子どもの頃から、ろうそくの炎が勝手について、コップの水が勝手に出て行った。水が出て行く先を追いかけると、流しの方で、彼はそれを面白がって見ていたものである。ろうそくの炎は強くなれば、早くろうそくが溶けるから、また面白い。遊び場の少ない東北の田舎、霊媒師である祖母の仕事場は、何かとわけの分からない龍の置物や菩薩や大仏、掛け軸や絵、水晶や石などであふれかえっていた。
一真にとって、親は祖母である。霊媒師として実力の高い祖母は、その界隈ではかなり人気のある人だった。それに目を付けたのは実の娘、一真の母だ。実母を崇めて、とにかく客から金をとらせた。中には悪霊を払うと言って、家財一式に至るまで根こそぎ奪った家もある。しかしそれでも祖母は、真摯に霊媒師としての役割を果たした。
そんな祖母は、一真の能力が完全に開花するのを感じ取り、その能力を使わせることにした。男の子だから、好奇心の塊で、気になったことはすぐに手を出してしまう。だからこそ、そうした。この子が、自分の咎を焼き払ってくれるように、と願いながら。
人間の体とは、一定を保つことができなくなると無理をする。無理がたたると限界を越え、一気に崩壊するものだ。一真は、炎による脱水と急激な水分による補水によって、バランスを崩し、昏倒した。炎は彼の手を離れ、祖母の仕事場を燃やしていく。いいのだ、あんな偽物の大仏も、菩薩も、龍も、燃えてしまえばいい。金も建物も、すべて。祖母が願ったように、すべて燃えた。すべてとは、本当にすべてだ。自分が産んで、自分を苦しめた実の娘も灰になった。
孫に母殺しを悟られたくなかった祖母は、かねてから相談をされていた景吾に連絡を取る。祖母の霊媒師としての能力を知っていた景吾は、彼女に異能の子どもを集めている、と話していたのだ。きっと孫のことを知られている、と思った祖母は、その時こそ景吾を追い返したが、いつの日かあの男を頼らねばならない、と分かっていた。
景吾が彼女のもとを訪れたのは、2月の終わり、雪がちらつく時期だった。
焼け果てた建物の残骸の前に、霊媒師は経っている。以前会った時よりも老けているな、と景吾は思ったが、それは人間の老化というものであり、仕方がないことも理解している。自分の方が老けないからおかしい存在なのだが、それはそれでいいことばかりでもない。だがそれを語れば話が長くなるし、それを思えば無性に腹が減るだけ。今はとにかく目の前の老婆となり果てた霊媒師から、孫を預かることが先決だった。
「来てくれたかい」
「ええ、まあ。連絡をいただいていたので。あなたからの連絡を無視するような男に見えますか?」
「うーん、どうだろう。そこまでアンタのことを見たことはないからね」
能力を使えば、景吾がどんな人間なのかすぐに分かったはずだ。しかし彼女はそれをしなかった。しなくても、孫を預けるためには必要だと判断しただけのこと。
「それで、僕のところに来る気になってくれたんですか?」
景吾の言葉に、霊媒師は目を丸くした。まさかこの男、狙っていたのはこの婆のことだったのか、と。
「アンタ、私を連れて行くつもりだったのかい?」
「え、そうですけど?」
「はぁ、こんな婆連れて行って、長くもないって分かっているだろうに」
「うーん、それは色々方法が。じゃあ、別件なんですね」
別件、と言いながら景吾は焼け跡の前に座り込む少年を見た。年の頃は10といったところか。少し細身の少年は、ただ焼けた家屋を見つめている。かつて、自分も戦争で焼けた土地を見てきたので、景吾は彼が何を見ているのか理解できる。ただの灰、ただの燃えかす。ただそこに残ったモノは、思い出でもなんでもなくて、ただの灰。少年はそれをただ見ているだけだった。
「一真。私の孫だ」
「へぇ」
「この家を全部燃やした」
「放火癖でも?」
「燃やして、消した。炎と水の両端を扱える」
「炎と水……コントロールができてないから、燃やしてしまったんでしょうね」
