その幼女は、えらく目元のはっきりした世に言う可愛らしい子だ。この屋敷に来てすぐ、颯爽と名月の前へ来て、両手を差し出し抱っこ。名月は何も言わずに抱っこをして、ソファーに座った。似ていないがまさか母子か、それとも姉妹か?そんなものを思わせるくらいの印象がある。
しかし2人の決定的な違いは、見た目ではなく、イズミがやたらと饒舌でよく話すのだ。しかも的を射ていて、頭がいい。この子の能力は異能と言うよりは通常よりも知能が高いことだ、と景吾が言った。景吾はイズミをとても可愛がっており、樹と同じように自分の養女に迎えているようであった。イズミはよく話をするし、知的で理性的な部分が、頭のいい景吾にとってとても面白いのであったのだろう。そのせいか、頭のいい奈雄もイズミとの会話を楽しんだ。
だが、一真はイズミに話しかけられると、常に馬鹿にされたような気がして嫌がる。そのつもりはないのだが、一真の不十分な点を指摘すると、彼にとってはとても嫌なことを指摘されたように感じるのだ。だからたまに幼女相手に本気で怒っていることもある。逆に幸一郎はイズミが面倒な時は、黙ることにしていた。彼女の言うことの意味は分かるが、それ自分が実行する理由がない。そんな時、幸一郎は黙ってしまうことにした。そうすると、痺れを切らしたイズミがどこか別の人のところへ行く。それまで自分はジッと待っている、というのが幸一郎のやり方だ。
イズミは、可愛らしい見た目とは違って、とにかく頭の回転が速く、口が達者である。嘘とついているとか、人を騙したり持ち上げているというようなものではない。本当に知的なのである。その年齢でどうやって知識を詰め込んだのか、と不思議に感じるほどに、イズミは頭がよかった。
「イズミって感じだよね」
奈雄が不意にそう言うと、千晶が面倒臭そうな顔をした。ため息をついて、いくつか言葉を選ぶ。
「知識の」
「そう。溢れるような感じ」
今日の千晶は面倒臭がりだ。朝から顔も洗っていないし、着替えもしていない。だらしない格好のまま、ソファーに座っていた。こんな日は、食事どころか会話すらまともにしない。しないという選択を彼はできる。
「時夜が寝ているから、静かにした方がいい」
「千晶くんはいつでも静かでしょ」
「静かって、そういう意味じゃない」
「ああ、そう」
奈雄は、ぼんやりとしながら窓の外を見ている千晶の横顔に言った。千晶のことは好きだが、すべての人格を好きで愛しているわけでもない。とりあえずまとめて全部好き、と括りながら、後から選別を繰り返しているのだ。
「名月のところに行ってくるよ。イズミがうるさいだろうから」
千晶は奈雄に話しかけられて、気だるそうにしているだけだった。
イズミは名月を自分と大して変わらない、同等の女性として見ている。知能的になのか、なんなのか、はっきりとしたことはないが、奈雄から見ればその態度はいかがなものかと思う。そう思いながら口にしないのは、自分もそういうところがあるからだ。誰かに甘えたいけれど、甘えたいとはっきり言えない。どうにかしたいけれど、どうにもならない。どんな時、相手への態度がちょっと高飛車になってくる。
「来ると思った」
名月の部屋を訪ねた奈雄に対し、イズミはそう言った。可愛らしいワンピースは、景吾が選んで着せたらしい。あの男、綺麗でクールな顔をしながら、とんだ幼女趣味だと思う。
「名月にね、夢の話をしていたのよ」
「なにそれ」
幼女は奈雄の目の前に来て、そう言った。そしてその手を取り、輪の中に入れてくる。
「夢っていうのは、そもそも脳が記憶の整理をしていて……」
イズミの講義が始まると、奈雄は面倒臭そうにソファーに足を上げた。千晶の身長が高いので目立たないが、奈雄のスタイルも悪くはない。足はそれなりに長いので、彼はソファーを占領したい時に、足を上げるようにしているのだ。
「奈雄、お行儀が悪いわよ」
