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第3話

「残念ですが……手の施しようがない、というのが実情です」

 その日の夜、主治医である初老の男から告げられたのは、紛れもない余命宣告だった。

 僕は思わずあの自称天使の言葉の続きを思い出す。

『天使は後悔させるのが仕事です。ですから、それなりの猶予期間が必要でして。あなたの場合は……』

「非常に申し上げにくいのですが、後藤さんの体は持ってあと、」

「半年」

「え?」

 勝手に口から出たその余命期間は、ついさっき、あの自称天使から告げられたもの、そのままだった。

「あの……後藤さん?」

「ああ、すみません。それで? 実際のところ、僕の余命はあとどのくらいなんですか」

「いや、その」

 主治医はもごもごと言い淀んでから、恐る恐るといった様子で続けた。

「……よく、ご存知で」

『あと半年、ですね』


 その日の深夜、僕が隔離されている病室に来訪者が訪れた。まあ、この話の流れで来るやつなんか決まっている。

「ガラガラ、どうも、天使です」

 ふざけた登場の仕方で、やはり天使は現れた。僕はベッド近くのライトを点ける。ぼやっとした明かりが、病室の暗がりから彼女の姿を浮き彫りにした。

「一応、ここは二十二時以降、他の病室には立ち入り禁止のはずなんだけど」

「それは人間のルールです。天使の仕事に時間制限はありませんよ」

「ブラック労働っていうんだよ、そういうの」

「それも人間のルールです」

 天使はすたすたと僕のベッドの傍らまで歩いてくる。その顔はどこか自慢げだった。

「そういえば今日、余命宣告を受けたよ。君の言ったとおり、持ってあと半年だそうだ」

「知ってますよ、天使ですから」

 だから言ったでしょ、とでも言いたげに天使は口角をにっと上げる。

「……君、名前は?」

「お、やっと私に興味を持ってくれましたか。私の名前は……霜手です。し、も、で。寒そうな名前でしょ」

「霜手、さん」

「霜手で構いません。私の方が年下ですし」

「天使に歳なんてあるのか」

「ありますとも。私は天使になってからまだ間もない、赤ちゃん天使です」

 相変わらず、彼女の言葉の全てを信じるのは難しい。

 けれど、他人の余命をピタリと言い当てるなんて無神経なことを簡単にやってのけたのだ。ただの妄想癖として片付けるには無理があるだろう。

「霜手。君の言っていることを、いったん僕は信じようと思う」

「賢明な判断です」

「……君は、僕が死ぬまでずっとついて回るのか?」

「まあ、それが仕事ですので」

 ずいぶんこともなげに霜手は言う。

 僕は少し、悪いことを考えた。彼女の困った顔が見てみたい、と。

「明日、退院しようと思うんだ。どうせ半年しか生きられないなら、もうここにいる理由もないからね。……海に近い場所に家でも借りて、そこで退屈な余生を暮らすよ。君は、一緒に来るかい」

「それは、私にも部屋を用意してくれるってことでしょうか」

 僕の試みは失敗に終わった。いくらなんでも一緒に暮らすとなれば、少しくらい苦い顔をしてくれると思ったのだが。

「……天使ってのは図々しいんだな」

「そりゃまあ、天使ですから」

 理由になっているのかわからない論理だ。

「わかった。じゃあ明日から新生活の幕開けってことで、今日は解散しよう」

「いきなり聞き分けがよくなりましたね。ですがすみません、そういうわけにもいかないんですよ」

「どういうことだ?」

「天使という生き物はですね、残り時間を知った人間とは一定以上の距離、離れられない仕様になっています」

 そう言うと、霜手は僕のベッドのそばの椅子に腰掛け、壁に背中を預けると静かに目を閉じた。

「私はここで寝ますので、省吾さんも安らかに眠ってください」

 なんて不便な仕様なんだ。死ぬのに後悔させるのが仕事らしいが、むしろこの仕組みのせいで早死にするやつが出てきている気がする。

「他人と一緒に眠るようにはできてない」

「人じゃなく、天使ですから」

「屁理屈だ」

「知らなかったんですか? 人は屁理屈で自分を誤魔化す生き物です」

「……やっぱり君は悪魔だな」

 僕は普段よりずいぶん時間をかけながら、天使の寝息とともに眠りについた。久しぶりに、夢を見なかった。

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