(千聡って白けた顔して行動力だけはあるから、その内コンクリートミキサー車とか連れてきそう……ってか運転できそう……いや、でもさすがに、一応は他人の家の庭だし……いや、だけど千聡だし)
青衣が疑心暗鬼に駆られていると、グリーンカレーを食べ終わった千聡がおもむろにスマートフォンを起動させた。青衣の喉の奥から、ヒュウッとか細い音が鳴る。
「まさか、本当にミキサー車を!?」
「ミキサー?」
千聡にとって「鹿路家の庭を不毛の大地にしたい」発言は、六割が冗談だった。なのでまさかコンクリートミキサー車の調達疑惑をかけられているとは夢にも思わず、キョトンとオウム返しになる。
「ミキサーをお求めでしたら、キッチンに置いておりますが。シンクの下の戸棚にありますよ」
そして調理器具のことだと勘違いしているらしい。どうやらミキサー車の手配料を調べているわけではないようだ、と青衣も強張った顔をぎこちなく緩めた。
「うん、そうなんだ。今度ジュース作ってみる……それで何してるの? エゴサ?」
「そのような不健康な趣味はございませんが――ああ、やっぱりありました」
「あった?」
青衣は殺虫剤を片手に持ったまま、首を傾げる。千聡がスマートフォンの画面を彼女へ向けたので、小走りで近寄った。
画面には、ウェブブラウザの検索エンジンが表示されている。検索ワードは「新居園家 一家殺人」である。
「えっ……本当に、あった事件なんだ……」
青衣は吐息のような声を漏らした。検索ワードに驚き、そして検索結果が大量にあったことに、更に驚いていた。
千聡も目を丸くする彼女を見つめ、神妙に呟く。
「ええ。恐らくあのクソゲーを呪っている人物も、こちらの事件の関係者かと」
「事件の詳細、分かる?」
「そうですね……」
千聡は二件目に表示されている、大手メディアのニュース記事を選んだ。掲載日は十年ほど前――『ボイアク』の発売時期に近いようだ。青衣も彼の隣に立ち、画面を覗き込んだ。
ニュース記事の見出しには「夫による家庭内ストーカー 一家無理心中の悲劇」とある。思わず、青衣は眉をひそめた。
「うわぁ……だいぶ問題ありな旦那さんだったんだね。千聡の面倒くさい彼女ムーヴとぶつけたいかも」
あんまりな彼女の感想に、千聡も薄っすら不機嫌な表情になる。
「あわよくばの、対消滅を目論んでいらっしゃいますね。ですが、この程度で私の面倒くささは打ち消せませんよ」
「あ、面倒くさい自覚はあったんだ。で、記事になんて書いてるの?」
この話を掘り下げると更に面倒くさいことになりそうなので、話題を軌道修正する。千聡はしばらくじっとりと青衣を見据えていたものの、やがて諦めて画面をスクロールした。
「そうですね、まず無理心中を引き起こした夫の名前は新居園
記事の冒頭には、被疑者死亡のまま書類送検されたとの記載がある。また、事件は夜中に引き起こされたとも書かれていた。被害者の妻と二人の子どもは、就寝中に襲われたのだという。
だがその続きを見ることは叶わなかった。
更に画面をスクロールしようとした途端、画面が赤一色に変わったのだ。血のような濃い赤だ。青衣が悲鳴を上げて縮こまる。
「ひぎゃあっ! 何これ、何これっ?」
「分かりません。悪質な広告か、ウイルスか――」
不可解な現象に、千聡の声もかすかに上ずっている。戸惑う彼の言葉に被さるようにして、スマートフォンからしわがれた男性の声がした。
「違う違う違う違う違う違う逃げるな逃げるな違う違う違うどうしてなんだ違う」
それは先ほど、青衣の部屋で聞こえた声と同じものだった。手元から響く呪詛に、思わず千聡がスマートフォンを手放す。
ワックスのかけられた飴色の木床に、スマートフォンが落ちた。ゴツン、と不穏な音がする。
その音を聞いた途端、青衣の中から真っ赤な画面と謎の声への恐怖が束の間吹き飛んだ。彼女は高校時代に自身のスマートフォンを落として、画面をバッキバキに粉砕した前科を持っているのだ。あの時の絶望を思い出し、自分のものでもないのに肝が冷える。
「ああああっ、文明の利器がー!」
が、慌てた彼女がしゃがみ込むのと、持ち主が身をかがめるのはほぼ同時であった。
青衣と千聡は、テーブルの下に滑り込んだスマートフォンを追いかけ、そこで額をゴツンとぶつける。
スマートフォンの落下音など比でない、痛打という表現がぴったりな重低音がした。お互い、両手で額を押さえてしばしうずくまる。
最初に復活したのは、千聡だった。たれ目を潤ませ、セクシーさ三割増しとなった顔を持ち上げる。
「申し訳ありません、お嬢さん……大丈夫ですか? お怪我はございませんか?」
「だいじょぶ……」
青衣は全く大丈夫ではないうめき声で、同じくうるうるの涙目となって千聡を見る。
「千聡こそおでこと画面、割れ――いぎゃぁっ!」
が、彼女は千聡と一緒に視界へ飛び込んできた風景を理解した途端、裏返った声で叫んだ。千聡も彼女の視線に気づき、周囲を見渡して息を飲む。
二人がいるのは、静かで清潔で見慣れた鹿路邸ではなかった。
薄暗くてかび臭い、ボロボロの床に砂埃が積もったどこかの廃墟に座り込んでいたのだ。