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15:何気ない母の一言が、息子を傷つけた

「あの、ボイアク……ってなんですか?」

 律儀に右手を上げて、沼井が不思議そうに訊いた。彼の問いに、青衣と千聡は目を見合わせた。

「沼井君が買った、『ボイス・アクト・ナイト』の略だけど」

「はい。お嬢さんが現在遊ぶ羽目になっていらっしゃる、ある意味伝説のゲームですね」

 えっ、と沼井は小さな驚きの声を発した。そして少し慌てたように、上げていた右手を振る。


「いえいえ、僕はゲームでほとんど遊ばないですよ。それ、誰のゲームです……?」

 恐怖対象であるはずの幽霊が、恐々と青衣に尋ねた。青衣も首をひねる。

「うん? でもわたしたち、依頼者の息子さんの遺品って聞いてて……で、そのゲームしてたら、ここに飛ばされて……」

「妹は時々ゲームで遊んでましたけど、僕はゲームソフト、持ってなかったはずです……」

 二人とも語尾が頼りなさげになり、顔を見合わせて同方向に首を再度傾げた。


 キツネにつままれたような彼らの様子を、唄子は気まずそうにちらちら見ている。そんな彼女を、千聡が更に観察していた。

「沼井さん。この新居園邸で、ゲームソフトを拾った記憶はありませんか?」

 彼からの問いかけに、沼井はしばし目を瞬く。

「え……ゲームソフト? そんなのなか――あ、あれかも……? ゲームか分かりませんが、DVDみたいなのは見つけた記憶があります」


 『ボイアク』の収められたケースは、DVDソフトと規格がほぼ同じだ。ソフト自体もよくある光ディスク型の媒体であるため、ゲームに明るくない彼がDVDと見間違えていても、不思議ではない。

「たしか二階の部屋の、本棚の後ろに落ちてるのを見つけたんです。気になったから拾って、そのまま他の部屋も見て回ったかもしれません」

 なるほど、と青衣が呟く。

「その時に階段から落ちて死んじゃったから、遺品扱いされちゃってたとか?」

「お嬢さんにしては鋭いですね。その可能性が高いかと、私も思います」

「丁寧に軽口混ぜ込むなよ」

 千聡はほんのりムッとした彼女へ笑いかけた後、再び唄子を見据える。


「あのゲームソフトの本来の持ち主は、唄子さんですね」

 眼鏡の奥の目が、ギョッと見開かれる。

「え、なんで――」

「主演が当時人気の――そして現在も大御所として活躍なさっている、いわゆるイケボの男性声優ばかりでした。このようなゲームを購入されるのは、主に女性客でしょう」

「ううっ……」

 唄子はたじろいだ。目も泳いでいる。そこへすかさず、千聡が畳みかける。


「おそらくですが。私も唄子さんと、似たような経験をしております」

「え?」

「少年時代、お洒落で綺麗な絵柄の表紙に惹かれて購入したマンガが、少しエッチなラブコメでした。親や兄にバレては大変だと、本棚の奥に隠していたのですが」

 千聡はそこで言葉を切り、当時を思い出したのか口元を歪めた。

「……掃除中の母に当然見つかってしまい、挙句の果てに『あんたも年頃ね』などと笑われたことがございます」


 彼の母にとっては、息子の成長を喜びながらのからかいだったはずだが。千聡少年 (当時11歳)からすれば、とんでもない辱めであった。しばらく部屋に引きこもり、父が

「出てきなさい千聡。青衣様がジェラートピケの、ウサギさんパジャマをお召しになっているんだぞ。とんでもなくモコモコで可愛らしいぞ」

と赤ん坊の青衣を投入するまで、一切部屋から出ないほどに傷付いたのだ。


 話を聞いていた青衣と沼井も、首を絞められたようなうめき声をこぼす。彼らもまた、似たり寄ったりの経験をしているのだ。

「おばさん……血も涙もないね……そんなのトラウマじゃん」

 青衣は可憐な憂い顔で、しおしおと千聡に同情する。千聡の母は、少なくともメンタル面においては、瓜生家最強と名高い女傑である。次男坊の千聡が敵う相手ではないのだ。

「ええ、トラウマですね。割とかなり」

 彼の表情も声もかなり暗い。思春期に負った深手は今も時折、彼の羞恥心を痛めつけているのだろう。


 しょうもないが笑い飛ばしづらい思い出に、唄子も陰気な表情となっていた。千聡は彼女へ続けて語る。

「私はその日のうちに、そのマンガを捨ててしまいました。持っていることすら恥ずかしいような悔しいような、とにかく手元に置いておきたくないという衝動に駆られた次第です」

「……それ、あたしと同じだ」

 そう答えた唄子の顔は、泣き笑いのようなぎこちない代物だった。だが、どこか清々しさもある。


「好きな声優さんが出てるって、雑誌で読んで。ちょっと早いクリスマスプレゼントに買ってもらったんだけど、あんなクソゲーだと思わなくて。弟にも『つまんねー』って散々バカにされたし……」

 言いながら、唄子は先ほどの千聡のように唇を歪めてうなだれる。

「だからあたしも、こっそり捨てようと思って。買ってくれたお母さんにバレたら、絶対悲しませるもん」

「だから家族が寝静まった、夜中に出かけようとなさっていたのですね」

 千聡の質問ではなく確認に、唄子も素直に頷いた。


「公園のゴミ箱だったら、たぶんバレないと思ったの。目立たないように、黒い制服着て……普段着、白とか薄い色が多かったから」

「そうでしたか。用心深いのは好ましいことです」

「まあ、その前に父親に刺されたから、服とかどうでもよかったんだけどね」

 唄子は自嘲気味に言った。


 夜中に起きた無理心中事件での、被害者の不可解な出で立ち――しかしふたを開けてみれば、思春期特有の恥じらいをこじらせた末の行動でしかなかった。


 そしてセーラー服の謎に取り憑かれていた沼井も、そんな恥じらい行動には十二分に覚えがあったので。深々と息を吐いていた。

「――僕にも身に覚え、あります。従兄と一緒にガンダムが好きだったのに、いきなり従兄が『アニメなんて』って馬鹿にしだしたので、それからは楽しく観れなくなってしまって……」

「従兄くん、中二病じゃなくて高二病をこじらせてそうだねぇ」

 青衣が緩く笑った。それも、誰しもが一度は通る道である。

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