景吾の言葉に、老婆は頷いた。そして一真の体質も説明する。人間としては当たり前のことなのだが、子どもの体には負担が多く、もしも今後これが繰り返されれば、一真は命を落とすかもしれない。燃やすでもなく、溺れるでもなく、ただ意識が戻らなくなる―――
「ふーん、うんうん、分かりました。いいですよ、預かりましょう。でも二度と会えないと思ってください」
「……老い先短いからね、あの子の幸せの方が優先だ」
「幸せですか?」
「ここの地獄より、世界の荒波の方が幸せだと婆は思うよ」
かつては美しい女だったのだろうと思わせる横顔は、常に孫の小さな背中だけを見つめていた。景吾のために、孫を手放すのではない。孫のために、この男を利用するだけ。それだけだ、と霊媒師は思いながら、寒い2月の空を見上げる。
こうして一真は、景吾に連れられて遠くから遠くへやってきた。
そもそも、東北の田舎にいた一真にとって、自分の土地を出ることなど滅多になかった。母は、祖母の金を散財することに忙しく、一真の存在を気にも留めていない。いつも高い買い物ばかりをして、男に騙されて、祖母に泣きつくばかりだ。そういえば、母はどこに行ったのだろう。
「あの」
車を運転する景吾に、一真は問いかけた。
「なんだい?」
景吾は運転しながら、バックミラーで一真を見る。
「母さんは、どこ行ったんですか」
「さあ?君のお祖母さんからは何も聞いてないよ」
「そうですか」
一真はそれきり、何も言わなくなった。彼は自分の炎で母を焼き払ったことを知らない。もしかしたら、心のどこかで気づいていたのかもしれないが、分からないようだった。子どもとはそんなものだ、と景吾は思う。無自覚で、無垢。そして、残酷。でもその残酷さがあるからこそ、子どもは大人になっていける。
車が停まったのは、それからまたしばらくしてのことだった。いつの間にか眠ってしまった一真は、目の前にある大きな扉を見て、驚いた。祖母の家よりも立派で、この先には何があるかわからない。
「まだ寝ていていいよ。もう少しかかるんだ」
「まだ先があるんですか?」
「うん、もう少しね。まあ車だから分かりにくいかもしれないけど」
景吾の言葉に、一真ははあと情けない息が漏れる。その息を吸い込んだ時に扉は開き、彼らの車が入ると閉まっていった。凄い場所なのか、そうでもないのか。はっきりと分からない、と一真は思う。霊媒師だった祖母との生活は、あまり外との関りがなかった。だからあまり余所のことを知らないのだ。
「この先は森ばっかりだよ」
「森?」
「そう。野生動物はいるけど、管理しているから心配ないよ。他人が入ってくることもないし」
前を向いたまま、景吾は話を続けている。ハンドルさばきはとても慣れていて、落ち着いていたので、一真は安心することができた。そして着いた場所が屋敷である。祖母の家とは全く違う、洋風の造り。しかし当時の一真にはそれが何なのか、深く理解することはできなかった。
一真の目の前には、青年が2人、少女が1人いた。人数が少ないのだな、と思ったがそれを口にすることも億劫だ。頭の中がぼんやりするのは、脱水症状のせいだったのだが、一真には分からない。ぼんやりとした表情しか見せない彼を見て、誰も彼に期待などしなかった。
しかし一真は景吾の診察を受け、ケアをしてもらったことで今までの姿が嘘のように活気づく。まさに悪餓鬼という言葉がお似合いの、少年だ。能力のコントロールは千晶が教え、水分の調整は奈雄が教えた。2人から上手く教えてもらうことで、本当の一真が誕生する。
「先生がいいと違うねぇ」
景吾がふと言ったことに対し、一真は何の話だろうな、と思った。その詳しいことを理解したのは、もっと年が多くなってからだった。今の一真にはよく分からない―――よく【分かりたくない】話である。
「一真にはそろそろ遊び相手がいるね」
そんなことを景吾が言い出して、千晶は咎めた。彼はまだ能力の訓練中、誰かの相手をさせていいような状態ではない、と。しかし翌日に景吾は不思議な少年を連れてきた。
「幸一郎。村雨幸一郎だよ。仲良くしてやってね」