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第13話 その名はオルタシア

シンゲンの行動にリルとミナは彼が正気の沙汰ではないと固唾を呑む。激昂している彼女の手をしかも、身分も高くないような人間が王族の手を握るなど命知らずもいいところだ。これは不敬罪に値し、斬首されても文句は言えないほどに無礼な行為だった。オルタシアはとくに異性に触れられることを酷く嫌う。それを知っているリルとミナはこれから何が起きるのか、不安で仕方がなかったのだ。


オルタシアとシンゲンは五つほど呼吸の間を置く。オルタシアは睨みを利かせた。二人の距離はとても近かった。オルタシアの息が彼の頬にかかりそうなほどである。月明かりに照らされた彼女の顔からは怒りや憎しみなどの様々な感情が入り混じる。それでも彼女は美しかった。どんな宝石よりも美しく光り輝く青色の瞳孔。茶色の長髪。端麗かつ繊細な美しさを兼ね備えた絶世の美女。それはまさにおとぎ話に出てくるような女神のような美貌を持ち、人を魅了する容姿をしている。そんな彼女を見て、こんな状況で、シンゲンは見惚れてしまっていた。


自分がいま、目の前にいる疲労困憊の女性を見て、何を見惚れているんだ、と考えたと同時にあることに気が付く。


「そういえばあんたはオルタシアって名前だったよな?」

「それがどうした?」


怒りのこもった声音だった。


「もしかして―――アルデシール王国の第二王女オルタシア・アルデシールとかじゃないよな?」

「そうだが何か?」


彼女は即時に肯定した。それにシンゲンの顔から血の気が引く。目の前にいる女性こそ、アルデシール王国で一番恐れらている『人間性が欠けた残虐非道の王女』と

噂されている人物だということを思い出したからだ。


(……なんてことだ)


自分がやったことに対して、自分を殴ってやりたい気持ちになる。まさかこんなところに一国の王女がいるとは思わなかった。その王女の手を握りしめた。彼は絶望してしまう。それと同時にこの女に関わってしまったことを激しく後悔していた。一番、関わりたくない人間だからだ。


オルタシアはシンゲンに向き直ると握られていた右手をさすりながら問う。その表情は不機嫌そのものだった。


「触っていいのは信頼できる部下とマルトアだけだ―――よくもこのオルタシアの手を気安く触ってくれたな?」


それに対して、シンゲンは心の中で叫ぶ。こんなところに一国の王女がいるなんて、誰が思うだろうか。見た目も容姿も聞いている噂とはまったくかけ離れたものだぞ、と文句を言う。


そして、手に触れたことに対して、怒りを露わにしているが、怪我を手当するときも触っている。


「いや、ちょっと待って。さっきだって包帯を巻いた時、触れたじゃないか?!」

「あの時は仕方がなかった―――――だが今は違う」


言い訳をしようとしたとき、首筋に冷たい感触を感じる。見るまでもなく剣の刃先だろうと感じた瞬間には背中に冷や汗が流れ落ちていた。自分の身に今すぐ逃げろ! という本能からの警告が出ているように感じる。それほどまでに死を感じた。オルタシアは目を細めた。


