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9:カレーは中辛ぐらいがちょうどいい

「わたし、幽霊に同情されちゃったんだけど」

 不貞腐れた顔の青衣が、スプーン片手に呟いた。彼女が座る食堂のテーブルには、グリーンカレーが二人分置かれている。

 青衣は千聡手作りのグリーンカレーを頬張りながら、向かいに座る彼をにらんだ。普段であれば、家主一家と使用人が同じテーブルで食事をしようものなら猛烈に怒られる。青衣の両親から――ではなく、千聡の父や兄から。


 が、現在家にいるのは二人だけなので、その辺りもゆるゆるのグダグダだった。

 ちなみに千聡のカレーの分量は、軽く見積もっても青衣の二倍ほどある。なかなかの大食漢である。


 青衣の威嚇をイエネコのそれと同程度に見なしている千聡は、非常に生ぬるい表情で彼女を見た。小馬鹿にしきっている。

「よかったですね、お嬢さん。世の中、案外捨てたものではありませんね」

「その世の中からグッバイ済みの人に、同情されてんだわ。しかも原因が、自分の護衛なんだわ」

「左様でしたか。まあ、世の中なんて得てしてその程度のものですから」

「結局どっちなんだよ、世の中!」

 のらりくらりの返答に、とうとう青衣がキレた。足をジタバタ上下させて、床を踏み鳴らす。


「光あるところに闇が生まれる――それもまた世界の真実です。そして床を踏み鳴らせば、埃が舞うのもまた世界の真理ですので」

 千聡の眼光が鋭くなり、青衣を見据えた。彼女の動きが止まる。

「ぐぅっ」

「食事中のおイタは、ほどほどにお願いいたしますね」

「分かってるよ!」

 二十歳にもなり、幼稚園児のような注意を受けてしまった。青衣の拗ねた顔が赤くなった。


 しかしグリーンカレーを食べることは止めない。彼女の好みを反映して控えめな辛さで作られているので、ココナッツミルクや野菜の甘味・旨味を存分に楽しめるのだ。二分割されただけの、存在感強めなマッシュルームがいるのも高ポイントである。

(たぶんわたし、千聡が作ったグリーンカレーしか食べられないかも)

 と、そこまで考えた青衣は、食事を再開した彼を見る。


「千聡って、何でもできるよね。グリーンカレーこれもそうだけど、ビーフシチューとかコロッケも手作り出来るしさ。すごいよね」

 ついでに言えば、本職である護衛だって手抜かりなしだ。両親の仕事柄、青衣も厄介な人間・死者に絡まれることが多いものの、ほぼ無傷で生きて来られたのは彼のお陰だ。

 また鹿路家の執事をしている彼の父によれば、学業も優秀だったという。大学に現役合格できたことが奇跡、とまで言われている青衣とは大違いである。


 人としての格の差を感じつつも、自分の護衛が万能イケメンであることは嬉しくもある。青衣が素直に賞賛すると、珍しい苦笑いが返された。

「お嬢さんが私の料理をいつも、美味しいと褒めて下さるからですよ」

 彼の答えに、青衣もついやに下がる。

「えー? わたしに食べて欲しさに頑張るとか、可愛いトコあるんだね」

「私は顔もよろしいですから、無論可愛げもありますよ」

「うん、そうね……謙遜とは無縁だけどね」

「それにお嬢さんの食わず嫌いを改善出来る度に、臨時ボーナスもございましたし」

「はっ?」

 初耳である。青衣は宇宙猫の顔になった。


「お嬢さん、意識がコスモに飛ばれておりますよ」

「そりゃ飛ぶよ……え、頑張って食べたのわたしなのに、わたしにはご褒美なしで?」

 記憶にある中で、歴代食わず嫌いにおける最大の敵はナスだった。千聡の作った麻婆茄子 (辛さ控えめ)を初めて完食出来た時、両親や千聡から褒められこそすれ、お小遣いなどなかったはずだ。


