年長者目線だとだいぶ悪趣味な唄子の好みは分かったものの、彼女が夜中にセーラー服を着ていた理由は依然として不明だ。
「念のため、確認いたします。唄子さんが制服を着られていたのは、デート目的ではなかったと考えてお間違いないでしょうか?」
「……はい」
千聡の問いに、唄子が視線を斜め下にしたまま小さく頷いた。
「ちなみに、本当の理由は教えていただけないのでしょうか?」
「それは、ちょっと……でも、あたしは殺してない……」
「そうですね。先ほど拝読したニュース記事でも、お父様の隆さんがご家族を殺害後、焼身自殺をなさったとありました。女性かつ中学生の唄子さんに、他のご家族を刺殺なさった上でお父様を焼き殺すガッツがおありとは、到底思えません」
千聡が掲げるスマートフォンを、青衣も覗き込む。記事には「隆容疑者が自ら庭でガソリンを被って火を点け」と書かれていた。うわぁ、と彼女は思わずうめく。
「魔女狩りでもないのに、よくやるよ……でも警察も、お父さんは自殺だって断定してるっぽいね」
青衣は千聡の手首をやんわり握り、二人へ画面を向けた。公的機関と報道機関からの無理心中のお墨付きに、唄子がかすかに安堵する。
「ほら、やっぱり無理心中じゃん」
そしてドヤ顔で、自分の死因を自慢した。それを眺め、何故か正座したままの沼井が歯噛みする。悔しそうに床へ拳を押し付ける彼の姿を眺めていると、青衣の中にふと小さな疑問が湧いた。
「ところで沼井君は、なんで死んだの? それこそ自殺?」
「しませんよ、大学で彼女も出来そうだったのに」
沼井が心外そうに顔を歪める。死の直前、ミステリー研究会のメンバーとのデートを約束ていたらしい。
「じゃあ、事故? もしくは……ここでヤクの取引してたヤクザに見つかって殺された、とか?」
青衣が面白仮説を打ち立てて目を輝かせたが、沼井は静かに首を振った。
「いや、そういうドラマティックな展開はなかったと思います……なんか、気が付いたら死んでたので……」
「さすがに家でヤクの取引があったら、あたしも先に言うし」
唄子も渋い顔で否定し、言葉を続けた。
「たぶんこの人、階段で足とか踏み外して死んだんだと思います。家の中うろついてるなぁって思ってる内に、いつの間にか死んでて。あと階段下にしばらく、死体も転がってたから」
「ひえっ……」
「あ、でも、二・三日したら警察が来て、その後で救急車が回収してくれたけど」
ここで沼井は、先ほどの唄子以上のしゃらくさいドヤ顔で胸を反らす。
「ここに来る前に、妹に調査のことを伝えていたので警察が来てくれたんです。報連相は、大事ですよ」
ドヤる彼を見下ろす千聡は、冷ややかに笑っていた。
「
「いや、そこは――」
「おまけに地縛霊にまで成り果てて。報連相と併せて、危機管理にも十分配慮していただきませんと」
「はい、すみません……」
沼井が気まずそうに頭を下げた。廃屋が束の間、どこかのオフィスのような殺伐ムードに包まれる。
いい年をした人間がいい年をした人間にペコペコと謝る姿は、見ているだけでも居心地が悪い。青衣と唄子はそっと目をそらし、ため息をついた。
「……ウチは、父親がお給料も少ないのにお母さんのことずっと縛りつけてて。ずっと監視してて」
ぽつり、と唄子が呟いた。
「それでお母さんも無理ってなって、離婚したいって言ったら殺されて……あれと結婚した時から、たぶんこうなるって決まってたの。だから無理心中でいいの」
これ以上我が家の粗探しをしないで欲しい、という拒絶が込められた声だ。青衣は、出来るだけ彼女の腸を見ないようにしながら、ゆっくり近づいた。そして唄子の背中を、慈しむように撫でる。
「唄子ちゃんのお父さん、とんでもないモラハラクソ野郎だったんだね。生きてる内に、千聡でぶん殴ってやりたかった」
青衣の憤りに、千聡も無言で握りこぶしを持ち上げて応じる。この二人ならやりかねん、と唄子は苦笑いになって尋ねた。
「モラハラって?」
「モラルハラスメント、の略です。罵倒などで相手の人格や尊厳を否定して精神的に追い込む、社会の害悪に対する俗称ですね」
十年ほど前にはまだ浸透していない概念だったらしい。千聡がファイティングポーズのまま解説する。
ふと、千聡は自分の両の拳を見つめて嘆息。
「十年前であれば、私もまだまだ血気盛んであったというのに」
彼の嘆きに、唄子が顔を引きつらせる。
「え、これでも落ち着いた方なんだ……」
「うん。十年前はもっと酷かった。たぶん沼井君も、有無を言わさず腕折られてたと思うよ。折られなくてよかったね」
青衣はしみじみと、遠い目で何かを懐かしむように言った。自分の腕を押さえる沼井が、かすかに喉の奥から悲鳴をこぼす。
「でっ、でも……僕は、唄子さんのセーラー服の真実が知りたいんです! でなきゃ、死んでも死に切れません!」
腕を押さえたまま、沼井が慟哭する。これだけを聞くと、女子中学生のセーラー服に執着する異常者の世迷い事にしか聞こえない。
「だよねぇ。だって実際、地縛霊になっちゃってるもんね……」
対する青衣は生ぬるい笑みだ。遠くを見つめていた彼女は、廊下の奥から沼井へと視線を動かす途中で、かすかに動くものを捉える。すぐに二度見した。
それは沼井のすぐ後ろにある、壁掛けの日めくりカレンダーだった。ガラスの割れた窓から吹き込む風によって、はらりとめくり上げられているらしい。ほぼ無意識に、青衣は顔を傾けてカレンダーの日付を見た。
十年前の十二月二十日――この日付に、とても見覚えがある。青衣は小難しい顔になり、唇もすぼめてうなった。
彼女の奇妙な行動に、当然千聡も気付く。上がり気味の眉を寄せ、訝しげに青衣を見つめた。
「お嬢さん、どうされましたか?」
「いや、なんかカレンダーが気になって……あっ、そっか」
彼からの問いかけで、既視感の震源地に気付いた。パッと笑顔になる。
「そうだそうだ、『ボイアク』の発売日だ。見覚えあるわけだー」
すっきり爽やか笑顔の青衣の、すぐ近くで。
唄子がギクリ、と肩を跳ねさせていた。『ボイアク』という言葉を耳にした、その瞬間に。
彼女の反応を見逃さなかった千聡が、目を細める。