オルタシアが小屋の扉から手を離し一歩前に出た。
下草を踏みしめる音がする。それほどまでにこの場は静寂に包まれていた。
オルタシアは今、右目の怪我によって、激しい痛みと頭痛によって、高熱を発病していたのだ。意識もはっきりしない状態で、おぼつかない足取りだったが、ただその瞳には怒りだけが宿っている。いや憤怒に駆られていると言った方が正しいか。
彼女はバランスを崩し地面に倒れ込む。その姿にリルとミナが急いで駆け寄って、手を貸そうとしたが、それを振り払った。
怒りの形相で、力を振り絞るようにして、手を地面について、立ち上がったオルタシアはグロータスの方へとゆっくりと歩み寄る。
腰に帯びた細い剣を抜き、一歩、また一歩と近づいていく。
グロータスはこの絶望的な場で命乞いをするためにオルタシアに考え直すように説得する。
「ま、まひって まってふれ……。おれ、あれは悪くない!!! あ、あれは国のめいれひだ!」
痺れているのでろれつが回らなかったが、それでも必死に弁解した。
だが、彼女にはそんなものは通用しない。芯まで凍った彼女に慈悲も同情も抱かない。あるのは殺意だけだ。憎しみと憎悪。それ以外になにもない。
「――――私の目の前でマルトアを殺しておいて、よくもぬけぬけと言える……」
説得するつもりが火に油を注いだだけで、さらに彼女の顔が険しくなり、激昂した。
そして、グロータスの前に仁王立ちするように立ったオルタシアは彼をこれからどうしてやろうか、と思考するような目で見下ろしてくる。
その顔はまさに悪魔そのものだった。彼女の瞳の色が黒く濁り、凄まじいほどの殺気を向けてくる。グロータスはもう一度、弁解しようとしたが、顎に蹴りをいれられる。歯が全て抜け落ちてしまうほどの力で蹴られたため、口の中を切って血が出てくる。彼の表情はさらに歪んだものになる。もはや彼は言葉を喋ることすらできない状態にまで追い込まれてしまったのだ。
(―――殺される。死にたくない……)
グロータスは必死にもがくようにして、這ってその場を逃げようとした。そんなことしてもこの場から逃げ切れるはずがない。それはわかりきっていた。でも、恐怖から逃れるためにはそうすることしかできなかった。自分の無様な姿をさらしても生きることに執着している。醜悪で愚かしい姿だった。それにオルタシアはゆっくりと笑みを浮かべながら追いかけていく。
そして、オルタシアはグロータスの膝裏を狙って、剣を突き刺す。皮膚を貫き、骨に当たった感触を感じるとともに、ぐちゅりと肉を引き裂く音を聞いた瞬間、情けないほどに悲鳴を上げた。
「ぎゃあぁぁあああああ――――!!!」
森の中で悲鳴が響き渡る。
オルタシアは刺した剣を引き抜くことなく、えぐるようにして回し、傷口を深くしていく。手を動かす度にグロータスは叫んだ。声が掠れるほどに。
刺し込んだ細剣の剣先を引き抜くとグロータスはえぐられた右足を抱えてその場でのたうち回った。
それにオルタシアはグロータスの左肩を踏みつけ仰向けにさせ、痛がる顔を覗き込む。彼女は狂気じみた笑顔を見せつつ呟いた。
「どうだ痛いか? ―――――だがこんなもんでは終わらさないぞ」
悪魔のような笑みを見せたオルタシアにグロータスは口を開け、何かを言おうとした。それを彼女は彼の顔を足で踏みつける。
そのまま体重をかけていったためにミシミシと嫌な音が聞こえてきた。すでに痛みによる感覚はほとんど麻痺しているが激痛が体を襲うのだけはわかる。あまりの強さに息ができない。呼吸すらまともにできていない状態になりかけていた。だがそれでも彼女は容赦しなかった。ギリギリと音を鳴らして力を加え続けてくるのだ。
ぐぐもった声に耳に手の平を当てて、わさざとらしく耳を傾ける。
「何か言ったか? 聞こえないぞ?」
恐怖に支配されたグロータスにニヤリと笑ったオルタシアは踏みつけた足を退かし、細い剣を彼の眼球に近づけ、見せつける。
「―――この剣に見覚えは?」
その質問にグロータスは唇を震えさせながら小さな声で“カルス”と聞き取れる言葉で答えた。
「そうだ。こいつはマルトアが愛した剣だ。とても美しく、切れ味も最高なんだ。まるで、あいつみたいじゃないか。私はあいつのことが好きだった。尊敬してた。あいつが私を導いてくれていた。それなのにお前が―――奪った。この目の前で―――」
その時の光景を思い出したのか歯を強く噛み締めた。グロータスの視界に映っている剣が小刻みに揺れているのが分かる。怒りに我を忘れている証拠でもあった。
細剣カルスの刃を優しく撫でると品物を選ぶ街娘のような軽い声音で尋ねる。
「さて、どうする? 次は左足か? それとも右腕、いや左腕がいいか?」
もう選択の余地なんてない。それでもまだ死ぬわけにはいかないとばかりに彼は命乞いをした。ただでさえ瀕死の状態だというのにこれ以上拷問されては耐えられないと、本気で思っていた。だから許しを請うことにした。しかし、それを聞き入れることはなかった。
左肩に剣先をゆっくりと押し込んでいく。ブチッ音を立てている。そしてグロータスはあまりの苦痛に悶絶した。
「あぁあああああ――――!!!!」
「簡単に刺さるものだな。本当にカルスは……。あいつが愛したわけだ……」
オルタシアは肩から抜いた剣カルスをグロータスに見せびらかすように振りかざす。グロータスは自分の血で赤く染まっている刀身を見てから、次に彼女の瞳を見つめた。そこには憎しみだけが映し出されていて、もはや自分しか見えていないようだった。離れた場所で見ていたリルとミナはオルタシアの残虐な行為に恐怖を感じた。残虐非道のオルタシアと謳われる所以がわかった気がする。それほどまで残酷なものを見せつけられてしまったのだ。「魔女」と罵られるのにも納得できる理由だろう。
左腕も同様、肉をえぐり取るかのように動かしグロータスの鎧が真っ赤に染め上がる。絶叫を上げ続けていたせいか喉は擦りきれ、出血していた。すでに意識は飛びかけているというのにオルタシアはお構いなしだ。
次は右手を刺そうとしたとき、オルタシアの手を誰かが掴み上げる。
「もういい! やめてやれ!」
オルタシアは憤怒した顔で、その人物へ振り返った。彼女の目は充血しており取り替えたばかりの包帯は血で滲み、頬からも滴り落ちていた。
視線先に立っていた人物は黒髪の少年シンゲンだった。オルタシアの手を掴んだまま彼女を行いと問う。それはリルもミナも恐ろしくて言えない言葉だった。