クラウスが案内してくれた店は、こぢんまりとした店だった。白い壁に白い床、木の温もりを感じられるテーブルやイス。窓辺には鮮やかな花。
そして、愛想の良い老夫婦が出迎えてくれ、あたたかいスープとパン、サラダとケーキを手際よく出してくれた。
一口大の野菜と豆、豚肉をトマトソースでじっくり煮込んだスープに、柔らくて酸味のあるパンを浸して食べる。緑鮮やかなサラダには海鮮が惜しみなく飾られ、胡麻や香辛料をすり潰してオイルと混ぜたドレッシングをつけて食べる。どちらもこの国の郷土料理らしい。
「わ、おいしそう……」
いただきます、と告げるなり、ぱくぱく、と次々と口に運ぶイリヤーナはあどけない少女のようである。
思わず店主の方を見て「おいしい」と告げる。
「それは良かった……料理が口に合わないと災難だからな」
「あたたかいし、こんな美味しいお料理を頂けるなんて幸せです……」
クラウスと店主夫妻は、些か驚いていた。
目の前の花嫁は、小さい国とはいえ国王の娘であるはずだ。
いや、悲壮な決意をかためて嫁いできているところを見れば間違いなく王女であるが、どうにも王女らしくない。
普通はもっとーー良くも悪くも気高く、贅沢に育っているものであるが、目の前の彼女は素直で素朴なのである。
「なんというかーー老ぼれにはもったいない王女殿下だよな。いっそ俺が」
「クラウスさま! 滅多なことをおっしゃいますな」
店主が慌てて嗜めるが、クラウスは肩をすくめるだけで反省の色はない。
その間も花嫁は、夫人がよそったお代わりを「おいしい、おいしい」と食べている。
「ごちそうさまでした。とても美味しいお料理をありがとうございます」
そう頭を下げたイリヤーナは、少し困惑の表情で店主を見た。
「あの、お代なのですがわたくし、この国のお金を持っておりません。国から持ってきた首飾りに、ルビーがついていたはずなので……」
イリヤーナがネックレスを外して店主に渡そうとする。店主がゆっくり首を横に振った。
「王女さま、お代は結構ですよ。そうですね……我ら夫妻からの結婚祝い……いや、ようこそ我が国へ、歓迎の料理です」
「わたくしを……歓迎してくださるのですか?」
イリヤーナが驚いたように夫妻を見る。夫人が、王女の手を取った。
「もちろん。歓迎しますよ。地続きの隣国とはいえ見知らぬ人たちに囲まれて暮らすのは大変でしょう。何かあればまたここへどうぞ。わたしたちは、あなたさまの祖国のお料理も作れますよ」
ありがとうございます、と、イリヤーナは頭を下げた。
「よおっし。そろそろ、城へ向かうぞ。花嫁を馬車に戻さないとな」
「はい。戻りましょう……」
名残惜しいが、イリヤーナは観光客ではない。国王の花嫁という役割がある。
王城は、呆れるほどに大きく、広かった。
「ちっ……あの老ぼれ、まともな出迎えの用意くらいしろ、無礼だな」
クラウスが吐き捨てるように言うのも無理はなかった。曲がりなりにも国王の妻となる王女が異国から到着したというのに、数人の使用人が出迎えているだけだったのだ。
イリヤーナは、これが国と国の格差だとこれまでに理解してしまったため、腹も立たない。
「クラウスさま、わたくしは構いません。国王陛下にご挨拶を……」
「……わかった。老ぼれは……この時間は執務室だろう」
クラウスが先頭に立って案内してくれる。
床やガラスは見事に磨きあげられ、ゴミ一つ落ちていない。
壁には絵画や骨董品が並び、柱や窓枠なども繊細な彫刻が施されている。行き交う人たちの身なりもよく、品性と知性が感じられる。
「王女、ここは城の本棟の最北端だ。王の執務室まで少し歩く」
「はい、大丈夫です」
苛立ちを隠そうともしないクラウスだが、どうやら彼は軍人としてそれなりの地位にあるらしい。すれ違う兵士や軍人がクラウスに敬礼し道を譲る。
「あ、の……クラウスさま」
小声での問いかけに、クラウスはちゃんと気付いて振り返ってくれた。やはり柔らかな雰囲気を纏い、こうして城内にいるとまるで王子さまのようである。
「さまはいらないよ、王女殿下」
「あの……あなたは……」
「ん、俺に興味を持ってくれたのかな?」
嬉しいなぁ、と微笑まれてイリヤーナは思わず赤くなる。
「俺のことはそのうちわかるさ。さて……ここが国王の執務室だ」
クラウスが表情をあらためて、扉をノックした。
「ーー陛下、イリヤーナ王女が到着……」
「ーー入れ」
イリヤーナは、深呼吸した。
ここから始まるのだ。和平のための結婚が。しくじってはならない。これは、必ず成功させなければならない結婚。
悲壮な決意で執務室へ踏み込んだイリヤーナだが……。
「え……」
絶句し、立ち尽くしてしまった。