僕の体は、医者の宣告通りに様子がおかしくなっていった。
よく髪が抜けるようになって、理由のわからない咳や動悸が止まらなくなった。煙草を吸えなくなってから、二週間が経とうとしていた。
「今日もお寝坊さんですね」
中々ベッドから起き上がれない僕の代わりに洗濯物を干しながら、霜手がからかうように言う。
「……今日は、何がしたい」
いつでも渇くようになった喉から、勝手にそんな言葉が漏れた。普段通りの霜手の笑い声が、だんだんと遠くなっていく気がした。瞼が、言うことを聞かずに閉じる。
「今日は、そうですね」
気づくと、霜手はベッドのそばに来ていた。
「私の話をしましょうか、後藤省吾先生。ずっとぼんやりしてたお話が、ちょうど今日、完成したんです」
「……なんの冗談だ、それ」
僕が朦朧とした意識の中で投げた問いかけは、霜手に軽く振り払われた。「いいから聞いてください」、と。
「あるところに、幼いときから寝たきりの女の子がいました。女の子は、いつでも絶望を覚えていました。窓の外から見える風景のつまらなさが、そのまま彼女の人生でした」
なんの話だ。
霜手は続ける。
「ある夜のこと、女の子は余命宣告を受けます。やっとこのつまらない地獄が終わるのかと、彼女は心の底から歓喜しました。そしてどうせなら、最後の最後まで、自分を唯一、この病室から連れ出してくれる物語、つまり小説を読んでから死のうと決めました。……そして女の子は小説を読み進めますが、手持ちの小説はどれもこれも上滑りしているように思えて、まるで頭に入ってきません。『絶望のシチュエーションプレイ』をしているようにしか、思えなくなってしまったのです」
「……待って、くれ。これっ、て」
「横槍厳禁ですよ省吾さん。この話はもう、クライマックスなんですから」
霜手はいつものように肩をすくめて笑った。それが僕を安心させると知っているから。
「ですが、本当に意識を失う前日、女の子はとある小説に出会います。それはとても世間一般から評価されるようなものではなく、ただ作者のエゴと偏見と、それからとびきりの絶望が煮詰まったような、いわゆる悪趣味な小説でしたが、そのときの女の子からしてみれば、その小説だけが自分とはっきり目を合わせてくれる、世界でたった一つの物語でした」
「目を閉じる前、女の子は思います。思い出と呼べる思い出もない人生だったけれど、恋も友情も知らない私だったけれど、同じ深さの絶望を抱えている誰かがいたのだから、その誰かを、知れたのだから」
霜手は不意に、僕の手を握った。やけに冷たい、輪郭のはっきりとした体温だった。
「――私は、幸せだな」
僕の意識は、もうほとんど消えかかっていた。
「……僕、は」
君といた、この半年間。
霜手は僕の言葉の続きを待たず、瞼の裏側でまた、笑った。
「幸せでしたね、省吾さん」