昔、山奥で事故があったらしい。そんな事故、日本全国探せばままある事故であった。そんな中、子どもを乗せた乗用車が谷底に落ちるという事故が発生した。その車には借金苦で一家心中を図った父母と幼い男児が乗っていたようである。借金を苦にして、夫は大切な家族の乗る車のアクセルを踏んだ。悪いのは自分じゃない、と強く思いながら。
結局、谷底に落ちた衝撃で息子は外へ投げ出され命拾いした。しかし父母はほぼ即死。そこで生き残ったのが
とある地方の村の一角に、奇妙な新興宗教が立ち上がった。新興宗教というものは、大体中身がよく知れておらず、気づいた時には家族や親類縁者すべてがどっぷりと精神を侵されているものだ。樹の父親は、両親の世代から新興宗教に浸かった家の子どもで、彼自身その村で生まれて育てられた、生粋の新興宗教の申し子のような立場であった。家財一式、何もかもをその宗教に捧げ、気づいた時には借金地獄。この宗教は、なぜか借金の仕方だけは教えてくれるという変わったものだ。だから、ここに集まる者はすべて借金だらけで、金が払えなくなると最後は【消えてしまう】という。
それが自殺なのか、他殺なのか、身売りなのか、逃げ出しているのか、その村で暮らす者には分からなかった。特に子どもである樹には分からないことばかりだ。この村にいると、特別難しいことをするわけではないが、ここから先に出てはいけないとか、ここから先は大人の土地だとか、そんな話ばかり。それを守ってさえいれば、食うには困らなかった。
しかしそれも金があるうちだけ。樹の両親は金が底をつき、ついに借金もこれ以上できなくなってしまう。献金できなければ、村にいることはできない。村にいることができないなら―――死ぬしかない。そうやってここにいる人間は、教育と言う名の洗脳を受けてきた。
新興宗教の起こりは、大体何か異能が関わっている、と景吾は思っている。ここの場合も、崇める対象が何かしらあるようであったので、景吾は献金するふりをして色々調べたのだ。調べた結果、ここにはかつて千里眼を持つ女がいたという話だ。千里眼で何かを見てもらうために献金する、というのがセオリーなのである。しかしその千里眼の女はすでに死んでおり、その血筋という者もいたが、千里眼を受け継いではいないようであった。
そうなると今度はここが邪魔になる。邪魔に思う輩が1人現れれば、他にもいるというのが世の常だ。そうなってくると、今度は景吾にどこからか【依頼】が来る。それはとてもシンプルで、新興宗教の組織破壊―――幹部全員の処刑依頼。多額の資金ともに、そういった話が景吾のところには舞い込んでくる。しかし景吾自身がそれで動くことはなく、そういった役割は大体千晶と奈雄へ回された。
車を運転しながら、景吾は後部座席に座る千晶と奈雄に説明をする。組織の大きさ、幹部の情報や顔写真など、まるで映画のような世界だ。
「ふーん、幹部に能力者はいないの?」
奈雄がパラパラと紙をめくりながら聞いてくる。千晶はそれを横目で見ていた。
「居ないね。そもそも千里眼を持っていたのも初代だけだ」
「千里眼って、遠くを見れるような?」
「それもあるみたいだけれど、透視能力的な意味だったみたいだね」
異能の発現は、その人間によってさまざまだ。たとえ血族であっても、同じ能力が出るとは限らない。むしろ違う能力者であることの方が多数であり、血族に1人でも異能者がいれば、遅かれ早かれまた異能者が誕生すると考えられている。
「遺伝子的なことかもしれないけれど」
「ふーん」
「興味はないんだね、奈雄」
「ないよ、ない。僕が興味を持っているのは、植物や動物と、千晶くんだけだから~」
そんな軽い調子である奈雄も、かつては虐待を受けた子どもの1人であった。景吾はそれを知りつつ、彼に今の仕事をさせている。
「銃は」
「トランクにあるよ」
「分かった」
銃の所在を尋ねたのは千晶だ。腕を組んだまま、ジッと何かを考えているかのような雰囲気。男らしいねぇ、と奈雄は笑ったが、今の千晶が多重人格のどれかであり、主人格ではないということしか分からなかった。
こうして、新興宗教の村に入り込んだ1台のベンツから、男が2人降りてきた。年の頃は10代の終わりか、20代の頭くらい。村にいる人間にしてみれば、急にやってきたこの存在が何なのか、理解できない。たまにテレビの取材や、うるさい雑誌の記者などが来たり、外の人間が文句を言いに来たりするが、ここまで堂々と入り込む輩はいないのだ。
一瞬、時が止まる。しかしそれは、千晶の銃声によって阿鼻叫喚へと変わっていった。奈雄は地中から木の根を生やし、次々に火を突き刺す。彼らのやり方は、最初から最後まですべての命を奪い切ること。たとえそれが子どもであっても、老人であっても同じだ。
「ああ、そうだ。2人とも、今回はちょっと内容が違うから」
景吾は車に背中を預け、本を読んでいた。気に入った作家の最新作にして、最終作。作家がデビューしてからずっと気に入っていたのだ。最初から最後まで―――それは景吾のもっとも好きなパターンである。人が死ぬ横で本を読みながら、人を殺す【子供達】に話かけた。
「もっと早く言え」
銃を構えた千晶が景吾を見て言う。
「まだ大丈夫だろ?今回は奥に子どもがいるんだ。その子は連れて帰る」
「何それぇ、もしかしたらもう殺しちゃったかもしれないんじゃない?」
奈雄が横から声をかけると、景吾は笑った。とても明るい笑顔で、本を閉じていないところ、読書をやめるつもりもないようだ。
「大丈夫だよ、分かるから」
分かるから、と言われて、それもそうだな、と千晶と奈雄は思った。彼らは異能を持つ者は、偶然も必然に変えられる―――それを分かる、と表現するのだ。
ふと、景吾は見た。倒れ逝く命の間に、ポツンと佇む少年。まるでそこだけ空気のように、その存在だけが見えないかのようになっている。千晶の銃弾があの少年には当たらなかった。銃弾は弾道を変え、別の場所へ飛んでいく。
「空気、か」
面白いものだな、と景吾は思う。そして少年の目の前に立った。
「名前は?」
「いつき」
「そう。待たせたね」
景吾は樹に持っていた本を与えた。まだ読める年齢なのか、その知識があるかは分からない。しかしそれを受け取った彼はとても喜んでいた。その姿を見て、千晶と奈雄は更にその場を一掃することに集中した。【子供達】の安全が確保できれば、それ以外は特に気にならない。
「行こうか」
「奥で、まだ、待ってるんだ」
樹は景吾の言葉を遮って言う。そしてこの場所よりも奥を指さす。そこはこの新興宗教の本拠地の最奥。かつてそこには千里眼の女がいて、今でもその千里眼の女がいると崇められている場所。実際はその女はすでに寿命で死んでおり、中にはいないはず。
「誰が待っているの?」
「こども」
「ふーん、新興宗教もあながち嘘じゃないってところだね。3000万献金した甲斐があったよ」
嘘か本当か、そんなとんでもない金額を口にしながら、景吾は奥へ進んで行く。その手には空気のように軽い樹を抱き上げて。
最奥では、樹と変わらない年代の少年が寝息を立てているのであった。