 「食べれまちた!」と喜ぶ自分の背後で、まさかそんな取引があったなんて。

「食べたのわたしなのに、わたしには何のキックバックもないの?」

「作ったのは私ですから。食事の選択肢が広がって、お嬢さんにも十分恩恵はありましたでしょう?」

 淡々と告げられる千聡の言葉は、たしかにその通りだ。その通りなのだが――青衣は引き下がらなかった。仏頂面になる。


「当人ほったらかしって、なんかズルくない? そういう精神論じゃなくて、即物的なご褒美も欲しかったのー」

 そう言って青衣がゴネると、呆れ顔の千聡は肩をすくめた。

「現金でいらっしゃいますね、本当に」

「そりゃあ、胡散臭い霊感商法野郎の娘ですから」

「由緒正しい除霊師の末裔様が、何をおっしゃる」

 ハッハッハ、と大層わざとらしい笑いで流されそうになり、青衣は身を乗り出した。そして千聡の綺麗な顔を見据える。


「それじゃあ、千聡の苦手なものも教えてよ。わたしが克服させてあげるから、ご褒美ちょうだい」

「お金目当てであることを一切隠そうとなさらない浅ましさは、ある意味賞賛に値しますね」

 千聡は呆れ半分・感心半分といった声音だったが、顎に手を添えて苦手なものを考え始める。なんだかんだと軽口を叩きつつ、彼は青衣に激甘なのだ。

「そうですね――虫が嫌いですね。人狼の割に都会育ちなもので。特にゴキブリなんて、目にするのも御免被りたいものです」

 少数種族である人狼は、人間社会から離れた山間部等にコミュニティを築く場合が多い。ただ千聡は先祖代々に渡って鹿路家付きのため、野山を駆け回った経験すらないのだ。


 彼が心底嫌そうにゴキブリと言った時、青衣は食堂の壁際に置かれた壺を見た。正確には、壺の背後にこっそり置かれているスプレー缶を。ちょうどグリーンカレーも食べ終わったので、「ごちそうさま」と言いつつテーブルを離れた。

 そして青衣はスプレー缶を手にする。

「なるほど。だからあちこちに、こうやって殺虫剤置いてるんだね」

「はい。旦那様方にもお許しを得て、ゴキブリホイホイと併せて至る所に置いております」

「トイレにあった時は驚いたよ。パパも消臭スプレーと間違ってたっけ」

 密閉空間で殺虫剤を噴射し、父がえらい目に遭ったのは半年前だったか。珍事だったので、青衣もよく覚えている。


 あの事件の元凶だった男は、シュンとうなだれた。こちらも珍事である。

「……その節は、大変申し訳ありませんでした」

「大丈夫、大丈夫。パパ、クマムシ並みにしぶといから」

 実際、父と共に除霊を行っている母によると「死んだか?」と思わせて無傷で生還したことが、片手では足りないぐらいあるらしい。きっと私服のまま宇宙空間に放り出されても、ピンピンしているだろう。


 とはいえ、千聡をゴキブリと仲直りさせるのは困難――いや、ゴキブリとの和解は人類全体が困難に違いない。

 なので青衣は、克服作戦を早々に放棄することにした。殺虫スプレーを颯爽と掲げ、ほんのり不敵に笑う。

「それじゃあ虫が出たら、わたし呼んでよ。嫌いだけど、退治したり追い出したりは出来るから」

「お心遣い、誠にありがとうございます。お嬢さんが虫には強気でいらっしゃって何より、ではございますが――」


 一瞬表情を和らげた千聡だったが、すぐに怖い顔でスプレー缶に描かれたゴキブリのイラストをねめつける。

「それはそれとして。私は何が何でもそいつらを、敷地内に侵入させない所存ですので」

「屋内じゃなくて、敷地内にも入れさせてやらないの?」

「当然です」

 呆れ顔の青衣に、千聡は険しい表情のまま頷いた。


 なお鹿路家の庭は、屋敷に比例してそれなりに広い。多種多様な植物も植えられている。

 当然、そんな植物に誘われてあらゆる昆虫も寄って来るのだ。

「将来的には、お庭を全てコンクリートで埋めて、不毛の大地に出来れば万々歳なのですが」

 一介の使用人が抱いていい大望ではない。

「……やる前に絶対、パパと千聡パパおじさんに一声相談してね?」

 千聡の鬼気迫る表情から本気だと悟った青衣は、そう忠告するに留めた。こういう場合、この男は下手に止めると強行しかねないのだ。

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