♦♦♦♦♦
二人がやってきたのは、エスドラドの街の栄えている場所から少し離れたところで、立ち並ぶ住宅街の片隅にある小さなたたずまいの店だった。看板は落ちかけていて、建物自体が傾いているように見える。
ローランは自分で身体を傾けて、建物をまっすぐに見えるようにした。
それにしても、こんなぼろぼろの店で、本当に美味しいのだろうかと疑問に思った。
俗に言う。隠れスポットというやつか? と考えつつ、先に行くラディアの後に続き、店へと向かう。扉を開けると、店内にはカウンター席が数席あるだけで、客もいない。そして何より驚いたのは―――
「うっ……なんだ……この臭い」
ローランは鼻をつまんだ。思わず声が出てしまうほどの悪臭が店の中に漂っていたのだ。言い表すと、腐った生ごみの臭い、それに生魚の磯臭さと腐敗臭を混ぜ合わせたような臭いだ。
どこからこの臭いがやってきているのかと思うとその臭いの正体はすぐに分かった。カウンターの奥にいる老人が、竈の上にある大きな鍋をかき混ぜているのが見えた。
鍋からは紫色の煙が上がっていて、それを老人は鼻歌交じりで掻き回している。
「あれは……何をしているんだ?」
「見ての通り、ここの名物料理を作っているところだ。この臭いは仕方がない。気にしない方がいいぞ」
そう言って、ラディアは平然とした顔のままで言う。臭くないのか、と疑問するも尋ねる前に店の奥へと入っていく。仕方なく、帰るわけにもいかないので、ローランも後に続くことにした。
「オラフ殿。二人分お願いする」
「おお、ラディアか。今日も来たのか」
(―――え、今日も?)
ローランが心の声で突っ込みを入れた。ラディアが奥のカウンター席に座り、ローランもその隣に座る。座ったと同時に老店主が器に山盛りにいれたスープを差し出す。コトンと置かれた器を恐る恐る覗き込む。
「……これは」
それはなんとも形容しがたい紫色をしていた。濁っていて底が見えないし、具材らしい具はたくさん入っているようには見える。タコの足、それに柱らしきものが見えるのだが……。
「これって……」
「見た目は悪いかもしれないが、味は保証しよう。さぁ食べてみるといい」
「食べるって……これを?」
ラディアの横顔を見るとラディアは両手を合わせて、目を閉じながら一口食べる。味わうようにして、食べたあと幸せそうに笑顔を浮かべる。
「えぇ……うそでしょ……」
もう一度、視線を落とす。スプーンを手に取り、手を震わせながら一口分をすくいあげる。やけにドロッとしたスープだ。謎の黒い塊が気になった。横までラディアを見る。彼女はおいしそうに食べている。
ごくりと唾を飲み込んでから、意を決した。
「もう、どうにでもなれっ!!」
と言いながら両目を思いっきりつむり、無理やり口の中へと放り込む。すると―――
「おいしい……!!??」
見た目のグロさから想像していた味と真逆な味に脳がパニックを起こす。
あまりの衝撃にローランは目を見開いた。今まで食べたどんな料理よりもおいしかったのだ。
ラディアが自慢げな顔をする。
「そうだろ? ここの店の料理はすべて絶品なのだ」
まるで、自分のことのように嬉しそうな顔をしてラディアは言った。確かに、次々と手が伸びてしまうほどおいしい。その食べっぷりからオラフも満足げにしていた。
「はは。おかわりするなら遠慮なく言ってくれよ。おかわりはタダだ」
「タダ?!!!」
店主の言葉に、ローランはさらに驚く。こんなうまいものが無料で食べられるなんて信じられない。その理由をラディアが説明する。
「ここは我にとっては憩いの場所でもあるのだ。だからいつでも好きな時に来られるようにと、我が前金として払っているというわけだ」
「そうなのか……」
