深夜ドラマの準レギュラー役っぽい青衣へごまを擦る幽霊二人の輪郭が、じわりと滲み始めた。同時に淡く光を放つ。わぁっと、青衣がすっとぼけた声を上げた。
「なにこれ、イルミネーション?」
ひょっとすると彼女は「イリュージョン」と言いたかったのかもしれない。が、発光しているのでイルミネーションでもあながち間違いではない。
イルミネーション疑惑をかけられた二人も、青衣と似たり寄ったりの顔だ。ただ、どこか晴れ晴れともしている。
「あたしもワケ分かんない、けど、イヤな感じはしないかも?」
「ですね。なんだか気が楽になったような」
顎に手を添えた千聡が、彼らの健やかな様子から仮説を立てた。
「おそらくこのまま、成仏出来るのかと。私も今まで強制的に消滅させられる地縛霊にしかお目にかかったことがありませんので、憶測でしかありませんが」
「あ、でも、そんな気がするかも。なんか体も軽いし」
彼の言葉に、唄子本人が笑って納得した。
そして二人は、青衣と千聡に改めて頭を下げた。
「色々迷惑かけてごめん。でも、クソ親父も退治してくれて、ありがとうございました」
「やっとここから出られて、助かりました。ありがとうございます」
その間にも二人の姿は、徐々にぼやけていく。ほんのりとした寂しさと達成感を覚え、青衣は笑顔で肩をすくめた。
「ううん、役に立ってよかった。あ、ゲーム! 面白かったよ、ほんとに! 沼井君もちょうどいい弱さだったし!」
最後に彼女が言い添えた言葉で、唄子が破顔した。再三に渡ってちょうどいい弱さだと教え込まれた沼井は、ちょっぴり苦い半笑いであるが。
ともあれ二人が光の粒になると同時に、青衣たちの周囲の景色もぼやけ始める。
全てがあいまいになる視界に青衣が目を瞬いている内に、気が付けば鹿路家の食堂に戻ってきていた。慌てて顔を持ち上げると、千聡も無事隣に立っている。青衣は胸に手を当て、か細く安堵の息を吐いた。
一方の千聡は納得したように、一つ頷く。
「なるほど。新居園 隆を消滅させたことで唄子さんの無念を晴らし、私たちも新居園家の呪縛から解放されたようですね」
「はぁ、そういうこ――」
青衣はぽややん、と腑抜けた顔で納得しかけ、目を見開いた。
「そうだ、千聡! 噛まれた腕、大丈夫? 怪我してない?」
上ずった声で、千聡へと身を乗り出した。千聡は黒焦げ親父に噛みつかれた箇所を確認するべく、丁寧にアイロンがけされたシャツの袖をまくった。
薄っすらと円形の赤い跡は残っているものの、血が滲んでいたり「呪われました!」と言わんばかりに謎の刻印が残されたりといったことはなかった。
「幸いにして、噛まれたのは服越しでしたので。軽傷のようですね」
「よかったぁ……」
青衣は千聡の優しい眼差しを仰ぎ見て、あっという間に泣き顔に変わった。
ここでとうとう、気が抜けてしまったらしい。青衣の全身が面白いぐらいに震えだし、立っていることが出来ずに床へ座り込む。鹿路家の床はお掃除が行き届いているので、たとえ全裸で寝っ転がっても安心安全だ。
千聡も膝を折り、子供のように号泣する青衣と目線を合わせる。そして首尾よく取り出したハンカチで、はらはらとこぼれる彼女の涙を優しく拭った。
「お嬢さん。初めてのお仕事、お疲れ様でした。見事な除霊でしたよ」
「ほんとぉ……? ちゃんと、できてた?」
「はい。完璧でしたとも」
「ん……ありがと、千聡」
青衣は小さな声で礼を言い、へにゃりと笑った。そのまま千聡の肩へ頭を預ける。千聡も目を細めて彼女を抱きしめた。労うように、青衣の小さな背中もぽんぽんと叩く。
(赤ん坊の寝かしつけじゃないんだからさ)
護衛の全力での甘やかしに、青衣は割と無礼なことを考えた。腕の中で身じろぎした彼女が視線を持ち上げると、千聡と目が合う。同時に、彼の頭部から今も生えている狼耳も視界に映った。
