逞しい上半身を露わにした、明らかに屈強な武人が窓際に置いた長椅子にどっしりと座っていた。髪と髭はほとんど白いが、イリヤーナの父より高齢というのが信じられないほど若々しい。
大国の王とはかくも貫禄があるのか、と、イリヤーナは気圧されないよう踏ん張るのが大変である。
しかしイリヤーナを怯ませたのはその男の全身から発せられる覇気ではない。
左右に半裸の若い女性を一人ずつ従え、無骨な手が女性の体を弄り、その王の両足の間には薄い衣一枚纏っただけの女性が跪き、何かを頬張っている。いったい何を……と思う間も無く、イリヤーナの顔は赤くなり青くなった。だが、自分が何のためにここまで来たのか思い出して、声を振り絞って挨拶をした。
「お初にお目にかかります。イリヤーナでざいます、陛下」
「ほう、美しい。そなたも服を脱いでここへ入れ。この三人はわしの気に入りの夫人ゆえ、仲良くな」
「し、失礼いたしました……」
と告げるのが精一杯、身を翻して部屋から飛び出してしまった。
王の許可なく勝手に退出するなどマナー違反だと気付いたが、イリヤーナの足はもつれながらも、破廉恥な王からできるだけ遠ざかろうとする。裾の長いドレス、視界を覆うレースのヴェールがひどく邪魔だ。
それでもがむしゃらに走って庭らしきところへ出る。大木に手をついて呼吸を整えようと試みる。
ーーわたくしも、人前であんなことを?
耐えられない。いやだ。知らず涙が溢れる。
これまでお城で姉たちにさんざんいじめられて蔑まれてきたが、このような恥ずかしいことはなかった。
「お父さま……お母さま……。それでも耐えなければなりませんか?」
国王の花嫁になるためにこの国に来たのだ。耐えるのがイリヤーナの役割だろう。
できるだけ王に気に入られて、祖国に害が及ばないようにしなければならないのだ。それがどんなに、淫らで恥ずかしいことであっても。
愛されてする結婚ではない。
頭ではわかっていたが、心がついてこない。
「う、あああああ……」
言葉にならない思いが涙と共に溢れ出て、止まらない。
「こんなところまで来ていたのか」
ふいに声がかけられて慌てて顔を上げる。
「あちこち探したよ、イリヤーナ王女」
「あ、申し訳……ございません……」
軍服姿のクラウスが、ホッとした顔で立っていた。
「ここは、城の外れだ。中央へ戻ろう」
「は、はい……」
「国王は私室で待つとのことだよ」
手を引かれて、ゆっくり歩く。が、あの国王と夫婦になるということはあの男に純潔を散らされる。そう思うと足の運びが鈍くなる。
「……気が重いのも仕方がないさ」
「い、いえ、クラウスさま、決してそのようなことは……」
俯くイリヤーナの顎を持ち上げたクラウスは、何を思ったのかヴェールを払うといきなりキスをしてきた。触れるだけだが、甘くて痺れる。
「な! なんてことを!」
「うん、元気だね。隠さなくていいよ。俺は……君が望むなら、ここから逃がすこともできる」
穏やかだったクラウスの目が、一瞬、強い色を浮かべた。
「……わたくしは、国王の花嫁にならねばならないのです」
「国王の、ねぇ……」
「はい」
クラウスが、イリヤーナの涙のあとをゆっくりと撫でる。
「泣き顔も悪くないが、笑顔の方がいいな」
最後に親指で唇を撫でられ、微かに開いた唇にまた、クラウスがキスを落とす。
「んっ……」
先程より少し長いキス。イリヤーナの背中と下腹部がきゅんと、ざわめいた。
そのまま城内にもどり、廊下を歩く。廊下の窓には分厚い緋色のカーテンが下がっているため、薄暗い。
一歩一歩、私室に近付くにつれイリヤーナの足は重くなる。
「クラウスさま……」
「ん? なんだい?」
本当は逃げたい、泣きたいなどと言えるはずはないが、クラウスの優しい雰囲気に、つい甘えそうになる。
「わたくしの……味方でいてください」
「もちろんだよ、王女。俺はーー」
ついにうずくまって泣き出してしまったイリヤーナを、クラウスは優しく抱きしめて宥めてくれた。
「俺なら貴女を泣かせやしないのにーー」
イリヤーナはまだ知らないだろうが、この日、もう一人、別の小国の王女が嫁いできている。こちらはなかなかの豪傑であり、王の求めにすぐ応じたため、即座に執務室の床にドレスや下着が散らばった。
しかしこれは和平のための結婚などではない。
王は好みの美女を手に入れるために、婚姻を持ちかけている。
だから、婚姻による同盟を結んでいながら彼女たちの国を攻め滅ぼすことさえ厭わない。その影で泣く女性のことなど考えもしない。
この国はおかしいーー
クラウスは、暗い炎を目に宿す。
小さく震えて嗚咽を漏らすイリヤーナを抱きかかえて小さく拳を握った。
「クラウス……さま?」
「あなたを……あの男には渡さない」
「え?」
驚くイリヤーナを肩に担いだクラウスは、足早に来た道を引き返す。
「え、え? クラウスさま?」