわけないでしょう! と、イリヤーナは答える。

 自分で触ったこともなければ誰かに見せたこともない。

「じゃあ、俺がはじめての男なわけだ……嬉しいな」

 いや、とイリヤーナは首を横に振った。

「無理強いはしないよ。今はまだ……その時じゃないからね」



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