「千聡のそのキャワワな耳、久しぶりに見たかも」
素直な感想に、千聡の顔が強張った。彼の視線も上に持ち上がり、見えないはずの己のケモミミを見ようとしている。青衣はふと、BUMP OF CHICKENの名曲『天体観測』を思い出した。
どうやら千聡は狼耳を出しっぱなしだと、気付いていなかったらしい。たちまち彼の顔が真っ赤に染まり、頭部の耳もペタリと寝た。
「……申し訳ありません。こちらにつきましては、どうかそのままお忘れ下さい……しばらくすれば、いずれ消えると思いますので」
「あ、恥ずかしいんだ、それ」
寝ても覚めても、青衣には人間の微妙にグロテスクな耳しかない。なのでフワフワと黒い毛の生えた三角耳は、可愛いし羨望の対象なのだ。
「恥ずかしいに決まっているでしょう。我を忘れてしまった証左なのですから」
なるほど。理性がプッツンすると生える仕組みであるらしい。青衣は鹿路家の跡取りとはいえ、人狼の生態にはそこまで詳しくない。勉強になるな、と素直に感嘆ももらした。
「へぇー、そうなんだ。つまり――わたしが刺されると思って、空前絶後に焦ったわけなんだ?」
「……」
「やだ千聡、わたしのこと大好きじゃーん!」
青衣は魔女のような不気味な笑い声を上げて、千聡の頬を指でつつく。
が、すぐに指を払い落とされた。
「……ずいぶんと、調子に乗っていらっしゃいますね」
「そりゃそうよ。だって千聡にはいつも、煮え湯を飲まされまくってるんだもん。この辱めチャンス、使わずにいられるか」
「心外ですね。私はいつも、お嬢さんにはお白湯をご提供している所存ですよ」
「どこかだ。むしろ毎回、熱々のマグマじゃない。ってか溶鉱炉に蹴落とされてる心地なんだわ」
千聡の毒舌をそう腐し、再度彼の頬に手を添える。
「というわけで、日頃のお詫びと今回のご褒美も兼ねてさ。触らせてよ」
「どちらをお触りになりたいのでしょうか? 私のセンシティブな部位を要求されるのであれば、旦那様にセクハラの相談をいたしますよ」
「要求するか! お耳に決まってるでしょ!」
センシティブゾーンに関しては、お願いされても触るのは遠慮したいものである。青衣はビロードのような毛並みの、千聡の耳を指さした。
千聡は渋い顔になり、しばし青衣とにらみ合う。青衣もふくれっ面で彼を見返した。
ややあって折れたのは千聡の方だった。長々とため息をつきつつ、抱擁を緩めて頭を軽く下げる。
「まあ、別にいいですけど……はい、どうぞ」
「よっしゃ。ではおさわり失礼します」
ちょっと嫌な声かけである。
青衣は最初、おずおずと控えめに彼の耳に触れた。しかし、すぐさま瞳を輝かせる。今度は両手で耳を揉みしだいた。乱暴でこそないが、なかなかダイナミックな触りっぷりだ。
「うわぁっ! 手触りすっごい、フカフカだー! なにこれ!」
何だこれはと問われれば、耳としか言いようがないのだが。煌めく笑顔で大絶賛された千聡は、得意げに口角を持ち上げている。
「当然です。毎日お風呂に入り、ヘアケアも欠かしておりませんから。その辺の柴犬たちとは触り心地の次元が違うのですよ」
「はぁ。さいでっか」
(自分と同ジャンルにいるのが柴犬だって信じてるの、なかなか厚かましいなぁ。アラサーなのに)
生ぬるい相槌で内心呆れた青衣は、途中で気づく。
「あ。ライバルが柴犬だと思い込んでるから、可愛いって自称出来るわけだ。なるほどね」
「思い込んでいるとは失礼ですね。事実、私は可愛いですよ?」
青衣はいけしゃあしゃあとドヤ顔を晒す三十歳を、鼻で笑おうかと思ったのだが――愛想笑いが標準装備である普段と異なって幼稚な表情は、たしかに青衣の何かをくすぐっていた。
それは母性か、はたまた――
「――まあ、可愛くないこともない……かな?」
青衣はそう言って、くすぐったそうに微笑んだ。