「気分を害した。この意味はわかるか?」


真紅に染まる目元が彼女を一層引き立てさせるようで恐怖心を煽られるようだ。口元は笑っているように見えるが、目が笑っていない。殺意に満ちた目をしていた。


「お、俺は知らなかった。お前が王族だったなんて」


それを聞いて鼻で笑うと刀身を強く押し当ててきた。皮膚が切れ、少量の血が滴り落ちる。その時だった。森の奥から鳥たちが上空へと飛び立って行く姿が見えた。


オルタシアは舌打ちする。


「時間がないか」


新たな追手が来ていることに気が付いたオルタシアはシンゲンから視線を外し、グロータスへと向ける。


オルタシアは冷静になって考えた。今の身体では新たなフェレン聖騎士たちと戦うほどの力は残っていなかった。


戦力として頼れるのはリルとミナの二人だけとなる。彼女らは初陣からずっと共にしてきた戦友であり、厳しい戦いの中でも生き抜いた間違いなく凄腕の騎士である。


だからオルタシアはこの二人がどんな状況下でも自分を支えてくれると信頼している。


敵はフェレン聖騎士団――――アルデシールそのものが敵になっている可能性もあった。


アルデシールで活動するフェレン聖騎士の数はおよそ一万。世界中に点在する騎士団を集めれば、何万、何十万という数に跳ね上がる。


世界中のフェレン聖騎士を呼び寄せる。


一人の為にそれは流石にやりすぎだろう。当面はアルデシール国内ににいる聖騎士だけと考えることにした。


とはいえ、現状で戦える戦力は2名。今、必要なのは安全な場所と戦力の確保だった。


オルタシアはシンゲンと改めて見る。


グロータスはフェレン聖騎士団筆頭騎士だ。剣の腕もあり、魔法にも長けている精鋭騎士。そんな男を相手に目の前にいるぼさぼさ頭の少年は圧倒的な力でねじ伏せた。


どう見ても、ただの異国の流民に見えるのだが、彼が持つ背が反った武器から放たれた雷魔法が気になる。そして、グロータスがいっていた「リリス」という名前もどこかで聞き覚えがあった。シンゲンに興味が湧く。


(――――――ここで、斬り捨ててやろうかと思ったが、こいつは……使えるかもしれんな)


オルタシアは思考を巡らせる中で結論付けた。


少なくともシンゲンは協力的なのは確かだ。


それを利用するに越したことはない。見知らぬ人間に頼るなど、焼きが回ったな、と思うが、選んでいる余裕はなかった。


足下に居るグロータスを見下ろすとまた怒りが込み上げる。


顔を見るだけで、復讐心に駆られ斬り刻みたくなる。


いたぶってから、殺すつもりだったオルタシアは止めに入ってくれたおかげで、冷静に物事を考えることができた、と感謝する。


オルタシアは誰が敵なのかを知る必要がある。


フェレン聖騎士団は基本、アルデシール王国直轄ではなく、独立組織だ。どんな勢力にも加担しない。それがモットーだったはず。しかし、今では完全にアルデシールの直属のような動きをしており、誰かがフェレン聖騎士団を動かしているように思えた。


それが誰なのかを把握することで、これからどう動けばいいのか、見えてくるだろうと思考した。


グロータスから情報を聞き出す必要があるが、そう簡単には口を開かないはず。


ならば――――


(―――――――拷問か。それも悪くないな……)


オルタシアは忠実な二人の名を呼んだ。


「リル、ミナ。拷問にかける」


拷問を誰にするのか、と流れから判断したミナは同情じみた目で少年を見やった。


「シンゲン君をですか……?」


シンゲンは息を呑み、身体を硬直させた。オルタシアは小首を横に振る。


「違う。グロータスをだ。こいつにはたくさん聞きたいことがある。そろそろ痺れも抜けただろ」


グロータスは痛みに耐えるように顔を歪め、呻き声を漏らす。オルタシアはリルとミナに顎で小屋の中へ連れて行くように指示を出した。


二人は剣を鞘に納め、指示された通りにグロータスを引きずりながら、小屋へと連れていった。オルタシアも小屋の方へ身体をひるがえし歩いていく。


シンゲンは自分の危機がさったことに安堵し胸を撫で下ろす。


しかし、オルタシアは彼がしたことを忘れてはいなかった。振り返りざまに剣先を彼の鼻にギリギリのところで止め告げた。


「今度、私に触ってみろ。その指、一本ずつ切り落としてやるからな」

「わ、わかりました……。肝に銘じておきます」


納得したのか、オルタシアは鼻で笑うと視線をそらし、ヒラリとシンゲンに背中を見せて、ささやくような声音で言った。


「手当てしてくれ」

「え?」

「だから、私を手当てしろ、と言っているんだ! 聞えたかッ!」


いや、言っていることと矛盾しているじゃないか、とツッコミを入れようと思ったシンゲンだったが、どうやら、事情が事情のようで頼れるのが自分しかいない様子だった。


眉を八の字にして、シンゲンはそれに応えることにした。

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