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第4話

 翌日から、僕は退院の手続きを無事に済まし、霜手とともに引越しを始めた。

 まずは、ほとんど物置と化したアパートの六畳間を片付けるところから始まった。

「これは……中々」

「散らかってるだろ。気を遣わなくていい」

 原稿用紙の束や、煙草の吸い殻が転がる床に掃除機をかけ、洗濯機の中に入れっぱなしだった服をコインランドリーに持っていった。霜手もなれない手つきでゴミ出しを手伝ってくれたので、たった一日で六畳間はそれなりに殺風景になった。

 コインランドリーからの帰りがけに、霜手がやけに興味を持ったので仕方なく、ドライブスルーでハンバーガーを買って帰った。

「私、こういうの食べるの初めてなんです」

 簡素な丸机しか残っていない部屋で、僕と霜手は並んでハンバーガーを食べた。彼女の言っていることは本当らしく、霜手の食べている机の周りには、バンズの隙間からぽろぽろとレタスやらソースやらが落ちていた。

「僕はこういうのばかり食べて生きてきた」

「だから早死にしちゃうんですよ。……でも、確かに美味しいですね」

 ハンバーガーを喜んで食べる天使なんて聞いたこともない。


 天使らしくないといえば、これからの日々はそんなことの繰り返しだった。

 無事引越しを終え、なんとなく好条件の物件に落ち着いた生活は、いつだって霜手のひと言でかき乱された。

「ねえ省吾さん、私まだ、海に触ったことないんです」

 と言われれば、二人で海の近くを歩き、なんだかんだ結局膝まで浸かることになった。「冷たいですね」と笑う彼女に、「海だからな」みたいなことを言って、少しうんざりされた。


「今度は遊園地、行ってみたいです」

 他にすることもないので連れていった。

 コーヒーカップとメリーゴーランドを三往復されたときはさすがに堪えたが、霜手がこれまでにないくらい上機嫌だったことで、なんとなくしてやった感があった。「なんだか省吾さん、楽しそうですね」と霜手が笑い、「君がな」と言い返すと、「私が楽しそうにしてるを見てる省吾さんが、楽しそうですねって意味ですよ」と言われ、そうかもしれない、と思った。


「このカーテン、飽きました」

「ベッドは大きいのをひとつでいいです。そんなにお部屋も広くないんですから」

「朝はきちんと起きましょう。朝ごはんが待ってますから」

「煙草はベランダで吸ってください」

 不思議なもので、彼女の言いなりになって生活をしていると、以前よりもずっと体が軽く感じるようになった。

 朝食を取り、日光を浴びて散歩をして、たまに車で行ける範囲の遠出をする。出かけた先では決まって本を一冊買い、翌日には読み切ってしまう。霜手の視線に気を遣いながら夕方のベランダで煙草を吸い、夕飯の支度をして食べ、まだ日付が変わらないうちに眠る。

 気を抜いたら曜日も時間も頭から抜け落ちてしまうくらいの、気遣いと他人の存在、変容した当たり前が積み重なった、二人の生活。

 そして気づけば、三ヶ月がすぎていた。

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