「床で講義をしているイズミに言われたくない」
「私はいいのよ、子どもだから」
「汚い子ども思想だなぁ。付き合ってる名月に感謝しなよ」
「そうね」
そんなことを言いながら、2人は喧嘩をしているわけでも、嫌い合っているわけでもない。ただそこで、意見を交換しているに過ぎない。重なった結論が微妙なだけだ。微妙な結論の結果が、曖昧な答えで終わらせておく、というだけ。議論を長引かせるとお互い疲れてしまうし、結果的に何も生みださないことばかりになる。
この屋敷の中で、3人はよく集まっていることが多かった。最初こそ、奈雄が名月の側に寄って話しをする、ということばかりだったが、今ではそこにイズミが増えた。3人の話しは割と真面目なことばかりで、面倒な内容が多いので、周囲は嫌煙している。ここに景吾が来ればまたは話は違ってくるのだが、景吾は話す為に3人の輪に入ろうとはしなかった。
「一真の成長が伸び悩んでいるように思うわ。最近の傾向を見て」
ふと、イズミが奈雄の側に立って言った。奈雄はため息をついて、イズミに向き直る。
「あのね、イズミ。分かっていても、言わない方がいいことだってあるんだよ。一真はまだ成長途中だから」
「あら、私は一真を否定しているわけでも、過小評価しているわけでもないのよ。彼がちゃんと成長できるようにしなさいって、あなたに言っているの」
「なんで、僕?」
「千晶のコントロールはあなたがしているんでしょ?」
その言葉を聞いて、奈雄は少しだけ驚いた。この子ども、何を見てきたのか。まるで、ここに来るまでの今までを知っているかのように話す。確かに、自分が千晶のコントロールの【一端】を担っていることは事実だ。しかしそれは、年齢が近くて、一緒に過ごす時間が多く、他の【子供達】には任せられない【仕事】を2人でしているから。だが、奈雄自体は千晶のすべてをコントロールしている気はない。彼がいつでも過ごしやすいようにしているだけ、側にいるだけで千晶の理性になるのなら、それでいいと思うだけだ。それくらいに大事な存在と認識しているだけのこと。
「してないよ」
「あら、そうなの」
「大人に変な話をするなよ、イズミ」
「……大人だったのね、あなたたち」
そう言った時のイズミの目は、なぜかとても寂しそうだった。どこかで見たことがあるような目。誰の目だったのだろうか、と少し思ったりもしたが、奈雄はそれを口にしなかった。イズミとの口論は避けたい。頭のよさではイズミに敵わない、と思っているからだ。
「イズミ」
2人の間に声をかけたのは、名月だった。名月は2人を見つめ、イズミの手を取った。
「イズミ、まだ私との話、終わってないわ」
「そうだったわね」
「夢の続きを話して」
名月がそう言うと、イズミはまた床に戻った。2人で大きなスケッチブックを広げ、そこに何かを書いていく。しかし奈雄は、夢に続きがあるものか、と思う。夢の続きは、夢の終わりであって、それが【現実】なのではないだろうか。
2人の話す声を聞きながら、奈雄は目を閉じた。昔の夢を見る。母が自分を殴り、姉は出て行った。今頃姉はどうしているんだろうか、と思うとふと姉の顔が浮かぶ。姉の姿は白い服で、周囲には似たような格好の人間ばかり。夢にしてはよくできているな、と思うと、手に握った銃で姉を撃ち殺した。姉の血が流れて、彼女は地面に倒れる。そうか、自分はもうすでに姉を殺してしまっていたのか、と思うとなんだか無性に安心できた。あの女が生きている、と思うと気持ち悪くてたまらなかったのだ。きっと、あの新興宗教の信者の中にいたのだろう。あの中で殺してしまっていたのなら、石を投げたのと同じじゃないか、と奈雄は思う。
「……みんなで石を投げれば、誰の石が当たったか分からないから」
夢の中で背中からそう言われる。穏やかな、知っている声。
でも、奈雄は言った相手の顔を見なかった。