国の、いや、父王の命令には逆らえない。どんなに嫌だと思っても。
ましてや国のためだから嫁に行けと言われたら、曲がりなりにも王女であるイリヤーナは行かざるをえない。どんなに恐ろしいと思っても。
「こんな時だけね。お姉さま方が、わたくしのことを妹王女扱いしてくださるのは」
馬車の中でぽつりと呟くが、相槌を打つ者もいない。
国を出た当初は、女官や侍女たちが数名つけられていたのだが、いつの間にか全員姿を消している。
大方、国へこっそり逃げ帰ったのだろう。王族付き女官は花形職業である。だが、それがお先真っ暗の末の王女付きとなれば話は違ってくる。花形どころか罰だろう。
イリヤーナは、王女である。
先月18になった。
だが、王の公妾ーー正式な后妃ではないーーである母が産んだ末子であるため、18になれば与えられるはずの王位継承権もなければ民に存在をほとんど知られていない。
イリヤーナの母は、異国の踊り子だった。どこで見染めたものか、20歳になるかならぬかの母は王の寵愛を受け、イリヤーナを産んだ。
母方の血が色濃く出たイリヤーナは、白に見えるような流れるような銀髪にルビーを埋めたかのような美しい紅目という非常に珍しい容姿であった。我が子の容姿の珍しさと美しさが気に入った父王は問答無用でイリヤーナを王宮に引き取り、イリヤーナは王宮でひっそりと育てられた。
成長するにつれ、女性らしい曲線を描くボディラインが際立つようになってきた。姉たちの誰よりも見事で、特に胸は小ぶりなスイカほどもある。母譲りの長い手足と引き締まった背中や腹部、しなやかな動きと持ち前の華やかな雰囲気もあいまって魅惑的で人を惹きつける。
それらを妬んだ姉たちに虐げられ、とても王女とは思えない暮らしを強いられてきた。そのいじめの総仕上げが、この結婚だろう。
なにせ、和平のために王女を嫁によこせと言ってきた隣国の王は、父親よりもまだ年上の老齢である。それだけでも若い娘が渋るに十分であるが、その男は武勇に秀でている。
玉座についてニ十年ほどらしいが、先代が暗愚と見てとるや否や、剣をもって王を倒し己が血塗れの玉座におさまった豪傑である。
そして未だ現役の軍人で、戦に出ている。
大軍を指揮して周辺諸国を次々と攻略し支配下におさめる作業を今も続けているのだ。
血気盛んな上に無類の女好きで、巨大なハーレムがあるともっぱらの噂である。
今回の縁談が持ち込まれた際に偵察隊を行かせたところ、正妃のほかに少なくとも8人の夫人がいて、30人もの子が確認できた。そのほか、市井にもお手つきとなった女性はいるだろう。
いくら大国の王とはいえ、老齢で、野蛮で、とんでもない女好きーー己がいったい何番目の側室なのかわからないようなところへ、姉たちが嫁ぎたがるはずもなく。
「イリヤーナ、そなたが嫁げ」
父が無感情に告げたとき、雑巾で謁見の間のシャンデリアを磨いていたイリヤーナもまた「承知いたしました」と、淡々と受け入れた。
「隣国には、わたくしを虐げるお姉さまたちは皆無。それだけでもマシな暮らしになるでしょう……」
物思いに耽るイリヤーナを乗せた馬車は軽快に進む。
窓の外はいつの間にか石造りの綺麗な街並みにかわっている。広い道は舗装され、
戸建ての家や店は大きく立派で、手入れが行き届いている。道ゆく人たちも皆、健康的で笑顔が見える。
明らかにーー国の格が違う。
「なんてすごいのかしら……」
こんな国の王が、なぜ小国に縁談を持ち込んだのか。力で征服すれば簡単なのに。
「やはりお父さまの懸念どおりに、何か別の目的があるのかしら……」
花嫁衣装と共に父に渡された護身用の短剣を旅行用のカバンから取り出して、胸元でぎゅっと握りしめた。