「違う違う違う違う愛してるんだ違う違うやり直そう違う違う逃げるな違うどうして分からないんだ違う違う俺は悪くない悪くない悪くない」
大音声で延々と、しわがれた男の声が何かを訴えている。だが壊れたオモチャのように、何度も同じ言葉を繰り返しており全く要領を得ない。そのくせ一丁前に抑揚だけはたっぷり付けているため、鬱陶しさと気味の悪さにも拍車がかかっていた。
「びやぁッ! もっ、文句あるなら、せめて筋道立てて言いなさいよぉぉー!」
千聡のコバンザメあるいは付属パーツと化しながら、青衣が涙目でガタガタと文句を垂れる。反骨精神がまだ健在なのはいいことだ。
「ひいぃぃ!」
「もうやだぁ!」
幽霊コンビに至ってはその精神も死んでいるらしく、どちらも畳の上に縮こまって泣いていた。
一同の中で唯一冷静な千聡だけが、あることに気付いていた。
しわがれたこの声が、青衣の部屋や彼のスマートフォンから聞こえて来た声と同一だと。
「モラハラクソ野郎の分際で、お嬢さんの部屋に入りやがって」
挙句の果てに、実に忌々しそうに舌打ちもかます。現在の彼を構成しているのは、一事が万事反骨精神らしい。
目上へのリスペクト・悪霊への恐怖心共にゼロの彼は人狼であり、嗅覚に加えて聴覚も常人より優れている。彼の耳は、天井越しに聞こえる足音も感知していた。
「上に、誰か――恐らく新居園 隆と思しき霊がいるようですね」
ギョッと青衣が目を剥いた。
「家庭内ストーカーおじさんが!? 見つかったらストーカーされるから、ここに隠れて――いやぁぁぁァーッ!」
青衣が消極的な提案をするも、悲しいかな今の彼女は千聡の付属パーツである。
そのため付属品の意見をまるっと無視した本体ごと、居間の外へと連れ出された。
「ああっ、待ってください!」
妙に肝の据わった彼に、幽霊コンビも慌ててついて行った。彼の近くにいる方が安全、と判断したらしい。
恨みがましい読経の主は、二階に続く階段の踊り場に立っていた。唄子の作ったゲームに紛れていた通りの、真っ黒な姿である。
だが画面越しでないと、その黒さは服ごと皮膚や髪が焼け焦げたためのものであることが見て取れた。
「行くな行くな行くな俺は悪くない行くな行くな行くな口答えするな行くな行くな行くな絶対に別れない別れない別れない」
焼身自殺を遂げて変わり果てた姿となった新居園 隆の体からは、悪臭と煙も立ち上っている。凄惨な姿に、青衣も悲鳴を上げることすらできなかった。ただパクパクと、声の出ない口を開閉する。
尊大な羞恥心をこじらせて秘密主義になっていた唄子と、彼女を真犯人と疑う沼井――本来であれば、一つ屋根の下で仲良く地縛霊ライフ (死んでいるのに
その共同生活が一応成立していた理由こそが、この新居園の悪霊だった。
理性を留める二人と違い、もはや会話もままならないこの男は、いつも突然現れては問答無用で二人に襲い掛かって来るのだ。
おかげで「死んでからも、刺されたり殴られると普通に痛い」という世界一知りたくなかった知見も得る羽目になったのだが、共通の敵がいることによって協力関係も築くことが出来ていた。
もっとも口喧嘩はしょっちゅうしていたけれど。
ただ今となってはそれも、二人が理性を保つために必要な交流だったのかもしれない。
――こういった経緯により、焦げ焦げ悪霊によって辛酸をなめさせられまくっていた二人も、青衣とどっこいどっこいの怯え方である。
千聡はパニックに片足を突っ込んでいる三人と、通常運転で狂っている悪霊をゆっくり見渡して、ふむと考えた。
「ひょっとすると、沼井さんも事故ではなくこの男に殺害されたのかもしれませんね。家探しをされていたばかりに、現在のように逆鱗に触れてしまったのでは――となると、我々も非常に危ういですね」
「千聡、お願いだから淡々と怖いこと言わないで! せめて情感込めようよ!」
彼の外付けハードディスク状態だった青衣が、千聡の腰から離れるついでに弱々しく叩く。ついでに涙目でがなった。
階上で仁王立ちする新居園の炭化した体が、ぶるりと一度震えた。
「どうして俺を裏切るんだ俺は家長だ俺を裏切るな俺がお前たちを食わせてやって誰のおかげで食わせてやって逃げるなここにいろ俺のおかげでお前たちはどうして裏切るんだ家長だ俺は食わせてやって逃げるな」
半ば呂律の回らない口調でブツブツ言いながら、彼は何かを胸元に構えた。包丁である。
目に見える殺意に、ヒギャア!と青衣の汚い悲鳴が上がった。叫べる程度には回復したらしい。
だが、それは悪手だった。
叫び声を上げた彼女を、新居園は最初の獲物と定めたらしい。
新居園は獣のような唸り声を上げ、包丁を構えたまま階段を転がるように降りる。そのまま腰を落とし、青衣めがけて突進した。