つまり、ラディアが店ごと買い取っているという意味だ。そりゃあ、あの見た目からして、閉店しない理由がそれだ。
「いや~ラディアにはいつも世話になってるからな~」
そう言って店主は笑みを見せた。それからローランを見て、オラフは不思議そうな顔をする。
「それにしても珍しいな。あんたが、男を連れてくるなんて」
ラディアはこの店の常連客だったが、いつも連れてくるのは自分の部下ばかりで、エスドラド支部のフェレン聖騎士団の団員は珍しく女性が多く在籍しており、ラディアの直接の部下も女性ばかりだった。
男と2人で来ることに珍しく感じたのだ。とはいえば、店主から見て、恋人には見えなかった。あまりにも歳が離れているように見えたからだ。
「ああ、彼はローランといってな。数年ぶりに再会した我の大切な友人だ」
「ほう、なんでまた、このエスドラドに?」
興味津々に尋ねてくる。
「俺は冒険者になるためにここに来たんだ」
「なるほど。誰もが夢見るエスドラドってやつか」
オラフは納得した表情をした。ラディアがオラフのことをローランに教えた。
「実はオラフ殿も元冒険者でな、Sランクの冒険者だったのだぞ」
「へぇー」
ローランはオラフを見つめる。Sランクという言葉を聞いてローランは驚いていた。そんなすごい人だと思わなかったからだ。彼の雰囲気からはそんな風には感じられなかった。普通のどこにでもいる店の主人だ。
オラフは照れくさそうに下鼻を人差し指で摩ったあと言った。
「まぁ、昔の話だ。へへ、膝に矢を受けちまってな。引退したんだ。今はただのじいさんだよ」
「オラフ殿はすごいぞ。今でも剣術に衰えはない。この街でテレンシア様と互角に戦えるのはオラフ殿くらいだろうな」
「はっはっは! 大袈裟だ。お前さんの方が強いじゃねぇか」
「いや、我はまだまだオラフ殿には及びませんよ」
「ははっ。おめぇさんのその謙虚さが好きだぜ」
二人の会話を聞きながら、ローランはスープをすすり続ける。この街の人たちの強さの基準がよく分からなかった。ラディアはエスドラドフェレン聖騎士団の団長だ。それよりも上となるとどれほど強いのか、想像もつかなかった。
「それで、ラディア。こいつを冒険者にさせるのか?」
「あぁ。そのつもりだ」
それにオラフは顎の無精ひげを撫でながら、何かを見定めるようにローランを見た。そして、頷く。
「そうかい。それなら頑張れよ。ラディアの友人なら、俺にとっても大事な客だ。腹が減ったらいつでも来い。ただ飯食わせてやるからな」
オラフの大盤振る舞いさにローランは好感が持てた。
「おう!」
オラフの励ましに、ローランは力強く答えた。オラフは笑顔を見せ、再びスープを作り始める。しばらく滞在した二人は、食事を終えると、店を出た。
夜の街を歩いていたときラディアがふと何かを思い出したかのように尋ねてきた。
「そういえば、君はどこかに宿とかを予約しているのか?」
「いや……それが、俺、金持ってなくて……」
ローランは有り金をすべて握りしめて、家を飛び出し、街に向かう道中で、使い果たしてしまった。当然、宿屋のことなど頭にはなかった。
「そうか。では我が家に泊まるといい」
「え、いいのか? でもラディアに迷惑かけるんじゃ」
「気にしなくてもよい。話し相手が欲しいと思っていたところだ。それに君はまだ子供だ。子供が遠慮するものじゃない」
(――ん? あれ、なんか年齢低く見られてないか?)
ローランは内心不満だったが、口に出すのは止めた。
「ん? どうした?」
「いや、えっと……」
女性の家に泊まることが初めてなローランにとっては、いろいろなことを想像してしまい、頭に手を当てて、照れくさそうに言う。
「じ、じゃあ、お言葉に甘えて……」
「うむ。では行こうか」
こうして、ローランはラディアの家に泊ることになった。